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2023.11.30ホームページ更新しました。
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19時~25時

カフェ&バー ジャニス
TEL03-3336-0339 
東京都杉並区阿佐ヶ谷北1-27-4 
JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩3分



 営業時間
19:00~25:00
 休業日
毎週日曜日、月曜日、火曜日


 マスターの一言
 2022/05/15  マスクの着脱につて日本政府もようやく言及し始めた。政府独自の判断ではなく、海外のマスク対応状況変化にひきずられた対応にしかみえない。独自の判断基準をもたないというのは国だけではなく、一般国民も同様である。メディアのマスクに対するインタビューに答える大多数の善良な国民は、他人の目を気にすることと、上からの指針以外に確たる判断基準を持っていない。大衆とはそんなものである。情けないことだが。スペインの哲学者オルテガはその著書「大衆の反逆」の中で「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は全ての人と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人と同一であると感ずることに喜びを見い出しているすべての人のことである」と喝破している。
 2022/05/02  ウクラウナに続き、知床沖での痛ましい事故で心が晴れない。ところで知床の観光船の引き上げに関して、さかんにサルベージという言葉が使われている。サルベ-ジとは船舶を引き上げるという意味らしいが、小生の様な昔の金融屋はサルベージと言えば、直ぐに手形回収と思ってしまう。いわば業界用語の一つで印象はあまりよくない。手形乱発、融通手形、手形パクリ、手形割引、見せ手形、除権判決等々、どうしても金融の裏の世界、暗いイメージが付きまとう。いかにも古めかしい手形はペーパーレス化が進む中、無くなってしまうかもしれない。今では手形を見たたことのないビジネスマンも多いときく。しかしサルベージ 債権回収は普通の人に、あまりオススメできる仕事ではない。

 2022/04/21  急速な円安が進んでいる中での、鈴木財務大臣の「悪い円安」発言について一言。そもそも悪いとは何をもって悪いと言ってるのか不明。おそらく日本経済に及ぼすマイナスが大きいと言いたいのだろうが、どの程度の円安が悪いのか基準が不明確。物価がジワジワ上がっているのが円安のせいだというなら、あまりに感覚的過ぎて、庶民感情レベルの発言で不見識である。この円安下で株価の上がっている輸出企業もある。ご承知の通り為替相場は日米金利差以外にも投資家の思惑等様々な要素で大きく変動する。良い面、悪い面あり単純ではない。悪い円安というのであれば、それに対して、どの様な対策をとるのか、それとも何もせずに静観すのがいいのか、具体的にその根拠を示すのが財務大臣の役目だろう。思い返せば1971年スミソニアン協定で設定された円相場308円は1985年のプラザ合意で150円まで急騰した。これはドル安誘導のための主要各国の協調為替介入による人為的結果であったが、これほどの円急騰にも拘わらず、日本経済は好景気にわき、バブル発生、崩壊の道を辿ったことは記憶に新しい。要するに変動相場制に移行したということは、為替リスクに晒されるということで、この程度の円安で右往左往し「悪い円安」などといって嘆いている場合ではない。
 2022/04/16  運転免許証を返納した。車の運転に自信を無くした訳ではない。実は小生、今年が免許更新時だったが70歳になっていたので更新には高齢者講習終了証明書が必要である。そのためには路上教習を受けなければならないのだが、更新の日時が迫っており教習の予約も取りにくくなっていた。この予約に関しては更新時の6か月前に葉書で通知しているとのことだったが、受け取った記憶がなく慌ててしまった。予約に奔走する中、めんどくさくなり、免許返納を決意した次第。そもそ最近は車もほとんど運転していないし、これからも運転しない可能性が高い。今では本人確認手段として使っているだけなので、それならば免許証の代りの交付される運転経歴証明書で充分だ。ちなみにこの証明書は運転免許証そっくりに作られている。
 2022/04/15  先日、営業中、突然デッキとアンプ両方が動かなくなった。普通に使用していて壊れることは、あまり考えられなく、途方にくれていた。結果は簡単に直ったのだが、その理由はまだよく理解できていない。専門家のアドバイスに従い、コンセントを抜き、普段使っていないスイッチを全てカチャカチャと押しまくると起動した。曰く、今のアンプ、やデッキはコンピュータ制御されており、フリーズした時はコンセントを一度抜くことで再起動することが、ままあるという。スイッチを押しまくることも微妙な内部機器の接触不具合状態を改善できるとのこと。そういえば昔、テレビが映らなくなった時、ブラウン管を足で思いっきり蹴飛ばすと、直ってしまったことを思い出した。最新機器もアナノグ的側面があるものだ。
 2022/04/11  70歳にして遂に花粉症にかかってしまった。風邪でもないのに鼻水が出て、どうしたんだろうと思っていたら、眼が痒くなったのだ。今は鼻水は止まり、眼が少し痒いだけなので、まだ軽傷の段階と思われる。それでも花粉症に苦しんでいる人の気持ちが少しわかった気がする。丁度、内田百閒の「一病息災」という随筆を読んでいたところであるが、花粉症は病気の内に入らないだろう。小生は糖尿病と長い付き合いがあるだけである。無病息災が理想かもしれないが、70代でそんなに健康な人がいるのだろうか。一病息災くらいが、健康のためには一番いい状態かもしれない。
 2022/04/03  4月1日の風物詩といえば入社式だ。今年も有名大企業の入社式の様子がテレビで紹介されていた。既に今から25年も前になるが、丁度4月1日小生の勤務していた会社が破産宣告を受け倒産した。負けた訳だ。少し強引な比較かもしれないが、戦争と企業は両者とも負ければ悲惨である。中には稀に、その不幸を奇禍として立ち直り、成功する人もいるが、大方の人は厳しい生活を歩むことになる。戦争もしかり。特に戦争に負けた国の復興は簡単ではない。色々な面で敗戦の呪縛から完全に逃れることは厳しい。正義が勝つとは限らない理不尽で不合理な現実を前にして、見も蓋もない言い方かもしれないが「だって戦争に負けたんだもの」「だって会社が倒産したんだもの」と最終的な敗者の言い訳が聞こえてくる。だから負けられないのだ。今回のロシアとウクライナの戦争も、それが分かっているから、どちらも負けられない戦いを強いられている。小生の浅薄な頭脳で考えるに、この戦争は不幸だが両国とも敗戦国になるのではないか。悲惨な戦争が早く終わって欲しいのだが。
 2022/03/27  ロシアへの制裁の影響で航空機リースの解約、航空機の接収等の動きが出ているとの新聞報道があった。航空機の様な大型リース案件は、ソブリン案件でなくてもそれなりの信用力のある先に限られる。与信判断に、まさか戦争は想定していなかったのではないか。与信判断の基本は支払能力と支払意思であるが、ロシアには当てはまらなかった。将来にわたり支払意思が継続すか否かまで推測することは難しい。そのリスクヘッジが担保であるが、国をまたいだ強制力を期待すのは困難。航空機という物件が担保的機能を有しているが、接収されてはどうしようもない。これが正にカントリーリスクというものか。
 2022/03/25  映画評論家の佐藤忠雄氏が逝去した。昔(50年程前)映画評論といえば、極左的政治思想の立ち位置からの評論が多かった中、同氏は正面から映画というものを見据えた、正統的な評論家の代表格で、多くの映画ファンの水先案内人の様な人だった。また映画評論ではないが、小生が少し真面目に高校教育につて考えていた頃、氏の「権利としての教育」という本に出会い、少し影響を受けた覚えがある。多才な人であった。ご冥福をお祈りします。
 2022/03/21  今年から高校の授業で金融教育が導入されるらしい。
それが家庭科の中で扱われることに違和感を覚える。そもそも家庭科という科目が小生の高校時代は無かった科目でよく理解できない部分もあるが、それはさておき、金融というものが日常生活に直結しているからという理由で、家庭科で教えるというのであれば、はあまりに安直な発想ではないか。その中身は投資教育が中心と聞く。金融は政治、経済と密接に繋がっており、家庭科ではなく、社会科、政治、経済等の中で教えるのが望ましいと思うのだが。金融を投資技術、投資ノウハウといった視点から教育するのはどうかと思う。投資で大切なお金を失わない様にといった親心は学問とは関係ない。投資は企業を育てるといえばカッコいいが、本質はギャンブルである。高校生にギャンブルのリスクと勝方を教えることはない。金融教育はその元となる貨幣・お金という実態のつかみにくい、いわば共同幻想を政治、経済的視点で、その本質から教えるのが本筋であろう。
 2022/03/14  ロシアのウクライナへの侵攻が益々激しさを増している。本当に怒りを覚えるが、我々のできることはあまりない。少しでも戦争というものを理解するため、かつて読了できなかった古典、クラウゼヴィッツの「戦争論」の一部を再読した。200年も前に書かれた名著(初邦訳は森鴎外)だが、哲学的でよく理解できないところがある。その中に第16章 軍事行動の停止についてという項目があるので、一言。氏は停止に至る原因を3つ挙げている。一番目は、やや精神論になるが、トップの怯だと優柔不断が必要とのこと。そういう精神構造を持たないプーチンにこれは期待できない。第二は人間の洞察と判断が不完全なこと。これは少しプーチンに期待できるかもしれない。今のプーチンは、とてもじゃないが、正常な神経を有しているとは思えないからだ。第三は防衛は攻撃よりも強力であること。氏は代数の数式を使い説明しているが小生には難し過ぎてよく理解できなかった。いずれも具体的な方法が述べられている訳ではなく、ここから今のロシアとウクライナの戦争にぴったり当てはまる処方箋を導くのは難しい。ロシアの内部崩壊を待つしかないのか。いずれにしても既にロシアの終わりの始まりが起こっている。
2022/03/10  西村京太郎氏が亡くなった。氏の作品は読んだことが無く、コメントはできなが、少し前に亡くなった同じ姓の西村賢太について一言。芥川賞作家とはいえ、失礼ながら愛読者がそれ程多いとは思われないが、何故か読ませるものがある。かつて小林秀雄からも酷評され、近代文学の鬼っ子のような、今や絶滅危惧種とも思われる私小説に拘っているところがいい。小生は、ドストエフスキーのような壮大な思想小説もいいが、ちまちました私小説がわりと好きである。古めかしい昭和の匂いが発散されるポストモダン小説である。話は変わるが、今、音楽界でも欧米で日本の80年代のシティーポップがブームという。昭和が一つのキーワードかもしれない。
 2022/03/05  ようやくこのホームページビルダーの配信機能が回復したので一言再開します。長く中断していたのでどうも調子が出ませんが、まずは小生の身辺のことから。
やっと確定申告を終えたのですが、昨年、東京都のコロナ対策に伴う協力金が思いの外、多く、初めてかなりの額を納付しました。従前からよく言われていたことですが、サラリーマン時代は源泉徴収されていたので、納税意識が希薄で、今回改めて税に目覚めた次第。納税は義務ですが、これからは節税を考え工夫し頭の退化を防ぎたいと思っています。なお現在店の営業は午後7時から9時までに短縮しています。
 2021/10/11  ノーベル物理学賞に真鍋淑朗氏が受賞し、マスコミはこぞって賞賛している。氏の業績、人柄は素晴らしいと思うが、その報道に少し違和感を覚えた。氏は今は日本人ではなく、帰化した米国人である。それをあたかも、日本人がまた受賞したと手放しで喜んでいるようであるが、あまりに単純すぎる。氏は日本を捨て米国に移住し米国の研究室で素晴らしい発見をした。我々は氏が何故、日本を捨てざるを得なかったという事に対し、冷静に考えてみる必要がる。日本の科学技術に対する財政支援の少なさによる頭脳流失、変人、異端者を排除する国民的精神風土を再考してみるよい機会ではないか。氏が異端者というのでないが、日本特有の協調性とか同調圧力には馴染んでいなかったことも米国移住の要因の一つだった様だ。。多様性の必要性を叫んでみても実体は、まだまだ、同質性を求める気質は変わっていない。受賞ニュースを見て感じたことである。、
 2021/10/10   日大背任事件について一言。
アメフト問題で辞任した理事がいつの間にか再任され、その理事が今度は背任容疑で逮捕された。日大の体質は全く変わっていなかった。思い返せば今から50年以上前になるが、日大は古田体制下34億円もの使途不明金問題に端を発し、大きな日大闘争に発展していった。1968年当時、日大と言えば最も学生運動と、ほど遠い大学といったイメージが強かったが、あっという間に過激な学生運動の象徴的大学となった。全共闘議長の秋田明大は正に時代のヒーローだった。当時の社会状況と現在を比べてもしょうがないが、今の学生は少し、おとなし過ぎないか。今回の事件が司直の手に委ねられているとはいえ、、大学の腐敗に対して糾弾の声が学生から聞こえてこないのは寂しい。
 2021/10/02  劇画作家「さいとうたかを」の突然の訃報をメディアは大きく取り上げていた。確かに彼の代表作ゴルゴ13は50年以上、読者の心をつかみ続けており、ドラエもんとはまた違った意味で国民的ヒ-ロ-といっても過言ではない。当初、主人公デューク東郷は007のジェームス・ボンドを真似ていた感があったが、長く続ける内に独特のキャラクターを確立していった。非情なヒーロー殺し屋は時代を超え愛されるものだ。荒唐無稽といっては、少し言い過ぎかもしれないが、それぞれの時代背景を上手く取り入れ物語を作っていく感覚には敬服する。また蛇足になるが、このゴルゴ13はビックコミック創刊号から連載されていたと思っている読者もいるかもしれないが、実際は違う。「捜し屋はげ鷹」という探偵物がスタートである。鷹木ゆかり(女名だが男)というマッチョな元ボクサーが事件を解決していくというもの。しかし数回連載された後シリーズ化されずゴルゴ13に代わってしまった。鷹木ゆかりはゴルゴ13と性格が全く違い、それなりに面白かったので小生としては、これもどこかで続けて欲しかった。
心よりご冥福をお祈りします。
 2021/09/24  中国の大手不動産会社恒大集団の経営危機がささやかれている。もし、経営破綻した場合、リーマンショックの再来があるのではと危惧するメディア報道もある。それ程の影響はないと思われるが、リーマンではなく、日本のバブル崩壊を彷彿させる。過熱した不動産価格の高騰を懸念した政府が金融政策を通じ、間接的に不動産取引を制限し大不況に陥った1991年の記憶が蘇ってきた。
非常に構図が似ているのだ。中国の不動産バブルは相当以前から言われていたが、ついにその始まりがきたかといった感がある。日本はソフトランディックではなく、荒療治を選択したことが裏目に出て、新自由主義を目指したが中間層が崩壊し、すっかり貧しい国になってしまった。その時の金融機関再編で生まれたのが、スステム障害を繰り返すみずほ銀行だ。さて中国は今後どうなるのだろうか。
 2021/09/22  コロナに関してはもう論じたくないと思っていたのだけれど、9月19日付読売新聞の記事を見て、また、一言いいたくなった。
米国の著名な進化生物学者ジャレド・ダイアモンド氏が読売新聞の一面「地球を読む」で日本人のコロナ感染者の少なさの原因として、マスク着用率の高さに言及していたからである。結論から言えば期待外れ。あまりの凡庸な結論にがっかりした。氏によれば米国に比べ日本がコロナ感染者、死亡者において圧倒的に少ない理由の一つとしてマスク着用率の高さをあげている。それを日本の稲作と米国の小麦栽培との比較を通じて論じるのはいいとしても(コロナとは直接関係ない話になっている)、マスク着用とコロナ感染防止効果との因果関係が、まだはっきりと解明されていない中、あまりに単純にその効果を認めている点に疑問が残る。最低でもコロナ感染者、死亡者の日常生活におけるマスク着率の検証くらいはした結果なのだろうか。小生の勘ではあるが、コロナ感染者の殆どがマスクをしていたと思われる。街中でも電車の中でもほぼ全員マスクをしているのだから。日本人が米国人よりマスクをしている人が多い原因などどうでもいいことだ。彼の著書「銃・病原菌・鉄」は新しい視点で人類学へアプローチし、人類学・生物学に与えた功績は大きく、小生が期待したのも医学者ではない氏独自の視点にたった知見だったのだ。
著名な学者の影響力は大きいことから、マスク不要論者である小生にとって、これでまたマスク着用促進圧力が強まることが懸念される。。
 2021/09/13  ワクチン接種の促進と経済活性化を狙ったのか「ワクチンパスポート」の話が現実化しそうだ。具体化するまでには、まだ紆余曲折ありそうだが、運用次第ではワクチン接種は個人の自由といいながら、実体は、ほぼワクチン接種の義務化に著しく近くなる。もしワクチン接種にインセンティブを与えるのであれば、それは国家が主導するものではなく、民間事業者が自身の損得勘定で判断すべきものではないだろうか。ワクチンパスポートは日本国民の分断化につながりかねない危険な政策だ。
 2021/09/10  東京都現代美術館で開催中のGENKYO横尾忠則展を観に行ってきた。コロナ禍のせいか意外と人は少なく、ゆったり観ることができた。画家に転身してからの作品が多く、あらためて、氏の才能の豊かさに感動した。ただ初期のポスターの展示が少なく、小生の一番好きな映画「新網走番地 さいはての流れ者」のポスターが無かったのが残念だった。このポスターは氏の作品の特徴でもある、鮮やかな赤、青といった原色が少なく、比較的地味である。黄色をバックにストイックで無表情な健さんの顔がとても印象的だ。額に米粒ほどの大きさで男と書かれているのが妙におかしい。話は飛ぶが、黄色のバックといえば高校3年の学園祭のポスターに応募したことを思い出した。黄色をバックに色鮮やかな自信作だったが学園祭に向いていないという理由で見事落選した。絵は子供の時から上手かったんだけどなあ。そこで本題。自分は今まで横尾忠則の黄色をパクッタつもりだったが思い違いだった。「新網走番外地 さいはての流れ者」は1969年の12月公開、学園祭はその年の9月か10月であり小生の方が先。どうでもいいことではあるが、50年以上前のこととなると人間記憶も怪しいもんだ。いつもの様に話がそれてしまったが横尾ワールドに圧倒された一日でした。
 2021/09/09  テレビをつけると、いきなりジャニス・ジョプリンの「クライ・ベイビー」が流れてきた。化粧品のコマーシャルソングとして使われていたのだ。ジャニスの楽曲は以前にも、「ピース・オブマイハート」や「ムーヴ・オーヴァー」がコマーシャルソングとして使われていたことがあるので、驚きはなかったが、今何故ジャニスなのだろうかと不思議だ。それぞれ名曲ではあるが50年以上前の曲である。シャウトする奏法が甘ったるいJポップにあきたらない人達に新鮮にうつったのかな。それとも著作権料の問題か。
いずれにしてもジャニスのマスターとしては嬉しいことだ。
 2021/09/05  菅首相が総裁選出馬断念し自民党内が混迷している。
日本は今、平時ではなく有事である。菅さんは有事には向いていないリーダーだったということだろう。そして首相は、自身を取り巻く情勢を冷静に分析する力を失い、最近の不可解な言動をみても、とても国を任せられる状態では無かった。
元々人をひきつける様なカリスマ性は無かったが、有事には調整型で生真面目だけが取り柄の人では勤まらない。かといって独裁的リーダーも危険だ。悪しきポピュリズムに陥ることなく、かつ民意を汲みながらも、強いリ-ダーシップを発揮しなければならない有事の首相とは、誠に困難な役である。我々一般国民には直接総裁を選ぶ投票権はないが、この総裁戦は特に注視していたい。
 2021/09/04  東京でパラリンピックが開催されたことで、初めて観る競技種目が多く、それぞれ、ハンディーに合せた工夫がほどこされていることに感心した。また年齢的にもオリンピックでは考えられない高齢の選手がいることに、古希を迎え肉体の衰えを感じていた小生も勇気づけられた。
また一つ考えさせられた事がある。、メダル獲得は圧倒的に先進国が多く、スポーツの世界でも経済格差が大きく影響しているということ。練習環境を整えるにもお金がかかり、個人の身体的能力以外のところでも埋めがたい格差があり、厳密な意味では同一な条件下での競争とは言い難い。何もパラオリンピックに限ったことではないが。
 2021/08/27  コロナも大変だがアフガンも大変だ。中東から遠、平和な日本に住んでいる小生ごときが言及するのも、おこがましいが、一言。
アフガン混迷の一旦は欧米の責任でもある。民主主義という欧米の価値観に基づく、政治体制を他民族に押し付け、何度も失敗を繰り返しているのに学習していない。多額の支援金も健全な社会インフラに使われず、汚職や賄賂に使われ、援助した武器がタリバンや、テロ組織に流れ、その恐怖におびえるのは皮肉な話。話は少し変わるが、金融の世界で融資が焦げ付くのは、大半、融資したお金の資金トレースができていないことによる。融資金が目的以外に使われない様チェックするのは当たり前で、もし目的以外に使われていることが判明した場合、当然、追加融資は断るし、回収に走る手立てを講ずるのが王道である。政治にもビジネスの知恵が必要である。
 2021/08/26  ローリング・ストーンズのドラマー チャーリー・ワッツが逝去した。ストーンズといえばどうしてもミック・ジャガーとキース・リチャーズのバンドというイメージが強くチャーリー・ワッツはあまり話題にのぼることなく、やや地味な存在だった。ただし彼の存在は少し古いたとえだが、クリープのないコーヒ―のようなもの。キースの信頼は絶大であり、スタンダードなエイトビートではない、ジャズ的な要素のある独特のドラミングは評価が高かった。彼の一番好きなドラマーがジョン・ボーナムというのも面白い。世界最高のロックン・ロールバンドの偉大なドラマーが亡くなり寂しい限りだ。店を開けていればストーンズ特集を組み聴きまくっていたのに残念だ。ご冥福をお祈りします。
 2021/08/25  コロナ感染に歯止めがかからず、入院できない感染者急増にやっと政府も重い腰を上げた。応急措置、対処療法の感は否めないが、やらないよりはずっといい。本来はもっと抜本的改革が必要であることは誰もが感じていること。小生は前々から2類感染症指定から5類に変更すべきと思っていたが、役人は、かたくなに2類に固執する。これでは一般医療機関がコロナ患者の診療を拒否することも致し方ない。更に医師会が何故かあまりコロナ患者受け入れに積極的でない。医者の利益を優先するのではなく、ここは医療倫理を優先すべきである。政府はもっと医師会に対して強力なリーダーシップを発揮して欲しい。多額の献金を受けているからといって今までの様に自民党と医師会がズブズブの関係であってはいけない。医師会にガツンと言える政治家はいないのか。更にいえば時間はかかるが、もっと公的医療機関を増やすべきだろう。政府の不作為の罪は大きい。
 2021/08/24  高校野球甲子園大会で東北学院の選手一人がコロナ感染したため学校は試合を辞退した。しかしこの判断には大いに疑問がある。クラスターが発生しているわけでもなく、代りの選手が出ればいいだけのこと。他の選手への感染リスクを考えたのだろうが、本心は、もし感染者が他の選手に出た場合の責任回避としか思えない。自己保身だろう。感染者の名前を伏せても、いずれ分かってしまうのは明らか。それよりも、この選手が、自分が感染したため試合ができなくなってしまったことに責任を感じ、この自責の念で一生悩み続けることになるのではないか心配である。一体この選手の心のケアは誰がするのか。辞退を決めた大人達は責任がとれるのか。全く想像力を欠くおそまつな大人達だ。
 2021/08/23  緊急事態宣言下ジャニスは休業中ですが、この一言について休筆要請がある訳でもなく、久し振りに再開します。千葉真一が逝去した。とても残念だ。得意のカラテを売りにした「激突 殺人拳」シリーズが有名で、どれも面白いが、小生が一番印象に残っているのは「仁義なき戦い 広島死闘編」だ。手のつけられない暴力男 大友勝利役が彼の新しい側面を見い出した。ここで紹介するのが憚れる程、下品なセリフをはき、梅毒が進み、益々狂暴性を増す演技が兎に角すごい。最初、この大友役は北大路欣也が演じるはずだったが、北大路欣也のたっての申し出から急遽、役が変わったといういわく付きのもの。仁義なき戦いは、ご存知の通り基本群像劇で、主役というものが無い中、この広島死闘編だけは主役を北大路欣也が演じるということでもやや異質であったが大ヒットした。破滅的な殺人マシーンを演じた北大路欣也の演技も凄いが、その主演をくった感のあるのが千葉真一である。「仁義なき戦い完結編」ではこの大友役を宍戸錠が演じているが東映ファンとしては千葉真一にやって欲しかった。
ところで、この狂暴路線では隠れた名作「沖縄やくざ戦争」での狂気染みた親分役がまたいい。これも主演は松方弘樹であるが。過剰とも思われる狂気を演じさせれば千葉真一はもってこいの役者だ。キーハンターや柳生十兵衛にも言及したかったが、長くなるのでこの辺で留めておく。日本はまた得難い役者を失ってしまった。心よりご冥福をお祈りします。
 2021/07/01  ドラゴン桜という連続TVドラマが終了した。10年以上前にも一度放映されたことがある。元々は漫画で、偏差値の低い落ちこぼれ生徒を東大に合格させるという学園物
。主人公の先生は元暴走族ノリーダーで弁護士という設定。一見荒唐無稽なストーリーであるが、全く絵空事とも言えない。元暴走族で弁護士というのは実際にある。小生が嘗て勤務していた会社の顧問弁護士の一人に元暴走族で、喧嘩で高校退学、一念発起し弁護士となった人がいる。やーさんに対しても怯むことなく堂々と対峙しており、その胆力に感心したものだ。また偏差値40の生徒が東大に合格するということも、全く不可能とも言えないだろう。要は受験は頭の良さというよりテクニックがものをいう世界。勿論、頭のいい人はテクニックがなくても合格するだろう。小生の知人でも優秀な人は、数学でも公式は覚えないといっていた。当時(50数年前)人気のあった矢野健太郎の「解法のテクニック」という数学の参考書を使っていたところ「そんなもの読んでいるのか」と馬鹿にされたことがある。東大に行けなかった小生が言ってもあまり説得力は無いかもしれないが、大学入試もテクニックの優劣ではなく、本当の思考力を試す内容にすべきではないか。高校の予備校化反対を叫んでいた、昔の学園紛争の時代が懐かしい。
 2021/06/29  6月29日付、日経新聞のコラム春秋に、経産省職員のコロナ対策の給付金詐取事件と、昔の「光クラブ」事件が取り上げられていた。今回の経産省事件と光クラブ事件を結び付けるのは、少し強引過ぎると思われるが、あえて共通点を上げるとすれば高学歴の知的エリートの起こした、お金にからむ事件ということか。そこで今回は昔の光クラブ事件について少し触れてみたい。結論めいたことを言えば、お金という魔物に取りつかれてしまうと、それから逃れることが、いかに難しいかという事である。光クラブの山崎晃嗣については高校時代「高利貸となり得ざりし弁明」という彼の遺書を読み、妙に心にひっかかるものがあった。絶望的なニヒリズムに何故か説得力があった。そういう意味では今回の経産省職員にニヒリズムは感じない。まぬけな犯罪者でしかない。光クラブに話をもどすと同じ金貸しでも、金利が高いというだけで高利貸しは犯罪者となり、低金利貸の銀行員はエリートと呼ばれる。金貸しではなく、ファンドや投資で、仮に100万円の投資で50万円の配当があれば金利換算すれば50%になる。しかし違法でも何でもない。勿論、リスクや法的には全く異なるもので同一に論じることがナンセンスであることは重々承知であるが、純粋にお金の流れだけに注目すればリターンの大きい投資は〇で高利貸は×。なんか変だ。お金に関しては不思議なことが多いが、論じていけば他にも色々あり、長くなり過ぎるのでここで止める。蛇足だが山崎晃嗣をモデルにした「青の時代」という三島由紀夫の小説がある。小生は面白いと思ったが三島氏自身は失敗作と言っていた。バルザックにも金融小説に面白い作品がある。
 2021/06/25  この所、著名人の訃報に際ししての一言が多かったが、またしても知の巨人と言われた立花隆氏の訃報が伝えられたので、一言。
知の巨人と言われる所以は、その尽きることの無い好奇心から繰り広げられる、あらゆる事象への知見の広さ、深さだろう。言うまでもないが、田中角栄研究が最も有名であるが、小生は50年近く前「文明の逆説」という本に巡り合って感銘を受けた。今、改めてパラパラと再読してみたが、それほど古さを感じない。但しコンピュータに関してはパターン認識ができていないなど、今のAI、インターネット、コンピュータの飛躍的発展までは予見していない。しし氏の興味はあらゆる分野に及び、「サル学の現在」という本では山極氏との対談もあり守備範囲の広さが伺える。氏は正に知的水先案内人で、氏の推薦する本は、いつも興味をそそられてきた。そういう意味でも氏の果たしてきた功績は大きい。ところで氏が文芸春秋社に入社した時のエピソードを聴いたことがある。歓迎会の時、遅れてきた氏を半藤一利氏がぶん殴ったが、氏は悪ぶれることなく、遅れた理由を語ったとのこと。サラリーマンには元々向いていなかったのか2年で退社しジャーナリストになった。野人である。
ご冥福をお祈りします。
 2021/06/22  小林亜星・寺内タケシ・原信夫といった著名なミュージシャンの訃報が続く。今日はその中で寺内タケシにつて少しコメントしたい。
氏はエレキブームを日本にもたらしたベンチャーズの日本版ともいえるエレキの伝道者で、エレキの神様とも呼ばれていた。それにも拘わらず、何故か日本の戦後音楽史からほとんど無視され続けたことが不思議である。他のミュージシャンに大きな影響を与えたという話も聞かない。歌謡曲でもなく、ロックでもなく、GSでもフォークでもパンクでもジャズでもなく、その音楽的立ち位置が良く分からない.。全ての音楽シーンから孤高の如く、そびえたっている、というのならカッコいいのだが、そうでもない。故人には失礼な言い方かもしれないが、エレキギターの上手いオッサンという、色物扱いされていた様でならない。
50年近く前のことになるが、新宿のライブハウスで氏の演奏を聴いたことがある。ロック全盛期で、当時でさえ少し時代との違和感を覚えた記憶がある。インスツルメンタルという枠の中では限界があったのかもしれない。しかし最近まで全国学校ツアーを行い、エレキを不良のおもちゃではなく市民社会に浸透させてきた功績は大きい。また「レッツ・ゴー運命」「津軽じょんがら節]等、色々な試みはもっと高く評価されていいと思う。小生としては「レッツ・ゴー運命」路線、すなわちクラシックとの親和性をもっと深く追求し、そこに活路を見いだして欲しかった。勝手な言い分だけれど。改めて小林亜星し、原信夫氏とともにご冥福をお祈りします。
 2021/06/19 先日、流通経済学者林周二氏の訃報記事が小さく新聞に載っていた。失礼だが、今はそれほど知名度のある学者とはいえないが、小生にとっては少し思い出のある学者だ。40年以上前になるが、二度目の会社の就職試験の役員面談の時、ある役員から、最近読んだ印象に残った本について聞かれた。そこで小生は林周二氏の「数学再入門」という本について少し話した記憶がある。これには少し意図があった。文系の会社なので、数学につては深く突っ込まれないだろうという、よみがあり、予想通りあまり質問もなく、上手く、すり抜けることができた。他には東芝機械のココム違反のことや、組合問題など、かなり厳しい面談だったが、何とか合格することが出来た。そういえば、今また東芝は迷走しているが、昔から問題の多い会社だったな。
今思い返せば、面接時の小生は、角刈りのスーツ姿と、一見怪しい雰囲気があり、役員も小生に組合でも作られては大変だと思ったのかもしれない。今の就職面談はどうか分からないが、当時は圧倒的に会社側の買い手市場で面接も厳しかった印象がある。林先生の著書が合否に関係したとは思えないが、こんな事を思い出してしまった。ご冥福をお祈りします。
 2021/05/30  大阪の小学生がマスクを着け体育の授業を受け、死亡したというニュースが入ってきた。マスク着用と死亡との因果関係は、まだ明らかでは無いとはいえ、マスク着用について初めて否定的見解が聞かれた。運動中という限定的状況とはいえ、マスク否定論者である小生にとっては我が意を得たりといったところ。私事であるが、小生が利用しているジムで、いつもの様に、マスク無しで運動していたところ、数日後、ジムはから「マスクをして運動するように。更に入室時検温をしていなっか様だが、必ず検温をするように」と警告の電話があった。ジムは監視カメラが回っており、後日監視カメラを確認したところ、ふとどき者の小生が写っていたのだろう。入会時撮った写真と照合し小生にたどり着いたようだ。この事故によってジムの対応が変わることを期待するが、無理だろうな。マスクもさることながら、その監視体制に、不気味さを感じた。監視カメラに犯罪抑止効果があることは認めるが、運動中、始終監視されているのは気持ちのいいものではない。蛇足だがマスクと言えば、そのものずばり「マスク」という菊池寛の短編小説がある。100年程前スペイン風邪が世界中で猛威を振るっていた時の作品で、ここで詳細は述べないが、なかなか示唆に富む作品である。
 2021/05/28  ガッキーロスなる現象があるという。何のことなのか、さっぱり分からなかった。小生のピアノのミの音が変なので、欠陥楽器が及ぼす気持ち悪さを言うのかと思っていたが、そうではなかった。新垣結衣という人気タレント(小生は知らなかった)の結婚で、心に大きな空白ができてしまうことらしい。全く、理解し難い現象だ。いくらファンといっても他人の結婚で虚脱状態になるとは、つくづく日本は平和なんだなと思った次第。
 2021/05/27  久しぶりの一言。パソコンの調子が悪く暫く休んでしまった。今年、米国で17年周期のセミが大量発生している。米国では他に13年周期のセミも大量発生するといわれているが、いずれも羽化する周期が素数であることから素数ゼミとも言われている。この現象は日本の生物学者の学説でもある。要約すれば、他のセミの羽化する周期との公倍数(4年、6年、8年等)を避けることができるからということ。他の周期のセミ同士で公倍数の一致があると死亡率が高いといわれている。13年周期のセミと17年周期のセミが出会うのは実に221年後である。自然界における素数の不思議さの一つである。
 2021/04/27  人流という言葉が蔓延している。この面妖な言葉がイヤである。誰が何時言い始めたのか不明だが、人の流れでいいではないか。何でも二文字の漢字に略せばいいというものではない。蔓延防止を「まん防」と略すのもしかり。加えて、まんだけ、ひらがなを使うというのも気持ち悪い。蔓が常用漢字でないからかもしれないが、蔓延がよい。まんは目障りだ。そういえば最近は耳障りという言葉も散見されるがこれも変だ。変といえば、こ前、テレビで学識ありそうなコメンテーターが、竿さすを抵抗する意味で使っていたことに驚いた。夏目漱石の「草枕」を読んだことが無いのだろうyか。言葉も時代の変化に伴って変わることは分かっているが、それにしてもなー。誤用が誤用でなくなるのか。
 2021/04/26  先日、たまたま週刊文春を読んでいたら「絶滅時代のバンカーたちへヤメ銀」という連載記事があり、小生の知っている元バンカーの事が詳しく書かれていた。そこで紹介されていたのが元大和銀行(現在りそな銀行)の国定氏。小生、仕事柄、数多くの銀行員と接触してきたが、彼ほど印象に残っている人物はいなかった。一見ヤクザ風のがっらぱちで、歯に衣着せぬ物言いは迫力があり、まわりの行員は皆、かれの前では借りてきた猫の様におとなしく、一言も発言せず、微動だにしていなかった。彼と初めて会ったのは約30年前、正にバブル崩壊前夜の様な時だった。当時小生の勤務していたノンバンク(後に1兆3000億円の史上最大の負債を抱え倒産)の融資先に不安を感じていた国定氏に個々の取引先の状況を説明に訪問したのである。当方は財務担当常務、審査担当常務、財務課長、そして小生(審査課長)の4名。緊迫した雰囲気の中、国定氏の罵声が飛び交う。言われっぱなしなのもシャクなので小生が反論を始めると、返す刀で倍返しにあい、あえなく撃沈したことを覚えている。今では、完全にパワハラだろう。何か結論を出す様な会議では無かったが、敗残兵の様にトボトボと帰社した。しかし常務2名は共に大和銀行出身で、審査担当常務は銀行時代、国定氏の上司だったのだ。ビジネスとなれば長幼の序もへったくれもないのが現実。彼の言動が余程頭にきたのだろう、常務は「くやしくて、くやしくて、我慢できん。このまま会社にもどる気がせん。梅村君、ケーキでも食って帰ろう」といってケーキとコーヒーをおごってもらった。夜なら一杯ひっかけていたところだろう。国定氏はその後、専務まで登りつめたが、ニューヨークでの事件のせいかわからないが、結局、頭取にはなれなかった。そして、その十数年後、偶然にも新大阪駅でバッタリ国定氏と会ったのである。当時の迫力は全く感じられず、好々爺然として一回り以上小さく見えた。今は大学l教授をしているとのことで、昔の過激な言動を詫びたのには更に驚いた。この変貌振りは週刊文春を読んで納得できた。長くなってしまったが、小生が人生で一番張りつめて仕事をしていた遠い昔を思い出してしまったので、ごかんべんを。
 2021/04/23  <二流の愉しみ>
本棚を眺めていて、ふと山本夏彦の「二流の愉しみ」というエッセイ集に目がとまった。小生の愛読書で彼の本はほぼ全て読んでいる。しかし、パラパラとページをめっくて見ても思い出す箇所が無く新鮮で、一粒で二度美味しかった。二流と言えば、先日逝去した橋田寿賀子が生前、何度も自分の作品は二流だと、自信を持って語っていたことを緒も出した。二流という立ち位置は得も言われぬ居心地の良さがある。何故か世の中の矛盾や現実がよく見えるのである。小生、一流企業に勤務したことが無いので一流企業の様子はよく分からないが、その中の一流と言われる社員や役員の失敗が目立つ。そんな社員がいても倒産しないのが一流企業なのか。東芝、野村證券、日本郵政と一流企業の蹉跌は枚挙に暇ない。二流社員と言われる人の方がノーマルであることが多いのでないか。一流であるという過剰な自信の中に陥穽があるのかもしれない。
 2021/04/10  「それでも日本は戦争を選んだ」(加藤陽子著)を読む。高校生との質疑応答という形で語った、日本近現代史で2010年小林秀雄賞を受賞した作品である。詳細な資料に基づき、当時の政治家、軍人の心理が生き生きと記されており、様々な謎が解明される過程は推理小説を読むような感覚である。力作であり是非、一読をお勧めする。
蛇足であるが、著者は昨年、日本学術会議の新メンバーとして選ばれるはずだったにも拘わらず、任命拒否された6名の内の一人である。政府の意に染まない所謂左翼学者でもない優れた歴史学者である彼女が何故任命拒否されたのか、その理由を佐藤勝氏が文芸春秋誌で、するどく分析している。長過ぎて、ここでは紹介できないが、
興味ある方は昨年12月号の文芸春秋誌をご覧ください。
 2021/04/09  コロナ感染拡大防止協力金の支払い遅延について一言。時短要請に応じた対価として、小生の様な小規模店にとっては大きすぎる額であり文句を言う筋合いではないかもしれないが、それにしても遅い。昨年暮れの時短要請に基づく給付金がまだ交付されていない状況である。
審査する内容といっても、数字的な整合性のチェックは無く、必要書類がそろっているか否かであり、これほど時間がかかることが不思議でならない。更にいえば以前にも同じ様に申請しており、申請者の基礎データはあるはず。それを利用すれば数分あればチェック可能なはずである。おそらく相当無駄な人海戦術的チェックをしているのだろう。それはコールセンターの対応をみても推察される。進捗状況の問い合わせに対し、数々の情報を提供しなければ、対象店舗にたどりつかない。住所と名前だけで充分、対象店舗の特定はできるはずである。デジタル庁はまず都庁のシステムから変えてほしい。こういう場合、あり一匹漏らさない完璧なシステムを目指すのでは無く、スピードを重視したシステムにすべきである。銀行ではないのだから。給付金をあてこんで店舗改修している人もいるはず。なにはさておきスピードである。
 2021/04/05  最近、古賀稔彦、沢村忠、田中邦衛と著名人の訃報が相次ぐ。古賀稔彦は別格として、ほぼ同時期に亡くなった沢村忠と田中邦衛に対するメディア対応の違いがあまりに大きいのに驚く。知名度、大衆からの支持といった点で田中邦衛が大きく取り上げられるのは当然かもしれないが、沢村忠についてテレビ等で一切報じないのは、いかがなものか。今はやりの言葉で言えば格差が大きすぎる。まがりなりにも沢村忠はキックボクシング界の第一人者である。新聞の片隅に小さく載っていただけなのは、格闘技ファンにとってあまりに寂しい。キックボクシングはまだ色物扱いのままなのか。那須川天心がキックからボクシングに転身するのも分かる気がする。そういえば沢村忠は高倉健主演の「ごろつき」というヤクザ映画で、ほんのチョイ役で出ていた。「ごろつき」はヤクザ映画には珍しいキックボクシング映画で、主演の高倉健はキックボクサーと流しの二刀流という設定。これもめずらしく、流しとしてバーで網走番外地と唐獅子牡丹を歌う場面がある。沢村忠はキックボクシングジムで入門したての高倉健と少し会話するだけ。もっと出番があってもよかったのに残念だ。江夏豊だって野球では無く「最後の博徒」でベテランヤクザ映画俳優顔負けの存在感を示していたのだから。長くなったが田中邦衛についても一言。倉本聡が「北の国から」の主演に田中邦衛を選んだ理由が、最も情けない感じがする俳優だったからという。同感である。小生が一番印象に残っているのは「仁義なき戦い代理戦争」の一場面。田中邦衛は対立するヤクザに対し一番威勢よく殴り込みをかけようと、他の組に声をかけるも、どの組も消極的で色々理由をつけて腰をあげない。最後、菅原文太に骨は拾ってやるといわれ、すっかりお怖気づき、罰の悪そうな顔をし、殴り込みを止める情けないヤクザを好演していた。流石、深作欣二、役者を見る目がある。小生の悪い癖でどうも話が東映の方に行ってしまう。一言がまた長くなりました。申し訳ない。御三方のご冥福を心よりお祈り致します。
 2021/03/28  コロナ禍の影響で家にいる時間が増えたことから、毎日好きなピアノを自由気儘に弾いて過ごしている。ポピュラーが多いが、それも少し飽きてきたのでクラッシクに挑戦中。(何度も挫折している。好きな月光も結局途中で止めてしまった。)楽譜を分解してみると面白いことが分かった。ポピュラー音楽では、お馴染みのA,Am、D,Eといったコードが分散和音として頻繁に使われている。繰り返しも多く、ロックのリフに通じる。音楽好きの人にとっては、当たり前のことで、今更何を、ということなのかもしれないが小生にとっては新発見。。更にいえばクラシックとロックとの共通点も多い。特に一見真逆に見えるハードロック・ヘビーメタルとバロック音楽との親和性は高い。ハードロックの雄ディープ・パープルがバッハに強く影響されて曲造りをしていたことは有名な話。ヘビメタの天に突き抜ける様なボーカルとオペラ歌手のテノールは区別がつけにくい。ヘビメタの悪魔崇拝とクラッシクの聖楽的なコンセプトは近親憎悪というか、コインの裏表の様な感じもする。例えは変かもしれないが、思想的に極左と極右が似ている点が多いこともよく言われることである。ところでグランド・ファンク・レールロードートの「ハート・ブレーカー」と井上陽水の「傘が無い」はコード進行が全く同じである。エレキで大音量で流せばロックで、アコギで切なく歌えばフォークになる。音楽は不思議で楽しい。
 2021/03/22  21日でやっと緊急事態宣言が終わる。(メディアはみんな解除と言っている)まだまだコロナ終息の兆しは見えないが、少しは日常が戻るのかな。ところで時代を大きく俯瞰してみると何故か10年毎に大きな災いが起きている気がする。2011年は東日本大震災、2001年は、日本ではないがニューヨクの世界貿易センタービルへのテロ、1991年はバブル崩壊。
さて10年後大きな災いが起きない事を祈る。
 2021/03/21  作業着のワークマン、ワークマン女子が若い人に人気という。飽和状態の衣料品業界で異彩を放っているのは何故だろう。世の中、何が流行るか分からない。理由は色々あるだろうが、ふと思い出したのは嘗て小生が勤務していたVANのことである。オーセンティックなトラッドファッションに翳りが見えてきた時、VANは正に社運を掛けた、起死回生のブランドSCENEを売り出した。しかし、結果は大失敗し会社は倒産した。その商品コンセプトは一言で言えば、キチンとしたおしゃれな服をカジュアルにしたものだが、あくまでジーンズを代表とするカジュアルな服を、おしゃれにグレードアップしたのではないという,こだわりがあった。上手く表現できないが、販売促進部、宣伝部が作成したプロモーションビデオは非常によくできており、能書きだけはすばらしかった。激しい学生運動のデモ風景から始まり、若者の思考、行動様式の変化にもおよび、時代の変化に即応した、服に込めたカジュアル感覚の表現は見事だった。コンセプトに説得力はあったが、商品がだめだった。色も暗く、見た目は作業着そのものだった。今のワークマンにそっくり。では何故、ワークマンが売れ、SCENEがコケタのか。時代が違うことは充分わかるが、それだけではない。分かりやすく言えば、CENEはおしゃれなスラックスをカジュアル化したのに対し、ワークマンは逆にダサかった作業着をオシャレにしたからだ。上手く言えないが、極論すれば同じような物でも、上から下に下げるのでは無く、下から上に上げたものの方が顧客に与える印象はいい。コンセプトが間違っていたということなのか。ダサイ作業着をオシャレにすれば売れ、オシャレなスラックスをカジュアル化しても売れない。
加えて売り方にも大きな問題があった。SCENEはウールのスラックスの横に並べていたのが間違い。ジーンズの横に置くべきだった。

 2021/03/19  先日歳月は人を変えると言ったが、今日は真逆の事を一言。
部屋の整理をしていたら、この前紹介した泥棒の記事のその後の、と言っても前科7犯から13年後のことになるが、新聞記事の切り抜きが出てきた。見出しは三面記事らしく「え!あのひとドロ棒 一流ホテルから背広を着て出勤」とあった。何と18回目の逮捕との事であった。刑務所と娑婆を行ったり来たり、その人生の殆どは刑務所暮らしだったようだ。それ程の驚きは無かったが、こうなると再犯というより、もはや不治の病。人間は変わらないのだなあと妙に納得した次第。
 2021/03/17  長年続いていたラジオの深夜放送「走れ歌謡曲」が遂に今月末で終了するとの事。1968年スタートというから53年弱も続いていた事に驚く。小生も受験勉強を少しだけしながら、この番組を聴いていた。当時、音楽と言えば、ほぼ歌謡曲かフォークソングであり、ロックを聴く人はまだ極少数派。とても市民権を得るまでには至っていなかった。藤圭子やクールファイブに熱中していた自分が、まさか将来、ロックバーのマスターになるとは夢にも思っていなかった。歳月は人を変える。
 2021/03/15 今日で 丁度、ジャニス開店10年を迎える。開店当初、10年は続けたいと思っていたが、あっという間に来てしまった。予定では10周年記念のイベントも考えていたのだが、緊急事態宣言下、臨時l休業状態でそれもままならない。致し方ない。
思い返せば、宣伝もせず、ひっそりと開店し、果たして何人来てくれるか、不安と期待を胸に待っていたところ、4名の来店があった。皆、知人であるがゼロでなくほっとしたことを覚えている。震災直後で、まだバタバタしている中、よく来てくれたと今でも感謝している。停電で蝋燭を灯して営業したこともあった。残念なのは、この10年で何人かのお客様が亡くなったことだ。良かったこともある。、ここで出会い結婚したカップルがあったこと。後、何年出来るか分からないが、まだまだ続けるつもり。ところで休業中でもあり10年の節目に、階段とトイレの床を改修することにした。CDデッキは新しい物に買い替え、レコード針も代えた。再開する時には全体的に少しは良くなっているはず。
 2021/03/12  先日テレビのワイドショーを観ていたら、最近一流ホテルに長期滞在する人が増えているとの報道があった。コロナ下、客数が激減したホテルが、起死回生の打開策として打ち出した格安の長期滞在プランが人気という。コメンテーターが「どういう人が利用しているのしょうかね。」と疑問を投げかけていた。格安とはいえ、まだまだ庶民には高値の花で、利用客はやはり特別な人の様だ。そういえば小生の知っているホテ長期滞在者も一般人ではなかった。泥棒である。その泥棒は今から50年近く前、小生がアルバイトしていたスナックの常連で、ホテルオークラを年間契約で利用していた。ほぼ毎日、顔を出していたのが、さっぱり顔を見せなくなり、どうしたのだろうと心配していたら、常連の一人が、ある日、血相を変えて店に飛び込んできた。「〇〇さん泥棒だったんだ」と手に持った新聞をみせてくれた。そこには「財布しっけい男捕まるとの見出しとともに○○さんの写真が大きく載っていた。来なくなった理由は分かったが、記事によれば、前科7犯、住所不定、無職、氏名○○繁三とあり思わず笑ってしまった。名前である。店では○○繁三郎と名乗っており苗字だけが本当だった。全国の繁三さんには申し訳ないがやはり繁三より繁三郎の方が偉く見える。慶大卒の丸紅の部長で実家が大金持ちとの経歴にマスターはじめ店の全員がすっかり騙されていた。今思えば、怪しいところは多々あったが、高級スーツに身を包み、兎に角金払いが良かった。銀座、赤坂、六本木の高級クラブの常連でもあり、札入れはいつも万札でパンパンだった。話は変わるが、バブルの頃、料亭の女将尾上縫に天下の興銀の頭取もすっかり騙されていた。確かお茶の水女子大(奈良女子大だったかな)卒のインテリとの学歴詐称もあった。話をホテルと泥棒に戻す。○○さんはお金があるから高級ホテル住まいなのでは無く、住所不定、無職でアパートもマンションも借りれなかったからだろう。ホテルはセキュリティーが高く安全だが、逆にお金さえあれば誰でも簡単に利用できるので、どんな人が泊まっているのか分からず、不気味でもある。犯罪者の絶好の隠れ蓑にもなるのがホテルだ。犯罪者なのに、ついさんずけしてしまった。これも青春の思い出である。
 2021/03/11  東日本大震災から今日(3月11日)で丁度10年になる。10年前のその日は、ジャニス開店準備に追われていた。棚にウイスキーボトルを並べていた時、大きな揺れが襲い、最上段の棚からボトルが落下し、何本かが割れてしまった。散乱したガラスの破片処理と、酒浸りとなった床の掃除に苦労した。またその日は、プレオープンを予定し大学時代の友人を呼んでいたのだが、出席できたのは荻窪に住んでいた一人だけ。用意していた食材は、殆んど捨てることになってしまったが、何とか、4日後には無事開店することができた。開店時の話はまた後日。
 2021/03/07  LIBOR(ロンドン・インターバンク・オファード・レイトの略)が廃止されるという記事が新聞の片隅に載っていた。欧米大手銀行の不正操作により指標性に疑義が生じたことが原因らしい。小生、既に金融の世界から遠ざかって久しく、金融ビジネスに興味を失っていたがこの記事を観てふと昔を思い出してしまった。洋服屋からりース会社に転職した時、まず驚いたのは社内で飛び交う、金融用語の数々だった。それがLIBOR,長プラ、IRR、BP等々だった。直接業務としてLIBORとは係わっていなかったが、国際案件では運用利回りの指標になっていた。審査部にいたため、兎に角早くキャッチアップしなければと、10冊くらい専門書を購入し、土日も無く猛勉強した。人生で一番勉強した時期だったのではないかな。バーテンには殆ど役にたっていないけど。
 2021/03/03 3月7日に期限を迎える緊急事態宣言について世間は解除か延長かで意見が分かれている。どうでもいい事かもしれないが解除という表現について一言。解除とは契約の効力を無くすことであることは言うまでもないことで、期限まで何もしないのであれば解除という表現はおかしいのでは。3月7日以前に止めるのであれば解除という表現に問題はないが、そうでなければ、終了というべきだろう。解除か延長ではなく、終了か延長かである。3月7日という期限が到来すれば、そもそも解除すべき契約がないのだから。法律の専門家に聞いてみたい。
 2021/03/02  山田広報官が体調不良を理由に入院し辞任した。窮地に立った時、都合よく緊急入院するのは偉い人の常。いざと言う時の入院に、少しでも説得力を持たせるためには、彼女の様に蒲柳の質の人がふさわしい。会社でも偉くなる人は、何故か少しは病気を経験している。ちなみに異常なくらい健康な小生は、出世はおろか、最後は追い出し部屋で、定年を迎えることなく憤死した。(36年間のサラリーマン生活で体調不良で休んだのは2日のみ。本当は半分ずる休みだったが。小学校4年以来、熱を出した記憶もないのだ。)健康過ぎるのは非人間的で可愛げが無い。2~3日風邪でもひいて休んだ後、出社し、すみませんでしたと頭を下げた方が印象はいい。出世するには可愛げがあることが必須。鉄人である必要はない。しかし負け惜しみではないが、今では出世より健康が大切と思っている。
 2021/03/01  レディーガガの愛犬が何者かに強奪された。これに対し彼女は、もし愛犬を返してくれるなら無条件で高額の資金を提供するとコメント。マスコミは事実関係は報道するが、ガガの行為に対し何もコメントしなかった。しかしこの行為は問題だ。愛犬可愛さというのは分かるが、散歩代行していた人が銃で撃たれているのである。これは大きな事件であり警察の捜査に支障をきたすのではないか。きつい言い方かもしれないが、ガガの行動は金で犯罪に蓋をしてしまうことである。大物歌手で被害者という立場を考慮し遠慮しているのかもしれないがメディアは、はっきりおかしいと言うべきである。その後、詳細は不明だが犬は返ってきたそうだ。
 2021/12/19  東京五輪パラリンピック大会組織委員会の会長選びが迷走していたが、ようやく橋本聖子氏に決まる。しかし、この一連の報道に関して、マスコミは少し騒ぎ過ぎ。たまたま森氏の女性差別とも、とれる発言をきっかけに事が大きくなってしまったが、本来、組織委員会はオリンピックの裏方のはず。地味に徹し、マスコミという表舞台に出てくる必要はない。会長だってひっそりと決めれば良い事。急に、やれ、選定方法が不透明だ、世論がどうだ、ジェンダーがどうのこうの、透明性云々と議論がふって沸いてきた。小生に言わせれば、みんな大した問題ではない。今まで会長選びなど全く関心の無かったマスコミが、急にいつもの事ながら、上から目線で、したり顔で有識者を呼び、講釈をたれ始めた。気持ち悪い。話は変わるが、国の経済活動を左右する重要な日銀総裁だって国民の知らない間に決まってしまう。人事というものは何であれ、人々の関心を呼ぶ。それは、意識が高いからではなく、単にそこにドロドロとした人間関係をのぞき見したいという低次元な欲求があるためだ。それを、さも高次元な話であるかの如く、糊塗し話を広げたがるのがマスコミの悪弊だ。日本社会の姿勢が問われているという言動に至っては大袈裟過ぎてどうしようもない。世界が注目しているという報道もあるが、海外メディアの顔色を窺いながら決定することではない。数カ月も経てば世界はすっかり忘れているだろう。電波はもう少し重要な報道に使って欲しい。
一連のマスコミ報道が世論、世論と騒ぐので、ついでに一言。世論(大衆)という怪物に振り回され、かつ振り回すマスコミ、メディア、政治家に対してはオルテガの名著「大衆の反逆」から次の一文を紹介したい。「最大の善と最大の悪の可能性そのものであるこの大衆人を徹底的に知ることが極めて重要なのである。」
 2021/02/16 東京都現代美術館で開催されていた石岡瑛子展を観る。平日だというのにチケット購入に一時間半も並んだ。緊急事態宣言下とはとても思われない混雑ぶり。じっくり観たかったのだが人波の多さに疲れてしまい、最後の方のブースはさっと観るだけだった。しかし内容は充実していた。60年代から70年代にかけての熱気あるポップカルチャーを体現しており、その斬新さは今でも全く色褪せていない。芸術鑑賞は不急かもしれないが、不要ではあるまい。
 2021/02/15  ジャズピアニスト チック・コリアが亡くなった。日本の若手ピアニストとして今活躍中の上原ひろみが弱冠17歳の時、共演し話題を呼んだ相手がチック・コリアだった。それだけ彼がジャズ界の大物だったということ。もう50年近く前のことになるが、小生がアルバイトしていた新宿のスナックで時々かけて聴いていたのが彼の「ナウ・ヒー・シンクス・ナウ・ヒー・ソブス」というアルバムだ。それまでフュージョンというジャンルを知らなかったが新しいジャズに出会えたことを覚えている。彼を偲んで久しぶりにジャニスでそのアルバムを聴いていた。ご冥福をお祈りします。
 2021/02/04  東京オリンピック・パラリンピック組織委員会、森会長の女性蔑視ともとれる発言が物議をかもしている。彼の失言は過去何度もあり、相当学習能力を欠いていると思えてならない。現在の世界の状況、潮流を考えれば、特に女性差別に繋がるような発言が世界にどういう影響を及ぼすかなんて、容易にわかりそうなもの。女性特有の事象は、たとえ、それが真実であったとしても、より慎重に発言しなければいけないことは今や常識である。女性は全般的に優秀で、正義感も強く、真面目なのでリスペクトすべきである。話は少しそれるかもしれないが、小生が主に生業としていた債権回収業務は意外と、女性に向いている。延滞不良債務者が何と言おうと、女性はおしなべて滅多なことでは妥協しないし、正義感が強いため正論を通し、取り立ては厳しい。あまりの厳しい取り立てにj上司の小生に泣きついて来た債務者もいた。男の方が情にもろい傾向があり、本来、男は回収に向いていない気がする。話がそれてしまったが、要は女性は優秀だが、男性にはよく分からないということ。脳学者でも人類学者でもない素人が女性の性癖に手を突っ込むと大ヤケドする。(女性が債権回収業務に向いているという小生もその例に漏れないか。)男女の機微に精通していたと思われる野坂昭如でも男女を男類、女類と区分し結局、女性は理解できないと、終始、女性を崇拝する姿勢を貫ていた、。分かる気がする。森氏も謙虚に女性を崇拝していればヤケドしなくて済んだかもしれなかった。
 2021/01/31  トランプ大統領が敗れ、バイデン大統領が誕生した。その大統領選でトランプが言い続けていたのが、不正選挙が行われていたということ。その真偽の程は定かでは無いが、もし本当に選挙結果を大きく左右する程の不正選挙が事実であるならば、トランプの失敗は、任期中に欠陥のある選挙制度を改革しなかったことだと思う。地味な仕事で、あまり興味は無かったのだろうが、選挙制度は民主主義の根幹である。結果の出る前にやるべきだったはず。
 2021/01/28  坂本スミ子が逝去した。映画「楢山節考」での前歯を削り取っての熱演が話題を呼んだが、小生は1966年、中三の時に観た「エロ事師たちより人類学入門」の方が思いで深い。エロという言葉につい、フラフラと導かれ映画館に入ってしまった。人類学に興味があった訳ではありません。中三といえば学校でエロ本を回し読みしたり、とかくエロに関しては興味津々の年頃。しかし内容は期待が大き過ぎたせいか、彼女はそれ程エロく無く、少しがっかりした想いがある。むしろ、その後出演した、林海象監督の「濱マイクシリーズ」第二弾での老いた街娼役が強烈なインパクトがあった。蛇足であるが、永瀬正敏演じる濱マイクはミッキースピレインの探偵小説の主人公マイク・ハマーをもじったものと思われる。どうでもいいか。小生をエロ映画好きに導いてくれた坂本スミ子氏に、謹んでご冥福をお祈りします。
 2021/01/14  昭和史研究の泰斗 半藤一利氏が亡くなった。氏は小生にとって、学校では学べなかった一番興味ある昭和史の正に先生であった。その著書は説得力があり、親しみやすい文章は分かりやすく、歴史に目を開かせてもらった。何故、無謀な太平洋戦争を始めてしまったのだろうかという、誰もが知りたい理由を考える礎を与えてくれた。心よりご冥福をお祈りします。
 2021/01/12  新年早々、緊急事態宣言が発出されたため、ジャニスも時短要請に応じることにした。しかし7時以降、酒が出せないというのは、7時開店のジャニスにとっては休業しろというのに等しい。国や都はバーの営業のことなど考えていないのだろう。他の店はどうするのだろうか。まあ相当の協力金が出るので良しとするか。
ところで先日、岩田健太郎という感染症の専門医が書いた「僕がPCR原理主義に反対する理由」という本を読んだ。その主張は小生の考えに近いもので、なかなか示唆に富むものだった。世間の人とのコロナ感染症に対する考え方の相違に、自分は変人なのかと思い悩んでいた中、少し安心した。しかしこの著者は医者、学者の仲間からすれば異端とまでは言わないが少数派だろう。
 2020/12/31  今年ブレイクした瑛人の「香水」の中で、ドルチェ&ガッパーナという決めのフレーズがあるが、他でも歌謡曲でファッション・デザイナーが登場する曲がある。増位山の「そんなナイトパブ」という曲である。ホステスが馴みの客のためにカルダンのネクタイを買って待っているのに店に来ないという内容。「カルダン仕立てのネクタイを、買ってあるのに」とボヤくのだ。そのピエール・カルダンが先日98歳で亡くなった。カルダンは昭和の時代、歌謡曲の詩に登場するほど大衆に浸透していた。(広く商品が行き渡っていたというのではなく、それ程、知名度が高かったということ)当時、日本はまだ貧しく、西洋(特にフランス)に対する憧れが強く、フランス製といだけで有難がっていた。ましてカルダンといえば水戸黄門の印籠みたいに皆ひれ伏した。(少し大袈裟か)また彼はライセンスビジネスの先駆者でもあり、多くの雑貨にカルダンのロゴが使われていた。ネクタイだってカルダン自身がデザインしたものではないだろうが、カルダンという名だけで高く売れた。話は変わるが、小生、増位山のファン(相撲ではなく歌の方)で、そんなシリーズはもっと作って歌って欲しかった。
来年は1月5日から営業予定です。良いお歳を。
 2020/12/29 今年はコロナ一色の年だったが、幸い周辺に感染した人がいないため、コロナ感染恐怖の実感があまりない。世間のビビリ方と温度差を感じるが、コロナワクチン接種が始まれば、少しは安心感が広がり経済も上向くだろう。
この一年良いことは殆ど無かったが、持続化給付金をはじめ国や都の公的資金援助は有難たかった。正に干天の慈雨。閑話休題。
ところで2020年を一年だけで見るのではなく、半世紀50年遡って、1970年からの時代の大きな流れの中で俯瞰してみると、そこから色々なことが見えてくる。個人的には1970年は高校を卒業した年で、様々な呪縛から解き放され、まだ社会人ではなかったが、本人は大人になったつもりだった。。それから50年経った今、当時思い描いていた自分とは大きく異なってしまったが、社会についての変化は、想定内だった気がする。インターネットをはじめとする情報通信技術の進歩、AIの発展は大きいが、社会変革とまでには至っていないのでは。コロナを通じ色々な事を考えさせられた一年でした。
 202012/26  なかにし礼と中村泰士が相次いで逝去した。この二名は昭和を代表する偉大な作詞家、作曲家で本当に残念である。筒美京平といい今年は昭和歌謡界の重鎮の訃報が相次ぐ。ご冥福をお祈りします。歌謡曲の話ではないが先月、なかにし礼の直木賞受賞作「長崎ぶらぶら節」の舞台ともなっていた思案橋を訪れた。しかし、そこに橋は既に無く地名だけが残っていた。(あたりまえか。遊郭だった所だし。)20年程前、京都太秦の東映映画村で「長崎ぶらぶら節」の舞台となった思案橋のセットを観て是非、本物の思案橋を観たいと思っていたのだが、思いは叶わなかった。いつ橋が取り壊されたのかは知らないが、街は変わっていくものだなと、つくづく感じた。
 2020/12/25  年賀状を書きながら考えた。今は、ほとんどの人が年賀状の表の宛名先はパソコンで印刷している。時間の節約になるし、字の下手な人には都合いいかもしれないが、小生は今でも手書きにこだわっている。出す枚数が少ないこともあるが、宛先の一人一人に思いを馳せながら書いていく作業は、時間はかかるものの以外と楽しい。忘れかけた漢字も再度覚えるし、手を動かすことは認知機能低下防止にも役立つ。少し大袈裟かもしれないが、人間、経済合理性、効率や便利さだけで行動している訳ではない。経済合理性、効率至上主義に、僅かながら抵抗しているのは、宛名書きだけではなく、店でアナログのレコードやCDをかけていることもその一つ。不便さに、あえて価値を求めることもありだろう。時々スマホを忘れて出かけることがあるが困ったことは無かった。あれば確かに便利だが無くても生活に困ることはない。ゴリラ博士の山極氏に「スマホを捨てたい子どもたち」という著書があるが納得することが多く、示唆に富む内容だ。年賀状を書きながら色々なことを考えた次第。
 2020/12/20  先月、新宿TSUTAYAが遂に閉店した。ネット配信で映画を観る層が増え、CD・ビデオレンタルショップは苦しい経営環境にあることは分かるが、利用者としては、もう少し頑張ってもらいたかった。この新宿店は他のレンタルショップではあまり見かけないB級邦画の品揃えがよく、小生のようなB級映画ファンにとって閉店はとても残念だ。新東宝時代の石井輝男監督のラインシリーズ等得難い作品がかなり豊富だった。このシリーズでは小生の好きなグラマー女優(今では死語か)三原葉子が天知茂や吉田輝雄の相手役として必ず出ており、ファンにはたまらなかった。彼女の色気は東映に移ってからも衰えることなく、名作「0課の女 赤い手錠」では41歳という年齢にも拘わらず熟女の色気を存分に発揮していた。一連の新東宝映画は、叶わぬことではあるが、きれいな映画館ではなく場末のすえた匂いのする映画館でラムネでも飲みながら観たいものだ。余談だが三原葉子に関してはフランス文学者鹿島茂のすぐれた評論がある。(昭和怪優伝 中央文庫)興味のある方はどうぞ。
 2020/12/19  今評判の「鬼滅の刃 無限列車編」を、馬には乗ってみよの精神で観てきた。小生の評価はやや厳しいかもしれないが70点位かな。漫画の原作を読んでいないので鬼滅の刃自体の論評はしない。気になった点は、映画は長い原作の一部ということで、原作を読んでいない者にとては分かりにくい。主人公が鬼退治に至った理由、妹が半分鬼になった理由、鬼滅隊を結成するに至った経緯等が描かれていない。起承転結でいう起が抜け落ちているのだ。限られた長さという中で難しい点はあったのかもしれないが、ここがポイントである。小生の個人的趣味かもしれないが、仲間(ここでは鬼滅隊)とともに悪と戦うという場合、黒沢明の「七人の侍」のように、それぞれ個性ある戦士を選ぶ過程が楽しいのだ。御馳走でいえば、そこは前菜で、それがあってこそ今後の展開に対する期待感が膨らむというもの。小生なら短縮するにしても原作をある程度は、忠実に再現し、パート1.パート2・パート3位に分け、儲けることを考えるだろう。柳の下に鰌は三匹はいるはずだから。
 2020/12/18  先日コロナ感染拡大防止策として会話禁止という馬鹿げた案を提示したが、今日はコロナとは関係なく会話について一言。
小生が時々行く喫茶店で、コーヒーを頼むと、ウエイトレスというか、おばあさんが「ハイ、コーヒーです。」と大きな声をかけてコーヒーを持ってくる。間違いではないが、喫茶店でコーヒーを頼むことは、ごく普通のことで、あえて、これがコーヒーですよと説明されなくてもよいのではと最初は少し違和感を持ったが、感じはいいし最近では無言で持って来られるより、何かそこに暖かい交流を感じるようになった。会話は無いが人間、しゃべることは大切だ。以前、何かの本で読んだのだが、ヒットマン(殺し屋)は絶対無言で人を殺すという。「あなたに何の恨みもないが死んでもらう」なんて映画のようには絶対しゃべらないとのこと。喋ることで情がわき、殺せなくなるらしい。逆に殺されそうになった時は、何でもいいからヒットマンに話しかけ、もし会話ができれば、それだけで殺されずにすむかもしれない。
これは極端な例であるが、なるほど斯様に会話は人間にとって重要なのである。早くコロナが終息し、サイレントではなく、楽しい会食が出来る様になることを願うばかりだ。
思いつきで更に余計なことを一言。インストゥルメンタル中心のジャズがある一定の人にだけ愛されるのに対し、歌謡曲、ロック、ポップスが広く大衆に支持されるのは、そこにプラス歌があるからではないだろうか。
 2020/12/17 コロナウイルス感染拡大について一言。
勝負の三週間とか、コロナと戦えとか威勢はいいが、現実と遊離し、その言葉だけが空疎に響く。そもそもコロナと戦うのではなく、コロナから逃げろと言っているだけで積極的施策とは思われない。政府は本気で感染を抑え込みたいのなら、会話禁止令の発令、筆談と手話の導入でもするしかない。勿論これは非現実的な話であるが、会食での会話制限なら可能だろう。個食に対しては優遇措置を講じ、二人以上の会食には高額な税を課す(特に五人以上はさらに高額)というのはどうだろう。その方法につて小生に妙案はないが、頭のいい官僚なら、いくらでも思いつくはず。ついでにマスクについて一言。
マスクについて小生は以前からその効果に疑問を持っており、周りからは白い目でみられている。しかしこれだけ国民全員がマスクをしているにも拘わらず、感染拡大が一向に減らないのは、逆にマスクにさほどの効果がない証拠ではないか。全ての感染者がマスクをつけていなかったというなら分かるが、おそらくそうではないだろう。マスク着用を含め感染者の行動履歴を詳細に検証しているのだろうか。そういうこともせず、マスク着用に疑問を持つ者をマナー違反者、非国民。狂人とみる社会が怖い。
 2020/12/12  ジョン・レノンが亡くなって今年で丁度40年になる。
(1980年12月8日没)暫く聴いていなかったジョンの曲を哀悼の意味も含め、この一週間聴きまくっている。改めて彼の天才ぶりに感服した。その独特の声は好き嫌いがあるようだが、小生は好きだ。「ミスター・ムーンライト」「カムトゥギャザー」をはじめ、ドギモを抜く歌い出しが今となっては普通に聴ける。話は飛ぶが、ジョン・レノン本人に会ったことがあるのが小生の数少ない自慢である。(前にも少しふれたことがあったか)
 2020/11/23  東映グループの会長岡田祐介が死去した。申し訳ないが同氏につては殆んど興味がなかった反面、父親の故岡田茂に関しては強烈な印象が残っている。東映中興の祖の氏は東大柔道部出身の猛者で、エキストラの件でヤクザと渡り合う等、武勇伝は数限りない。映画にイデオロギーを持ち込まず、徹底してエンタテイメントを目指していた。柳の下にはドジョウは何匹もいるというのが持論で、作品がヒットすれば何のためらいもなく、新何々、続何々と同工異曲の作品を量産する姿勢も氏ならではのものだった。また、周囲の反対を押し切り、山下耕作を入社させたり、新東宝から鬼才石井輝男監督を迎える等、人を見る目も確か。残念なのは、深作欣二、笠原和夫の黄金コンビで企画された「実録 日本共産党」が陽の目をみることが無かったことだ。もし実現していれば大島渚の「日本の夜と霧」とはまた違った日本共産党が描かれていただろう。東映のことになると、つい熱が入ってしまう。息子さんの訃報に接して親父さんのことばかり書いてしまった。悪しからず。改めてご冥福をお祈りします。
 220/11/21  大学生の就職内定率が69・8%という新聞記事を目にし、つくづく生まれた時期で、運・不運の差が大きく、何とも言えない気持ちになった。数年前までは売り手市場だった労働環境が嘘のようだ。失業者の転職状況はもっと深刻だ。自分の意志や努力と無縁のところで、人生を左右する状況が存在するということは、致し方ない現実とは言え、つらいことだ。小生が就職した1975年(昭和50年)は第一次オイルショックの影響を受けたとはいえ、高望みしなければ、就職できないという状況ではなく、のんびりしたものだった。大学時代遊び過ぎ、学業成績の悪さから成績表を求められた企業からは、ことごとく落とされ、唯一、学業成績を問われなかったアパレルメーカーにひっかかった。それから、やや波乱に満ちたサラリーマン人生が始まった訳であるが、新聞記事を見て、ふと就職に苦労した昔を思い出してしまった。今の大学生にしてみれば当時の小生の状況なんて天国のように見えるかもしれないが。
 2020/11/20  1週間の休みをとり、店の常連客とGO・TOトラベル制度を利用し九州旅行に行ってきた。小生はこの制度をまだよく理解できていないため、全て同行した常連客にやってもらい、レンタカーを借り切り、九州全県を走破した。運転もお願いし本当に楽をさせてもらった。感謝の限りである。ちなみに一番印象に残ったところは、素晴らしい自然と神々しさを感じた高千穂である。
 2020/11/05  11月1日から3日にかけて高校時代の友人と東北旅行に出かけた。2日目は生憎雨だったが、奥入瀬渓谷の紅葉は見事だった。雨で十和田湖を探索できなかったは残念だったが、翌日は晴れ、松島の遊覧船にも乗れ楽しい旅行だった。
ところで11日(水)から17日〈火)まで店休みます。宜しくお願いします。。
 2020/10/13  歌謡曲の作曲家「筒美京平」が逝去した。氏は昭和歌謡の巨人で、そのポップで馴染みやすい楽曲は、今でもカラオケで歌い継がれている。アーティストというより偉大な職人と言った感じだ。ジャニスも一時期、土曜日のみ昭和歌謡ナイトと銘うち、オールド歌謡曲ファンを取り込もうとしたことがあった。今は止めているが、また復活してみるか。小生を含めロックファンで歌謡曲好きは多い。ご冥福をお祈りします。
 2020/10/08  ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリスト エディー・ヴァン・ヘイレンが逝去した。ここ数年、店でハードロックをかけることは、めっきり少なくなったが、時々若い頃を思い出し聴くことがある。ヴァン・ヘイレンもそんなバンドの一つ。昔のギター小僧はディープ・パープルのリッチー・ブラックモアとともに彼の速弾きに憧れたものだ。名盤「1984」は楽曲より赤ん坊がたばこを指に挟んでいるジャケットが印象的だった。余談だが、丁度今ジョージ・オーエルの「1984年」を読んでいる最中である。ご冥福をお祈りします。
 2020/10/03  トランプ米大統領の少額納税が取り沙汰されている。その真偽のほどは定かではないが、もし本当に殆ど納税していなかったとしても、それが合法的であるなら特に問題視することではない。彼は元々ビジネスマン出身で、優秀な経営者は、異論はあるかもしれないが、節税に長けた人である。もっとも彼は過去に何度もを会社を倒産させており、その意味では優秀ではないかもしれないが。但し大金持ちのくせに、税の抜け道を駆使し、納税を回避していた人間が、大統領の資質として適切かどうかという問題は残る。しかし、そのことも含め彼を大統領に選んだのは米国民の判断の結果である。再度節税であるが、小生が勤務していたリース会社は節税をうたい文句に商売していたが、社会から批判されることは無かった。タックスヘイブンとしてケイマン島が無くなっていないことからも、それは伺える。
 2020/10/02  日本学術会議が推薦した新会員6名の任命を菅首相が拒否した。これは大きな問題である。報道されているように、もしこの6名が政府の意に染まない思想を持っているという理由なら菅内閣崩壊に繋がりかねない重大な事である。少なくとも拒否した納得できる説明が求められる。政府に関係するあらゆる組織が全てイエスマンで固められてしまえば、習近平の独裁政治を批判することはできない。また、穿った見方かもしれないが、丁度、会長が山極氏から新会長に交代したタイミングでの発表が気になる。新会長のことはよく知らないが、少なくとも山極氏は怖いもの知らずで嘗て、官僚ともバトルを繰り返していた。小生も彼の性格は知っているが、簡単に権力に与する人間ではない。彼が会長中に任命拒否すると更に問題が大きくなることを見越してのこのタイミングだったのではないかとも思えてくる。。
 2020/10/01  国土交通省が基準値価格を発表した。古くから言われていることであるが、この基準値価格を含め公的機関による不動産価格が4種類もあることが、分かりにくく不合理である。4種類とは公示価格・路線価・固定資産評価額・基準値価格である。それぞれ、使用目的が異なる事からであることは理解できるが、これは縦割り行政の無駄以外何者でもない。是非、菅政権で改善を期待したい。一物一価の原則に基づき、使用目的に応じ一定の掛け率を付し目的を達成すればよいだけのことである。
 2020/09/30  河野大臣の「ハンコ廃止」発言から、日本のハンコ文化の見直しが既に既に始まろうとしている。大いに結構なことだ。私事であるが、つい先日、去年の確定申告書の控えを紛失してしまったため杉並税務署に申告書の閲覧申請をした時のこと。申請書の申請者欄に捺印箇所があったが、ハンコを忘れていたため、署名だけでお願いしたが受理されなかった。運転免許書を見せ本人確認もできているのに役所のルールなのだろう。どうしてもハンコが無ければダメだと言われてしまった。たかが申請書、依頼書である。未来永劫二度と誰も観ることのないであろうこの申請書は役所のどこかに大切に保管され続けるのだろう。河野大臣のハンコ廃止発言は役所の内部文書のハンコ廃止で、この申請書のような外部との関係書類の捺印廃止ではなかったかもしれないが、無意味なハンコであることには変わりない。日本ではまだ、自署より誰でも入手可能な三文判のほうが優先される、おかしな慣習が残っている。河野発言が日本ハンコ文化に対して一石を投じた意義は大きい。紙とハンコは表裏一体の関係もあり、ハンコ廃止は更なるペーパレス化を推進するのは間違いない。伝統的な稟議制度自体の見直しに繋がる問題でもある。
 2020/09/15  コロナ禍の状況下、経済か命かと極端な二項対立に問題を単純化する風潮に違和感を覚える。命が大切なことは当然だが、そういう問題として扱うべきではないだろう。話は少し変わるが、自然災害に対する心構えとして、マスコミは「まず自分の命を第一に行動するように」とさかんに警告していた。これにもどこか違和感がある。自分だけが助かればそれでよいのか、随分エゴイスティクな感じで、そこには他者に対する共感力が感じられないのだ。おためごかしのステロタイプされた「命が一番大切」報道が、どこか生命至上主義という絶対的価値観の押し付けのように思えてならない。
 2020/08/15  渡哲也が逝去した。著名人の訃報に接するたびに、つきなみな一言を発してきたが、今回も相変わらずの一言。お許しいただきたい。渡哲也といえば故石原裕次郎の弟分で日活の大スターといった印象を持つ人が多いと思われるが、小生にとって渡哲也はちょっと違う。病後初めて出演した東映の「仁義の墓場」での迫真の演技に圧倒され、以後大ファンになったのだ。この映画は東映実録路線の中でも傑出した一本だ。ちなみに小生が勧める実録ベストスリーは「仁義なき戦いシリーズ」「県警対組織暴力」そして「仁義の墓場」だ。映画の話になるとつい熱が入ってしまう。悪しからず。仁義の墓場に戻る。映画の後半はほとんどセリフが無く、自決した愛人の骨をかじりながら、殺戮を繰り返し、狂気が宿って転落していく姿を見事に演じていた。(前半と後半では脚本家が異なる)
こういう映画はもう出てこないだろう。少なくとも地上波TVでは絶対流れないと思われる。ご冥福をお祈りします。
 2020/08/03  新型コロナウイルスについて、もう何も言うまいと思っていたが、あまりに世間の常識と小生の考えが違うので批判を承知で一言。効果的な感染拡大防止策は何かあるのかと騒がしいが、小生の考えは、何も対策を講じる必要は無いということ。マスクもしない。三蜜も避けない。コロナが流行る前と同じように行動すること。こんなに皆ながコロナに怯え、自粛していたら日本は沈没する。あえて言うなら、これからは、テレビは感染者数を公表しないこと。感染者が増えた増えたと大騒ぎし世間を不安に陥れる報道は即刻止めるべき。また感染者を、まるで犯罪者のように扱うことも即止めるべき。感染者は、たまたま確率の非常に低いロシアンルーレットにあたってしまった被害者なのだ。会社でも、自分の会社から感染者は絶対出さないというような変な決意表明は従業員にとっては迷惑な話。行動を委縮させるだけだ。たまたま感染してしまった人に対しては優しく接すること。ところでエチケットと称して全員がマスクをしている光景は気持ちが悪い。一刻も早く、全国民が洗脳から解放されて欲しい。洗脳させたマスコミの罪は重い。
2020/07/30  先日イギリスのロックバンド「フリートウッドマック」のギタリスト ピーター・グリーンが亡くなった。今ではごく一部のブルースロックマニアくらいしか聴かなくなったバンドであるが、小生はその楽曲ではなく、「キリンハウス」という初期のアルバムのジャケットが気に入っていた。
赤と緑という補色を使った、童話の挿絵の様なジャケットが妙に頭に残っていた。補色を使うというのは一般的ではなく、余程の画力がなければ、不快感を感じさせるものだ。ところが、この絵は赤と緑が線描の様に絶妙なバランスで使われており、不思議な雰囲気を醸し出している。絵画ではないが、ファッションでもストライプのシャツにストライプのネクタイは見た目すっきりせず一般的ではない。しかしあえて、そのタブーを破り、パターン&パターンでもオシャレに着こなす人がいる。少し大げさかもしれないが、そこから見えてくるものは、定型的な規範を破ることで、芸術的な美も生まれてくる可能性があるのではということ。ピーター・グリーンの訃報から話が変な方向にいってしまった。ところでキリンハウスに彼は出演していない。念のため。
 2020/07/13  米国の老舗名門アパレルメーカー「ブルックス・ブラザーズ」がチャプター11を申請し経営破綻した。アパレルといえば、つい先日レナウンが破綻したばかりで、改めて時代の変化を感じる。ブルックス・ブラザーズは小生が初めてニューヨークに行った時、そこでお土産として淡い黄色のネクタイを買った思い出がある。自慢話となるが、当時日本のビジネスマンで黄色のネクタイを締めている人はあまり見かけなかった。ニューヨク勤務の経験のある役員から「ニューヨーカーみたいだな」と言われたことが妙に嬉しかったものだ。そのブルックス・ブラザーズが日本に初上陸した際(1979年)、出店した場所が旧ヴァン本社、VAN99ホールの跡地で感慨深いものがある。青山通りの顔であったVANが無くなり、その後青山のランドマーク的存在となったブルックス、ブラザーズもつぶれるなんて。方丈記ではないが、まさに「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。中略 世の中にある人と住処とまたかくのごとし」ではないか。但しブルックスの日本法人は存続するが青山店は移転するようだ。
 2020/07/08  1960年代前半、一世を風靡したイタリアの西部劇「マカロニ・ウエスタン」(代表作 荒野の用心棒)の音楽を担当したエンニオ・モリコーネが死亡した。彼の音楽無くしてマカロニ・ウエスタンは成立しないといっても良いくらい、インパクトある音色だった。そこでマカロニ・ウエスタンの大ファンの一人として一言。
今では正統的映画史からは抹殺されたかの感のあるマカロニ・ウエスタンだが、何故これ程までに不当な扱いを受けるのか、いつまでも色物扱いでB級以下とは気の毒でならない。まあ人生を考えさせる様な作品ではないけれど、娯楽作品としてはよくできている。登場人物は皆、悪そうな顔をしているし、、荒涼とした町にたむろする、髭ずらの男たちは、何を生業としているのか分からない得体の知れない連中ばかりで、それだけで不気味だ。早撃ちの主人公が昼間から酒場でブラブラしている悪党を一掃するのはワンパターンだが、一種の様式美さえ感じさせる。その後のアクション映画を得意とする、タランティーノやロバート・ロドリゲス等にも影響を与えたのではないかと思える。忘れ去られたマカロニ・ウエスタンの復権を望むばかりである。蛇足だがタンティーノはメジャーなので改めて作品紹介はしないけれど、ロバート・ロドリゲスの「デスペラード」「エル・マリアッチ」はお勧め。
 2020/06/23  今話題の映画「三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実」を観る。三島自決から50年経っているにも拘わらず、観客の中に若い人が少なからずいたのに驚いた。東大全共闘はともかく、少数派かもしれないが、若い人にも未だ三島文学は人気があるのだろう。この討論は昔、ソノシート(廉価なレコードもどきのもの)で聴いたことはあったが、ほとんど忘れていた。映画を観て、当時の学生は観念的な議論が好きで、ペダンチックだったなとつくづく思った。しかし今、何故この地味な討論ドキュメンタリーが映画化されたのだろうか。それは、SNSの普及浸透により、生の言語によるコミュニケーションが薄れてしまったことの反動もあるのかもしれない。激しい言葉の応酬劇に対するノスタルジーか。加えて左右夫々の知性の最高峰の対決を観たいという知的好奇心が刺激されたのかもしれない。しかし、この討論以前に三島は一橋大生、早大生等との討論会も行っており、その様子は三島の「文化防衛論」に収録されている。こ映画で展開される東大全共闘との観念的な言葉の応酬より、具体的政治思想が議論されており、今読んでも示唆に富む内容だ。あまり注目されなかったのが残念だ。くさっても東大。世間はエリートや権威に弱いからな。内容は良くても三島由紀夫VS早大全共闘では絵にならない。
この映画の中で三島は「サルトルは好きではない」とはっきり言っていたが、かつて安部公房との対談ではサルトルの「存在と無」の中のサド・マゾ論を肯定していた。また三島の太宰治嫌いは有名だが、一橋生との討論の中で、「根底で太宰治と共感するところがあるからこそ反発するのだ」とも語っていた。これも直接映画とは関係ないが氏は「同じことを言っても吉本隆明が言うと、学生はついて行くのに自分が言ってもついて来ない」と吉本隆明にしっとすろなど、子供っぽく憎めないところもあった。映画の中では、類まれな天才的頭脳を持ちながら時に意識的だとは思うが、ユーモアを交え、あえて非論理的な言動を発すところもあり面白かった。今更言うまでもないことだが、思想的立場を越えて、左右両陣営に強力な影響力を及ぼしたことに異論はない。激動の50年前を理解する上でも貴重な映画である。
 2020/06/08 小池都知事の「夜の街」対策には思わず笑ってしまった。彼女には是非、故梅宮辰夫主演の「夜の歌謡シリーズ」でも鑑賞しながら対策を練ってもらいたい。そんなことより早く協力金を振り込んでくれ。夜の街で働くバーのマスターの切なる願いである。 
 2020/06/03  母校国立高校の創立80年記念行事の一つとして「国高物語」という本が出版された。この本に登場する卒業生は皆、各方面で活躍している著名人で、まさに多士済々である。多少の曲折はあるにせよ、皆、王道を歩んできた優等生だ。しかし卒業生の一人として誇らしく思う反面、何か物足りなさを感じたことも事実。小生のまわりには、所謂成功者では無いかもしれないが、ユニークな人も多く、保守本流からは、はずれた人達にもスポットを当てればもっと面白い本になったのではないかと思う。この本が表とすれば「裏国高物語」があってもいいのでは。半藤一利には名著「昭和史」とともに、「B面昭和史」という本があり,これを併せて読めば昭和という時代が本当によくわかる。小生の高校時代は学園紛争という大きな出来事があり、それが、その後の人生を変えたという人も少なからずいる。そういう人の声も聞きたかった。そういえば、昨年、国高を誇りに思わない人達の集まりというのがあり、小生も呼ばれ,面白そうなので参加してみた。ちなみに小生の立ち位置はナチュラルである。特段の思い入れもなければ、反発もない。しかし十代後半の一番多感な頃に出会った友人は今でも続いており、財産である。
 2020/06/01  6月1日から学校がやっと再開されたが、小生は当初から休校には反対だった。集団感染が見られなかったにもかかわらず、休業を決めたのは明らかにやり過ぎ。万一クラスターが発生したら、その段階で、その学校を休業すればよいこと。事後的でもそれは仕方がない。全国一律に休業するのは愚策としか言いようがない。この3か月の遅れ対策で右往左往しているようだが、3か月なんてやりようによっては、充分取り返せる長さだ。問題視するほどの事ではない。話はちょっとそれるが、小・中・高の12年間の授業内容を十分理解している生徒がどれだけいるのだろうか。おそらく、殆どの生徒が授業内容を充分理解しないまま卒業しているのが実態ではないのか。ただ漫然と時間をかければ学力が向上するものではないだろう。教育はかける時間の長さでは無く、質が重要。これを機に先生方は量を詰め組むことに注力するより、いかに理解力を高めることができるかという考えに変えて欲しいと願うばかりだ。
 2020/05/31  しつこい様だが、黒川氏の訓告辞任について一言。
訓告という処分がどの程度のものかと思っていたら予想通り強くしかる程度の軽いものだった。そこで、ふと気づいたことは、検察庁には譴責処分というものがないこと。自慢できることではないが、小生サラリーマン時代、譴責処分を受けたことがある。小生が会社設立以来、最初で最後の処分だったが。地方の支店長をしていた時、部下が不祥事を起こし、監督責任を問われたもの。不祥事と言っても、会社に実害を与えた訳でもなく、社長からも「減給するわけじゃないから心配するな」と言われた。まあ、売り上げでは表彰されてもいたし。その譴責処分書は記念にとってある。何十億、何百億と会社に損害を与えた幹部役員は責任を追及されることなく、堂々と会社にいたのは、いかにもバランスを欠き納得できないがが、それが組織というものなのだろうか。今は、そういう魑魅魍魎が跋扈する世界から離れ精神衛生上は良い。
 2020/05/30  黒川前検事長が賭け麻雀をしていたことで辞任した。その行為そのものが批判されるのは当然であるが、問題は国家公務員幹部の人材問題である。黒川氏がもし、仲の良い4人だから、バレることはないと思っていたのなら、その状況認識の甘さ、想像力、洞察力の無さにあきれる。バレない能力があればいいと言ってるのでは当然無いが。カルロス・ゴーンに逃げられるのも頷ける。馬鹿な人間が出世していくのが国家公務員であれば日本の将来は暗い。余人をもって代えがたしという意味が、こんな馬鹿は他にはいないのだというのならいいが。
 2020/05/27  緊急事態宣言が解除され阿佐ヶ谷の街もだいぶ活気が戻ってきた様ですが、まだ自粛している店舗もあり、以前の日常に戻るには、まだ時間がかかりそうです。ちなみにジャニスは今週金曜日から営業再開の予定です。新型コロナウイルスに関しては、皆、一家言あるようですが、小生は一貫して相当の楽観論者です。まわりから批判されていますが。ならば何故、店を閉めていたのかと言われれば、その説明は長くなり面倒なのでしません。
 2020/05/21  アパレルメーカーの名門レナウン倒産の報に接し、正直、然程の驚きは無かったものの、やはり同じアパレル出身者として、感慨深いものがあった。倒産原因が売掛金の回収不能というのが哀しい。これではまるで、街場の中小企業の様ではないか。負債総額の少なさにも驚く。小生の大学時代、レナウンといえば業界の雄として君臨しており、派手さは無いもののまさか将来、倒産するとは思いもよらなかった。時代の変化、流行に大きく影響を受けるアパレルメーカーの経営環境は常に厳しかったと思う。平家物語を持ち出すまでも無いが、盛者必衰のことはりをあらわすか。傘のマークのアーノルド・パーマーのポロシャツが懐かしい。
 2020/05/19  ジャニス休業中という理由でもって、このマスターの一言も休筆する必要もないので久しぶりに一言。先般、見送られた検察庁法案改正問題について。今回の法案見送りは安倍首相の定見の無さを露わにしたようだ。小生にとっては、この改正法案が定年延長という些末な問題なので、正直どうでもよいと思っている。本音を言えば、どうせ変えるなら延長ではなく、思い切って40才定年と大幅に引き下げるべきだと考える。民間企業の定年40才という自説は、以前この一言欄でも既に触れているが、それに合せたらという思い。しかし、野党はじめ識者の言う反対理由は延長云々といった具体的事象についてではなく、検察の独立性への懸念、政府の恣意的な人事権行使に繋がるのではといった懸念のようだがピントがずれている。たかが人事、騒ぐほどのことではない。マスコミも少し取り上げ方が大げさ過ぎる。人事が恣意的になることは当たり前のこと。AIが決める訳ではない。人事とはそういうもの。三権分立云々に至っては笑止千万である。元々この法律の立て付けは、強大な権力を持つ検察に対し、政府に小さな抑止力を持たせるということで、これはバランス上正しいと思う。原則論として、民意が反映されない検察に対し、一応選挙を通して民意が反映されている議員が口出しできるということは筋が通っている。おかしな人事があれば、時間はかかるが、次の選挙で政権を変えればいいだけの話。小生が問題にしたいのは安倍首相の安易なポピュリズムへの迎合姿勢である。勿論、民主主義の世の中で、世論に耳を傾けることが大切であることは百も承知している。しかし世論が反発しているからといって、過剰に世論に配慮する必要はない。大衆は非常に移ろい易く、批判を承知で言えば、小生を含めバカである。世論を形成している大衆が今回の法案改正の意味、元の法の立法趣旨を正しく理解した上で反対しているのか疑問である。著名人や、好きなタレントが反対しているからといって、安易にSN上で拡散したのであれば、それが尊重すべき世論なのか慎重に検討すべきではないか。政治家が安易に空気に作用されるのは危険である。この法案見送りが、安倍政権の支持率低下と、一連のトンチンカンなコロナ対策批判かわす目的なら、あまりにお粗末である。もし、大衆の、この定年延長改正案に反対する理由が、安定した地位と高給が約束されている検察官に対するやっかみであれば低次元の話だ。
閑話休題 もし優秀な検察官がいて、その人物が余人をもって代えがたき人物ということで、定年延長を考えているなら本当に馬鹿げている。代わりはいくらでもいるのが人事である。ポストが人をつくるのであり、いつでも下がつまっている。一言が随分長くなってしまった。ここで止める。
 2020/04/11
 前回に続き見直し映画について。今回は「2001年宇宙の旅」をとりあげる。ほぼ50年前に観た映画であり詳細は忘れたが、コンピュータが人間を殺してしまう事に衝撃を受けた事は鮮明に覚えている。今回見直しのきっかけとなったのは、霊長類学者山極寿一氏の著書「家族進化論」の中でこの映画に言及していたことによる。映画の冒頭、猿人が骨を武器に他の猿人を襲う場面があるが、そのような猿人の行動は、その後の学者の研究により否定され、ほぼ定説となっているとのことである。詳細を知りたければこの本を読んで頂くとして、この映画の面白さはその後である。猿人から進化した人類はとてつもない性能を持つコンピータを作り上げ、そのコンピュータ・ハル9000は感情までも持ち、遂に人間を殺すという恐ろしい展開をみせる。現在の著しいAIの発展を50年以上前に既に予見していたことに驚く。また時空を超え人類はどこへ向かうのか、輪廻転生といった哲学的テーマにまで想像力をかきたてる映像美がすばらしい。すごい映画だ。
 2020/04/10  外出自粛要請があるからではないが、自宅で昔観た映画を見直し、新しい発見を楽しんでいる。「カサブランカ」もその一つ。黒人ピアニストが弾くアズ・タイム・ゴーズ・バイの馴染みのフレーズ以外のフレーズが気になって仕方がなく、確認してみたが、短過ぎてそれほど印象に残るものではなかった。そこで内容について一言。この映画はご存知の通り、男のやせがまんと、友情を軸に、嘗ての恋人と再会し展開して行くメロドラマというのが一般的な見方だろう。しかし見方をかえれば、この映画は恋愛をスパイスにした反ナチ映画と観ることもできる。ラストシーンで主人公リックが無防備なナチス少尉をピストルで撃ち殺し、それを見ていた警察署長も殺人を黙認しメデタシ・メデタシというのはどうだろう。ナチスを擁護するつもりは毛頭無いが、反ナチの地下活動家とかつての恋人を助けるためには殺人OKではテロリスト肯定である。この映画に限らず、ナチス=悪、故に極悪非道なナチスに対しては何をやっても許されるというのが多いと感じる。優れた娯楽作品に対して政治的にとやかく言うのも大人げないか。バーグマンの夫である活動家がいつもスーツを着て紳士然としているのも、この映画から極力政治色を消しメロドラマ仕立てにするための様にもみえる。

 
 2020/04/06  東映俳優 志賀勝の訃報が新聞の片隅に小さく載っていた。志村けんの訃報報道の大きさとの、あまりの格差に少し気の毒な気がする。特に思い入れのある俳優ではなかったが、ピラニア軍団の一員として東映サクザ映画には欠かせない存在だった。その怖い顔は東映の悪役ベストスリーに入ると思う。怖い顔は今日日受けないのが残念。ご冥福をお祈りします。
 2020/04/05  メキシコのコロナビール工場が、コロナウイルス感染の影響で一時製造中止したとのこと。我がジャニスも現在、コロナビールの在庫はゼロ。お客様からのオーダーもないことから、しばらくは補充しない方針。シャレで表看板にコロナビールはありませんと表示するのも面白いかも。冗談はさておき、小池都知事の発言の影響もあったのか、バー・夜のクラブの客が激減しているようだ。経営者の中には売り上げ激減は死活問題で倒産もあるという。しかし、そもそも水商売とはそういうものではないか。ボロ儲けした時もあるのだから、今回のコロナの影響で、もし店を閉めざるを得なくなっても、それはもう諦めるしかないのだと思う。ジャニスも青息吐息の状態であるが、資金が続く限り閉めません。
ところで、ビートたけしがテレビでコロナウイルス感染拡大について、あまりに常識的優等生発言をしていたのでがっかりした。最近、とみに滑舌が悪くなり、切れ味が無くなってきたと感じていたが、彼に代わる毒舌家は出てこないのか。彼には、せめて「65歳以上の高齢者はドンドン夜の街に繰り出しコロナに感染し死んだほうが、老害対策、年金問題の解消にもなる」くらいのことを冗談でも言ってほしかった。地上波では無理な注文か。
 2020/03/24  持病の糖尿病治療の一環として週二回トレーニングジムに通っている。新型コロナウイルスの影響か、さすがにジムに来る人数は全体に減っている。ところがフリーウエイトする人はほとんど減っていない。マシーンはガラガラ
なのにフリーウエイトする人は順番待ち状態。筋肉バカはウイルス感染リスクより筋肉造りが優先するようだ。
 2020/03/17  新型コロナウイルス感染の影響で、景気の急速な悪化が現実化してきた。これに対し、何ら新鮮味が無かったのが日銀の追加金融緩和策だ。この策が然程期待できないことは株式市場が最もよく表している。我々は速効性ある対策が欲しいのである。具体的には冷え込んだ消費を刺激する、消費税ゼロ、各個人への相当額の直接現金給付だろう。そのお金が貯蓄に回ってしまうという懸念があるというのなら期限付商品券でもよいのではないか。
 2020/03/16  ジャズピアニスト「マッコイ・タイナー」が逝去した。小生もジャズに嵌った時期があり、マッコイ・タイナーはコルトレーンとのセッションで輝いていて、よく聴いたものだ。彼はセロニアス・モンクとともに小生の好きなピアニストの一人で、中でもエコーズ・オブ・ア・フレンドが一番のお気に入りだ。ご冥福をお祈りします。
 2020/03/10  連日の新型コロナウイルス感染拡大報道に疑問がある。毎日毎日、感染者が増え、大変だ大変だと不安を煽ることを嬉嬉として報道しているかに見えるのである。メディアは本当に危機が大好きだ。事実を正しく報道することは当然必要なことだが危機意識を必要以上に高めるような報道はデメリットも大きい。
 2020/03/09  GEの元CEOジャック・ウェルチの死亡が新聞の片隅に載っていた。昔、小生の勤務していた会社が同氏率いるGEキャピタルに買収されるという話が実しやかに語られていたことを思い出した。嘗ては20世紀最大の経営者と崇められたこともあったが、今ではGAFAの陰に、その存在すら忘れ去られていた。そのGAFAですら、何十年後かには、そんな会社もあったなと言われるかもしれない。
 2020/02/19  新型コロナウイルスの影響は大きい。その性かどうか分からないが、元々少ない来店数が更に少なくなった。
先日、不急不要にも拘わらず、政府の方針に逆らい、CDを買いに新宿に行ってきた。想像通り、びっくりするほど人出が少なく、いつもは中国人客でごったがえすビックロも閑散としていた。新宿の熱気は、全く無くなっていたが、歳の性か小生には、この程度の人出が疲れず丁度いい。
 2020/02/11
韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が米アカデミー賞の4冠を受賞し、話題を呼んでいる。各メディアはどれも総じて、格差社会に対する問題云々と論じているが、少し違うのではないか。映画は半地下生活者=貧者 高台生活者=富裕層という分かりやすい設定で、その対照的な生活を映し出すことに成功しているが、その対立が主題ではない。貧者が貧者に対して優しくなれず、貧者の持つ性格の悪さ、不良性を描いていると感じるのは小生だけだろうか。「貧すればどんす」「金持ち喧嘩せず」といった古臭いが不変の真理をユーモアを持って表現しているようにも見える。この作品は貧者の富裕層に対する怨念や嫉妬を表わしているのではなく、金持ちに取り入ってでも生活を少しでも豊かにしたいと願う貧者のバイタリティーをも感じさせるもの。自分や家族のためなら同じ貧者を蹴落としてでもいいというのも貧者の悲しい性か。少ないパイを分け合うという美談の入る余地がないほど貧困は深刻ということ。また余計な事かもしれないが、パラサイトというタイトルに疑問がある。地下生活者は正当な(?)労働を高台生活者に提供し、その対価を得ているので、決してパラサイトしている訳ではないのではないか。事件が無ければ高台生活者の富裕層とちゃんと共存共栄できていたのだから。
しかし、この映画にケチをつけるつもりは毛頭ない。非常によくできたストーリーでエンタテイメントとしてもすばらしい作品であることは間違いない。受賞に文句をつける気は全くありません。
 2020/02/04  つげ義春が欧州最大規模の漫画の祭典アングレーム国際漫画祭特別栄誉賞を受賞した。アニメ全盛の時代にあって、氏の画風が今現在、世界に受け入れられたことに驚いた。つげ義春といえば何と言っても「ネジ式」。この作品が発表された50年ほど前の衝撃は今でもよく覚えている。当時、漫画を読まないであろうインテリ諸氏がこぞって絶賛していた。小生もそのシュールな話の展開に魅せられ、早速、氏には失礼ながら「難解バリ式」なる学生運動を揶揄したパロディ漫画を描いた程だ。バカボンのパパや星一徹も登場するバカバカしい内容だが極、少数の友人にはバカ受けした。ちなみに長谷邦彦がパロディ「バカ式」を描く前のことである。どうでもいいことだがこの「バカ式」も何故か主人公がバカボンのパパなのだ。とにかく、つげ義春さんおめでとうございます。
 2020/01/21  宍戸錠が逝去した。彼が主演の「メキシコ無宿」を子供の頃,観た記憶はあるが、その後は東映を偏愛するようになり日活は殆んど観ていない。二谷英明とコンビを組んだ「稼業シリーズ」は観たいのだが、DVDにも無く残念。印象に残っているのは「仁義なき戦い 完結編」での大友役だ。千葉真一が広島死闘編で好演していた役だったので、やりにくかったかもしれないが、そこはさすがベテラン。腹巻に拳銃2丁を挟み凄みを効かせる姿はエースのジョーならではだ。やはり彼は刃より拳銃がよく似合う。ご冥福をお祈りします。
 2020/01/05  久しぶりにテレビで箱根駅伝を観戦した。正月の風物詩となって久しいが真面に観たのは今回が初めてである。そこで今年初めての一言。
往路優勝である。箱根芦ノ湖を目指しまた東京に戻るコースはご存じの通り。しかし芦ノ湖に到着した段階で往路の優勝を決めることに疑問がある。東京に戻った時が優勝であり、往路と復路にわけ更に総合優勝というのがおかしい。芦ノ湖は長い駅伝ルートのあくまで途中であり、そこで順位を決めることはない。芦ノ湖で順位を決めず、そのまままタスキを渡し東京で決着をつけるのがシンプルでよいのではないか。どうしても往路と復路が別物で、それぞれで優勝を決めたいというなら、復路も参加者全員一斉スタートにすべきではなかろうか。往路優勝はあくまで途中経過でありその優勝はあまり意味がないと思うのだが、またいつもの小生の暴論か。
 2019/12/31  12月は例年に増しバタバタしていた事もあり、この一言も、すっかり間が開いてしまった。今年最後の一言。
私事であるが、マンション管理組合の理事長になってしまった。別に回避していた訳ではないが、マンション暮らしが長かったくせに、一度も理事長はやったことがなかった。これを機に、一生に一度くらいは、住人のために少しは汗を流すとするか。ところで来年はピアノをもっと上手く弾ける様になることと、ゴルフを再開し、せめて120台で回れる様、低い目標を立てることにした。
なお来年は1月3日(金)から営業する予定です。
 2013/12/13  俳優梅宮辰夫が逝去した。前々から闘病生活を続けていたという事から遂にという感じだが、東映ファンとしてはとても哀しい。大好きな「仁義なき戦い」では、凄みのある存在感を示し、眉毛を剃った顔は本当に怖かった。またヤクザ映画以外でも夜の歌謡シリーズなど軟派路線もこなす才能ある俳優でもあった。あまたある作品の中で小生のお勧めは「県警対組織暴力」「安藤組外伝人斬り舎弟」の2作。2作とも菅原文太との対立が面白く描かれており必見。(対立する組織の話ではない。念のため)番外編として日活スター小林旭と共演した「京阪神殺しの軍団」渡哲也と共演した名作「仁義の墓場」「くちなしの花 やくざの墓場」の3作をあげる。「京阪神殺しの軍団」でも眉毛を剃った顔が迫力ある。ご冥福をお祈りします。熱烈東映ファンより。
 2019/12/12  新聞記事によれば301人以上大企業に対し、中途採用率の公表を義務化する方針とのこと。雇用の流動化と新卒一括採用の転換という点で趣旨は理解できるが、どれほどの効果が期待できるか疑問である。採用に関して真剣に取り組むのは営利企業としては当然のことである。お上に言われなくても、中途採用に利があると思えばそれを憚るものは何もないはず。公表しろと脅しをかければ、中途採用が増えると考えるのは短絡的で、いかにも浅はかな役人らしい発想である。他人の目が気になってしようがないという性格を利用する考えがいやである。小生ならこうする。40才定年制の導入である。40才で否応なく第二の人生の選択を強いられれば、長い目でみれば中高年の中途採用促進、企業の活性化にもつながるはず。40才くらいになれば自身の能力、得手,不得手も十分自覚できているはずなので、再スタートもきりやすい。企業にとっても無能な中高年社員をいつまでも抱え続ける負担から解放され、その分収益アップも期待できるというもの。こアイディアどうだろう。
 2019/12/09  12月8日はジョン・レノンの命日。当日、店は休みだったので、1日早く、12月7日に哀悼の意を表し、「ジョンの魂」を店で流した。ビートルズは時々かけるが、その度にジョン・レノンの非凡さに感服する。そういえば小生の数少ない自慢話になるが、1978年夏、軽井沢の貸自転車屋でジョン・レノンに会ったことがある。彼に向って「アーユー・ジョン・レノン」とまぬけな事を言ってしまった。返事は無く、一方通行だったことが、今となれば悔やまれる。少しでも会話をしたかった。直ぐにオノ・ヨーコ、ショーンの3人で自転車に乗って去って行った。3人とも当時流行っていたラガーシャツを着ていたのが強く印象に残っている。あれから41年も経ったのか。
話は前後するが、11月29日はジョージ・ハリスンの命日で、その日はジョージの曲をかけまくったのは言うまでもない。ジョージ・ハリスンも名曲がいっぱいあり大好きなアーティストの一人だ。
 2019/11/27  在職老齢年金制度の見直しで、現行の基準値月額47万円(年金+給与)を51万円に引き上げる案が浮上している。年金財政が逼迫している現在、更にそれを助長し、若年層の勤労意欲を削ぐ様な案は馬鹿げている。むしろ基準値を現行より大幅に引き下げるべきである。年金との合算で年収612万円(51×12)貰える高齢者を優遇する必要はない。高齢者の労働意欲は、お金より社会的な繋がり喪失への不安感がその根底にあると思う。全く厚労省の役人は何も分かっていない。
 2019/11/25  遂にジャニスもペイ・ペイを導入した。今でも現金指向の強い小生だが、かたくなに現金主義を貫き通すまでの信念もない。2年間は店側の負担ゼロで、その後解約してもペナルティーは無いということで踏み切った。この歳になると新しいことにチャレンジすることが億劫になるが、老化防止にはなるだろう。「馬には乗ってみよ」の精神は大事だ。キャシュレス時代に少しは追いついたかな。
 2019/11/06  昨日の続き。
格差や不平等、差別といったものが社会不安の要因の一つであればその解消に妙案はあるのか。残念ながら万能薬はない。あらゆる規制を緩和すれば格差が益々顕在化するのは目に見えているが、格差是正のために規制を強化すれば、個人、企業の活力低下を招くことは明かである。行き過ぎたアファーマティブアクションが逆差別という不満に繋がっている米国の例もある。制度設計の匙加減は非常に難しい。そもそも自由、平等という民主主義の理念自体、矛盾をふくんでいる。結論ではないが、出来る限りの公平性を保ちながら結果としての格差については認めることからスタートした方が良いのではないか。身の丈という表現は確かに不適切だったかもしれないが、それをすぐに格差容認に結びつけ、大騒ぎする野党もマスコミもどうかと思う。昔、貧乏人は麦を食えと言った総理大臣がいたが、その後日本は、ほぼ全員豊かになった。現実、どうしようもない格差が存在している以上、その認識を持って前に進むしかないだろう。少しの差別と、中位の格差、八割程度の公平性、このくらいのいいかげんさを持つ世の中のが住みやすいのでは。100%の理想を追い求めるのもいいが、国家権力の行使範囲もほどほどでないと社会コストが膨大となってしまう。すべて100%は困難でもあるし気持ち悪い。
それから今回延期再検討となった大学英語試験について一言。大学入試に会話能力は全く必要ない。読み書き読解力で十分。会話はその内容が重要であって会話能力を教育に求めるべきではない。社会に出て必要となれば、だれでも身に付くもの。

 2019/11/05  萩生田文科相の「身の丈」発言が物議をかもしている。結果として欠陥だらけの大学英語入試システムが白紙撤回となったことは喜ばしい。この発言を機に格差と差別、公正等について考察してみたい。(ちょっと偉そうか)
情緒的ではあるが、格差と差別、不公正は悪というのが一般的見解である。しかし本当に格差と差別が一切ない世界がユートピアだろうか。小生はいささか疑問である。まず100%格差も差別も不公正も無い社会は実現不可能だ。これらをゼロに近づければ近づけるほど国家権力が強化される。逆に言えば強力な国家権力行使がなければ、格差も差別も無くならない。経済的格差に限っても国による富の再配分がなされない限り、その格差は限りなく拡大していく。ではどこまで富裕層と言われる人達は貧困層への富の移転を許容できるのか。それは社会の安全、安定が担保される最低範囲内での再配分なら納得するだろう。国家の介入を生理的に嫌う一方で、安全は国家に頼るという、いいとこ取りをしたがるのが人間である。少し長くなったが格差を論ずる前にその前提としての事実認識をしておきたかった。長くなったので続きは次回の一言で。
 2019/11/01  先日、母校の高校紛争のきっかけとなったバリケード封鎖失敗50周年記念ということで首謀者数名がジャニスに集まり当時を振り返った。初めて明かされた事実もあったが、各人の記憶も曖昧になっており、誇張されて伝わっていた事も判明。改めて50年という月日の長さを感じた。夜中、パトカーとカーチェイスをして逃げ切ったというのも、いささかオーバーに伝わっていた。しかし、既に当事者2名が亡くなっており、何故、事前に学校側が封鎖計画を察知していたのかは不明のままだった。今更、犯人捜しをしてもしようがないが、明らかになったのは、全員が同じ考えを持って計画に参加したのではなかったということ。アナーキーな思想を持っていた者、党派性を強く意識していた者、思想も無く、単に学校にたてつきたかっただけの者(小生がそうだ)等々様々だった。マルクスもレーニンも分かっておらず、ただ単に当時の過激な運動に惹かれていったことも事実。真剣に闘争に係わってした人に対しては誠に不謹慎かと思われるかもしれないが、ボヤ程度と思って火をつけたのが、思いの他、大きくなって大火事になってしまったという感じ。真面目に受験勉強に励んでいた人達にも申し訳なかったが、当時は具体的展望もなく、ただ教育秩序を破壊したかったのだ。こんな我々も誰一人処分されることなく、卒業できたのは学校側の恩情か。しかし2年後輩は多数の退学者を出したという事実に対しては複雑な思いがある。この代は学校に対するアイデンティティーが持てず校歌すら歌ったことが無いとのこと。その後、各人、様様な共同体に属し、それなりの心の安定は得ていると思われるが、十代後半(正に高校時代)の多感なころの共同体(学校)にアイデンティティーを感じられないことは不幸だと思う。我々の代も卒業式は無く、校門の前には機動隊が待機しているという異常事態だった。今になって何人かの人に、卒業式に出たかった。お前のせいでダメになったと責めれることがあり、それは少し辛い。式というものは共同体への帰属意識を高めその一員であることを再認識する一つの機会でもあったのかもしれない。長くなってしまった。ここでやめる。
 2019/10/22  10月20日母校(早稲田大学)のホーム・カミングデイに行ってきた。久し振りに見るキャンパスは当然ではあるが、すっかり様変わりしていた。古い校舎は近代的な建物に建て替えられ、中にはコンビニもあった。大学周辺も、たくさんあった喫茶店は姿を消し、ひっそり残っていたバロンという喫茶店も遂に無くなっていた。本当に今の大学生は暗い喫茶店で友人と議論を交わしたり、ジャズを聴いたりしなくなったのだな。喫茶店文化の終焉を改めて感じた次第。
 2019/10/13 伝説の ロックバンド「クリーム」の元ドラマー ジンジャー・ベイカー、イラストレーター和田誠、元プロ野球大投手金田正一とまた著名人の訃報が続く。ジンジャー・ベーカーは今ではあまり聴かれなくなったブルースロック全盛期のドラマー。学生時代ブルースロックが好きで、クリームはよく聴いていた。数年前、ジャック・ブルースも亡くなり、クラプトンひとりが頑張っている。和田誠は自ら監督もつとめる程の映画好きイラストレーター。人物の特徴をシンプルな線で描く画風は唯一無二のものだった。軽妙洒脱な映画評も面白くよく読んだ。金田は小生が中一の時、父に連れられて行った後楽園球場での巨人・国鉄戦で初めて見た。金田対長嶋という夢の様な対決を真近で観戦できたことは忘れられない思い出だ。ご冥福をお祈りします。
 2019/10/02  TOKIOのリーダーの結婚会見の中で、結婚させていただく云々という発言があり、それが気になって仕方がない。結婚という個人的な事で「させていただく」という表現は変だ。堂々と「結婚しました。します。」と言った方がさわやかだ。本人は好感度を意識して使ったのかもしれないが、意味のない「させていただく」という表現が芸能人の記者会見では多すぎる。
 2019/10/01  今日から消費税が8%から10%に上がったことで、勘違いし易いことに気が付いた。1円玉を使う機会が減ると思ったらその逆だった。毎日飲んでるドトールのコーヒーは昨日まで220円だったのが224円になった。220円が内税だったからだ。キャッシュレス社会なら端数は問題ないだろうが、小売店は、まだ現金決済だけの店も多い。今まで内税でラウンド数字だったものが増税により面倒が増した。1円玉は減りそうにない。また当然のことであるが、2%支払額が増加するかの様な錯覚を起こすが税に税をかける訳ではないので、支出増はほぼ2%弱である。マスコミも少し騒ぎ過ぎ。
 2019/09/30  スェーデンの少女が国連会議で地球温暖化に懸念を示し、大人に対して痛烈な批判演説を行ったことが話題を呼んでいる。小生は、その内容云々ではなく、少女を会議に呼んで演説させた大人に不快感を覚える。子供の発言には誰も異議申し立てできないことがわかっているからである。スェーデンという豊かな先進国の少女に環境問題を語らせるのなら、経済的貧困国の子どもにも経済発展のためには二酸化炭素排出もやむを得ないと発言させないと公平性を欠く。
 2019/09/22
ラグビーワールドカップ自国開催で、今ラグビーが熱い。 格闘技と球技、両方の面白さを併せ持ち、比較的シンプルな競技で、詳しいルールを知らなくても楽しめるのも人気の秘密か。しかしこの激しいスポーツで鍛えられたスーパーアスリートが何故か比較的早く亡くなるのが哀しい。宿沢しかり平尾しかり。
そういえば数か月前のことであるが、高校時代、一つ上のラグビー部の部長も癌で亡くなった。ショックを受けた。彼は母校のラグビー部では有名選手で、我がサッカー部とはグランドの取り合いでよく揉めていた。サッカー部がまだ同好会で、部に昇格するにあたって彼はその反対運動の急先鋒だった。その彼に高校の同窓会でバッタリ再会し、ジャニスにも数回遊びに来てくれた。その直後、膵臓癌であっという間に亡くなったのだ。強面だったのがすっかり穏やかになり、バーズが好きだったことや昔話に花を咲かせたことを思い出した。またラグビーとは関係ないが、ついこのあいだ、これまた高校の同窓生(親交はなかった)で一番頭の良かった九大副学長も癌で亡くなった。若くして仁科賞を受賞した物理学者だった。強靭な肉体の持ち主も、天才的頭脳をもつ人も癌にはかなわないのか。
 2019/09/08  タランティーノの新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を観る。1969年という時代設定で、随所に彼らしいセンスが光るシーンはあるが、全体として冗長でストーリーとしての面白さにやや欠ける。ヴァイオレンス描写、バックに流れる楽曲はタランティーンの好きにはたまらないだろうが、新鮮味は無かった。賞味期限を過ぎた感は否めない。第一作の「レザボア・ドックス」が一番いい。しかしこの映画を観てタナンティーノが当時の反体制の象徴でもあったヒッピー嫌いなのがわかって妙に納得した。蛇足だが映画マニアには別の楽しさ満載の映画でもある。
 2019/08/19  米国俳優ピーター・フォンダが逝去した。彼はアメリカン・ニューシネマの代表作ともいえるイージー・ライダーに出演。ハーレーに跨りデニス・ホッパーと二人でバイク旅する姿が今でも頭に焼きついている。ステッペン・ウルフの「ボーン・トゥー・ビー・ワイルド」やザ・バンドの「ウエイト」のリズムにのって疾走する姿は本当にカッコよかった。正にロックと映像が一体となっていた、あの時代のカウンターカルチャーを象徴する映画。チョッパーハンドルに魅せられて真似する不良も多く生んだ。その数十年後「団塊ボーイズ」という映画で、ハーレーを乗り回す不良のボス(長老)として登場。存在感を示していた。またイージー・ライダーの中で旅に出発する前、腕時計を捨てるシーンがあるが、「団塊ボーイズ」では同じく、ハーレーで旅する前、携帯を投げ捨てるシーンがあった。イージー・ライダーへのオマージュか、粋な演出に思わず苦笑した。ご冥福をお祈りします。嘗ての老年ライダーより心を込めて。
 2019/07/22  その一 参院選の結果は、大きな争点も無く、ほぼ予想通りでありコメントなし。
その二 吉本興行とタレント宮迫氏、田村氏の問題はマスコミが大げさに騒ぎ過ぎ。吉本興業と所属タレントとの関係は一般の会社とは違うかもしれないが、要するに社内人事の問題。当事者同士で勝手にやってくれといった感じ。事の本質については、多くのコメンテーターが言及しているので、小生はいつも通り、小さな事で気になっていることを一言。吉本の社長が、今回、事の発端となった反社会的勢力に騙された被害者に謝罪したことだ。これは、あたかも宮迫氏らが反社と共犯関係にあったかの誤解を招く発言だ。宮迫氏らが受領したお金の原資について責任を負う道理はない。もし反社に車を売ったディーラーがいたとした場合、代金を受け取ったディーラーはオレオレ詐欺の被害者に謝罪するのか。金額の妥当性はともかく、お笑い芸人のサービスの対価として受け取った金と車の代金も反社から受け取った金に変わりはない。逆に考えれば、オレオレ詐欺にあった人は、もしその金が反社からヤクザにわたり拳銃購入資金として使われ、その拳銃で人が殺された場合、詐欺被害者は謝罪しなければならないのかという問題になる。何でもかんでも謝罪すればいいというものではない。とりあえず、直接、間接を問わず、関係ありそうな人には、すべて謝っておけばいいだろうという安易な発想がいやである。
 2019/07/19  香港の学生の大規模デモをテレビで見ながら50年前、日本にも吹き荒れていた学生運動の姿が重なった。勿論、香港のデモと当時の日本のデモとは、反政府という一点を除き、その趣旨も異なり同一視できないが、あの頃のことを思い出した。そして、埃りをかぶって本棚に眠っていた柴田翔の「されどわれらが日々」を、ふと読み返してみたくなり再読した。内容はすっかり忘れていたが、1960年~1970年頃青春を送った世代の必読書のような本である。学生運動の挫折を描いた青春小説の印象を持っていたが、再読して、それが誤りであったことに気づいた。確かに学生運動の事が多く描かれているが、本質は複雑な女性心理を描いた恋愛小説であり、学生運動は一つの素材に過ぎない。自殺者が二名、未遂者(?)が一人登場する自傷小説の側面もある。それを当時は何故、政治的な小説と思い違いしたのだろうか。それは正に当時の時代状況がそうさせたとしか言いようがない。同じ小説でも読んだ時の時代背景、年齢等により心に刺さるところは違うし刺さらないかもしれない。香港デモから、こんな事を思ってしまった。
 2019/07/05 吉本芸人の闇営業・反社会的人物との交流が大きく報じられているが、この一連の騒ぎで少しおかしいと感じることがある。どのマスコミも芸人の顔は、はっきり写っているにも拘わらず、反社会的といわれる人物の顔は隠されている。仕事を失うほど、付き合ってはいけない人物なら、その悪人の方こそハッキリ顔を写すのが筋だろう。悪人にはプライバシーがあり芸人には無いとでもいうのだろうか。善と悪が付き合った場合、悪いのは明らかに悪の方である。マスコミは何故、その反社会的人物や団体に対する警察の取り締まり強化や撲滅に言及しないのか。悪と付き合ってしまった芸人をバッシングするより、その元凶である悪そのものを無くす努力や方策の方が先だろう。
 2019/07/01  高校のクラスメイト13名(男子7名女子6名)で台湾に行ってきました。ちょっとした老人修学旅行。台湾といえば、とにかく食べ歩き。アジアのパワーを感じたのか、みんなよく食べました。中国語にものすごく堪能な友人がいてくれて、とても助かりました。
 2019/06/15  毎月一回、高校時代の友人Hが福島から上京し、ジャニスに仲間(主にバスケOB)が集い旧交を温めている。先日は久しぶりに京大総長の山極氏が加わり、ンーベル賞受賞式の様子など、なかなか知ることのできない事も聞けて楽しい一日だった。また彼からは、著書も何冊か頂いたので店に置いてあります。霊長類や進化論に興味のある方はお貸します。
 2019/06/13  老後資金2000万円で、国会もマスコミも大騒ぎだ。鬼の首を取ったような野党の追及も、意味不明の答弁を繰り返す与党もあきれるばかり。これを取り上げるマスコミもしかり。少なくとも義務教育を終えた普通の大人なら、老後どのくらいの資金が足りないのか、余るのか、本人が一番わかっている。大きなお世話である。金融庁も膨大な時間と人を費やして、くだらない報告書を作る暇があるのなら、もっと国民のためになる具体的施策を示すべき。加えて年金受給額は無資格者を含め条件によって様々であり、さっくり月21万円ということの意味はない。また上から目線の一言でした。
 2019/06/10  この歳になっても、まだ多くの名作といわれている本を読んでいない。特に長編小説は、時間的余裕の少なかったサラリーマン時代、なかなか読めなかった。先日、やっと三国志(北方謙三著 全13巻)を読み終えた。登場人物が多く、頭が混乱してしまったが、一つ新しい発見があった。諸葛孔明が臥竜(がりょう)といわれていたという事。高校時代、中国文学好きの同級生がいて「おれは臥竜児」だと自慢していたことを思い出した。それが諸葛孔明のことだとは当時知らなかった。その彼は「プルターク英雄伝」とか、南方熊楠なども愛読していた変わり者だったが、その後、立ち上がって竜となったとは聞かない。今頃どうしているのやら。話は三国志に戻る。北方版三国志は全体的に読み易く、面白かったが有名な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の逸話が無かったのが残念だ。
 2019/05/31  映画監督降旗康男が逝去した。小生の好きな東映のヤクザ映画監督だったが、王道の仁侠路線でも、実録路線でもない独特の感性で現代ヤクザ路線にその才を発揮していた。後半は文芸路線に舵を切り替え、その方がぴったりしていた感がある。多くのやくざ映画作品の中でも「冬の華」(脚本 倉本聰)は当時としては(1978年)特異な作で、高倉健のストイックな暗さをよく引き出していた。高倉健が鎮痛な表情を崩すことなく、喫茶店でチャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴いている姿が印象的だった。これを境に東映を辞めた氏は高倉健主演で「ぽっぽや」「居酒屋兆治」「ホタル」「あうん」等等、数々の名作を世に送り出すこととなった。健さんとの相性は抜群だった。ご冥福をお祈りします。
 2019/05/22  最近、また飲食店の厨房内での悪質行為を自ら撮影しSNSで拡散する事例が報道された。その都度、運営会社は謝罪と当事者に対して損害賠償を検討しているとのコメントを発表するのが通例となっているが、本当に真剣に検討し訴訟提起しているのか疑問だ。マスコミはこう言った行為の再発防止を考えるのなら、その後の会社の行動を追跡報道すべきである。単に訴訟を検討しただけなら抑止力には限界がある。訴訟を起こしたにしても、おそらく判決まで徹底的に争うことは無く、和解という選択をするだろう。それでも、その過程を報道することがマスコミには必要である。法的措置を検討しているというコメントを単にアナウンスメント効果だけを狙っているのであれば、バカな人間は減らない。米国の様な、訴訟社会が決していいとは思わないが、やるべき時はやらなければ。小生もサラリーマン時代よく訴えてやると言われたが、一度も訴えられたことは無かった。
 2019/05/17  昔、観たかったけれど見逃していた映画を今、ビデオで観て楽しんでいる。昨日も1969年新宿ATGで上映されていた「薔薇の葬列」を観た。ピーターの芸能界デビューとなった話題作で、少年ピーターの素顔が観られるのも、うれしい。若き日の蜷川幸雄も出演していた。当時の新宿の風景も懐かしく、ストーリーとは全く関係ないが、その中で、今はもう無くなってしまった、とんかつ屋「梅村」が映っていたのに驚いた。同性のよしみで、その「梅村」で時々とんかつを食べていたことを思い出したのだ。さて内容につて一言。
ATGということでまた難解な内容かと思っていたがそうでもなかった。まだ隠花植物の様な存在だったゲイにスポットを当て、オイディプス神話を絡ませた物語でエンタテイメント性もあり、また1969年当時の猥雑な新宿の様子もリアルで風俗映画としても面白かった。
 2019/05/08  5月2日は忌野清志郎の命日で、その日はRCサクセションを聴きながら故人を偲んでいた。その時「スターリン」の遠藤ミチロウの訃報を知る。清志郎のメークと似たところがあったが、実は楽曲は聴いたことは無かった。元々パンク・ロックにあまり興味がなっかたことに加え、スターリンという偽悪的なバンド名に馴染めなかったこともあったからだ。しかし食わず嫌いもどうかなと思い、ユーチューブで聴いてみた。音楽性については、いいとは思わなかったが、遠藤ミチロウが小生と小生と同じ歳(世代は一つ上)で、この世代らしく吉本隆明に強い影響を受けていたことを知り、少し興味を覚える。60年代後半から70年代の所謂、ニューレフト(エセ左翼を含め)にとって吉本隆明は教祖のような存在だった。内容は理解できなくても「共同幻想論」等を論じることがカッコよかったのだ。その後、氏の化けの皮がはがされ、憑き物が落ちたように、その影響力は無くなり恥じ入る日々でした。。バカでしたね。遠藤ミチロウの音楽にどのような影響を及ぼしたのかは定かではないが、吉本のいう大衆の原像とは少し違うと思うのだが。
 2019/04/28  平成が終わろうとしている今、テレビでは盛んに平成を懐かしむ番組が組まれている。小生も平成を振り返って、あれは今、どうなっているのだろうかと思う事について少し触れてみたい。その一つがデカップリングという概念。世界経済と米国経済の連動性を否定する考え方だったが、2008年のリーマンショック以来、全く登場することが無くなった理論だ。平成中期当時、財界の大物と言われていた人達がこぞって提唱していたことを覚えている。この理論の破綻を説明して欲しいのだが、今となっては誰一人、言及する人はいない。
その二。 サイバネティクス(人口頭脳)はどうなったのだろうか。AIとの関係がよく分からない。誰か教えて欲しい。サイバネティクスは平成ではなく昭和に開発研究されたものだけれどAIとの親和性は高いと思われるのだが。ITに関連したところではユビキタスという言葉も聞かれなくなったが、これも、もう死語なのだろうか。そういえば以前店のお客さんでITに詳しい若いひとからMS・DOSって何ですかと言われたことがあった。時代の変化は早い。
 2019/04/27  今日からGW10連休が始まるが、ジャニスは通常どおり営業予定。GWに混雑した行楽地に行く気はしない。今までもGWに旅行した記憶はほとんど無い。例年のことだが、店を開けながら、のんびり過ごすことにしよう。暇な方、ジャニスに遊びに来てください。
 2019/04/13  5年後、紙幣の柄が変わるとのこと。今発表する意味に政治的意図は無いだろうが、閉塞感が漂う中、多少の変化はあっていいだろう。経済的効果もそれなりに期待できるだろうが、気分の問題の方大きい。紙幣は国家の信用の象徴であり、今後キャッシュレス社会に移行していくにしても無くなることはないはず。ところで今回の変更案で気になるのは額面金額の表示だ。大きな算用数字が前面に出過ぎていて、デザイン的にバランスが悪い。今の漢字表記の方が紙幣らしくていいと思うのだが。算用数字だってちゃんと隅に書かれているのだから。他の人の感想も聞いてみたい。
 2019/04/10  友人Hの住む福島に車で行ってきた。昨年買ったスズキの「ハスラー」は乗る機会が少なく、バッテリー上昇防止の意味もあり、あえて新幹線を使わず車にした次第。その友人Hとは学生時代ホンダのN3で九州旅行したことがある。当時の軽は排気量も360ccしかなく、車内は狭く、パワーも無かった。今の軽は本当に好く出来ており、一般道を走るには全くストレスを感じない。45年も経てば車も進化するのは当然か。福島では神秘的な五色沼、猪苗代湖等も訪れ、楽しい時を過ごすことが出来た。
友人Hに改めて感謝。
 2019/04/01  今日、新元号「令和」が発表されたが実施は5月1日でまだ平成が一か月ある。新元号の実施と発表は同時が自然だと思うのだが。何のための一か月かがよく分からない。令和という元号は、まだ、しっくりこないが、いずれ馴染んでくるだろう。これで景気がよくなればいいのだが。
 2019/03/29  ショーケンこと萩原健一が逝去した。内田裕也に続き、また昭和の破天荒な役者がこの世を去ってしまった。コンプライアンスが声高に叫ばれるようになった時代に、もう彼のような品行不方正な芸人の出る幕は無くなってしまった。寂しい限りである。改めて時代の変化を感じた次第。別に不良社員自慢ではないが小生がサラリーマン時代、コンプライアンス課長を命じられた時、まわりからは「泥棒が警察官になったみたいですね。」と揶揄されたことを思い出してしまった。過剰とも思われるコンプライアンス対応に馴染めず、結局、2年足らずで飛ばされてしまったのだが。それはさておき、ショーケンの話に戻す。昨日、訃報をきき、店で彼のやや感情移入過剰とも思われる「大阪で生まれた女」を聴きながら故人を偲んだ。アイドル時代よりずっとカッコいい。小生も時々、下手なピアノで「大阪で生まれた女」を弾き語りします。
 2019/03/21  3月21日東京の桜開花宣言がされた。だから何なんだ。宣言することで何かが変わるのか。どうでもいい宣言に騒ぎ過ぎる。そこに商機を見いだし、金儲けを企む人もいるだろう。しかし自然現象に対し、宣言する意味が分からない。まさか宣言されるまで花見をしてはいけない訳ではないだろうに。まさにどうでもいい一言でした。
 2019/03/18  昨日、阿佐ヶ谷のライヴハウス「ソウル玉」に、カルメン・マキのライヴを聞きに行った。彼女は70年代始めはジャニス・ジョプリンをかなり意識した、シャウトするソウルフルなロックを聞かせていて好きだった。現在は様々なtジャンルの歌を歌っており、「ソウル玉」でもその健在振りを遺憾無く発揮してくれた。やはり生は迫力があっていい。そして、いい気持ちで家に帰ると、内田裕也の訃報がテレビで流されていたので驚いた。彼はこれといったヒット曲は無いにも拘わらず、ずーと特異な存在感を示していて、ロックと言えば内田裕也だった。70年前後、ロックは反体制の代名詞のような位置づけだったが、そもそも内田裕也の存在自体が反体制で、正にロック的な生き方を通してきた人である。また新人を発掘しプロデュースする能力にたけ、沢田研二、ボロ達を世に出した功績も大きい。 彼のプロデュースしたフラワーー・トラベリング・バンドの「SATORI」はオリエンタルな感じの日本のロックの名盤の一つだ。また彼の死を予期していた訳ではないが最近ジャニスでよく彼の「朝日のあたる家」を流していた。ご冥福をお祈りします。
 2019/03/15  8年前の3月15日ジャニスがオープンした。早いものだ。たまたま高校の同窓会誌に店が紹介されたので、同窓生の来店を期待したい。
ところでピエール瀧がコカイン使用の容疑で逮捕された。
コカインといえば嘗て俳優の勝新太郎や角川書店社長の角川春樹が逮捕されているが、最近は覚醒剤に比べあまり聞かれなくなった。そこで今回はコカインについて蘊蓄を少し。
コカインは覚醒剤と同様、精神的依存性が高い。その吸引行為は欧米映画ではよく観られる。ヘロインがダウナー系(気分を落ち着かせる)ドラッグであるのに対しコカインはアッパー系(気分を高揚させる)の代表的なものだ。コカは古い時代、アンデス高原に住む先住民が重労働を緩和する植物として栽培したことが起源である。コカ・コーラも1903年まではコカの葉の抽出物が使用されていた。もちろん現在は使われていない。コナン・ドイルの小説にでてくるシャーロック・ホームズもコカインを使用していた。「ジキル博士とハイド氏」の作者として有名なスティーヴンソンはコカインを吸い、その力を借り三日間でこの名作を書き上げたと言われている。日本の作家でも坂口安吾がヒロポン(覚醒剤)を愛用していたことはよく知られている。勿論だからいいと言っているわけではない。コカインは覚醒剤以上の高揚作用があり多幸感をもたらすと言われるが、その反動として様々な幻覚妄想状態が表れることもあり、非常に危険で身体を蝕むドラッグであることはいうまでもない。しかし何故、ミュージシャン、俳優、作家等、表現者、芸術家と呼ばれる人たちが、少なからずドラッグに手を染めてしまうのだろうか。一般人の規範の中で生きていない分、ドラッグに対する抵抗感が少ないのだろう。また一般社会が、これまでとは異なり、これら特殊な職業の人達に寛容でなくなり、より厳しい倫理を求める様になった。コカインの話とは別であるが、社会的地位の高い人や有名人に対して、やや異常とも思える高い倫理性を求める傾向はいかがなものか。コカイン吸引だけで出演映画の放映についても議論されている様であるが、勝新太郎の座頭市はレンタルビデオ屋で簡単に借りられるという事実はどうなんだろう。


 2019/02/27  最近、月一回程度、わざわざ都心まで出かけ、友人と昼食をとっている。高級店ではないが、そこそこ有名な店を探索するのは楽しい。小生、全くグルメではなく、店もよく知らないので、友人が全て決めてくれるので助かる。そこで感じた事を一言。
我々が行くのは1500円程度の店が多いが、どの店も長蛇の列が出来ている。安くて旨い店ならわかるが、千円以上の店なのに不思議だ。我々は既に高齢者でこの程度の贅沢は何ともないが、現役のサラリーマンの昼食といえばワンコイン(500円以下)が一般的ではないのか。昼食に1500円も出し平気なサラリーマン、OLが東京には、わんさか居ることに驚いた。彼らは俗に言う経済的勝ち組なのだろうか。都心には高給取りのサラリーマンが一杯だ。年収300万円以下の人が大多数という中、正に東京は格差社会の縮図なのか。
 2019/02/25  何時も行く喫茶店で360円のコーヒーに560円を出し、おつり200円をもらったのだが、それが100円玉1個と50円玉2個だった。200円という価値は全く同じなのに少し気分を害した。「100円玉を切らしており細かくなって申し訳ありません」の一言を期待していた自分は何て心の狭い人間だろうと思う。10円玉ならまだしも、たかが50円玉である。天下、国家の行く末を考えることも無く、些末なことを気にしている自分がとても小さく、小さく見えてきた。まあ、100円玉を切らしている店もどうかと思うけど。キャッシュレス社会になれば、こんなことは無くなるのだろうが。どうでもいい一言でした。
 2019/02/24  何年振りかで芥川賞受賞作品2作を読む。小説を読まなくなって久しいが、昔のように一気呵成に読み通せなくなった。大衆文学(こう言った言い方はもう古いか)なら、まだしも芥川賞作品となると、ちょっとしんどい。2作品とも正直、その面白さがよく理解できなかった。昔、高橋和巳や、村上春樹を初めて読んだ時のような感動は無かった。「ニムロッド」はこの小説を通じ少しは仮想通貨というものが理解できるかと思ったが無理だった。日本も将来的にはキャッシュレス社会に移行していくのだろうが、仮想通貨の普及については疑問だ。通貨の信用力を保証する確たるもの(例えば国とか)が無い限りまだ難しいのでは。国家が保証する現行通貨にしたって究極的には共同幻想なのだから。「1R1分34秒」については「あしたのジョー」的面白さを求めていた自分がバカでした。
 2019/02/18  先日、映画監督佐藤純也が逝去した。氏は「新幹線大爆破」「君よ憤怒の河を渉れ」「人間の証明」等、一般的には大型娯楽作品を多く手掛けた監督として知られているが、やくざ映画も数本撮っている。「やくざと抗争実録安藤組」「博徒斬り込み隊」「組織暴力」等々である。他の東映のやくざ映画とはやや違った趣があるが、アクションシーンは上手かった。ご冥福をお祈りします。また、橋本治、岡留安則、堺屋太一といったユニークな方々も亡くなってしまった。併せて合掌。
ところで、この一言をしばらく休んでいた間「梅村は病気になってしまったのか」と心配してくれた友人もいた。遠方に居てめったに会えない友人とは数少ないコミュニケーションツールなので、これからはなうべく書く頻度を上げるよう努力します。
 2019/01/18  JOC竹田会長の記者会見には失望した。調査チームの報告書を読むだけなら会見は必要なかった。我々が知りたかったのは2億3千万円もの多額のコンサルタント料の妥当性と具体的なコンサルタント内容なのだ。自己弁護を聞きたかったのではない。(説得力無い言い訳だったが)どんなコンサルを受けたのか知らないが、誰が考えたって、たかがコンサルタント料で2億3千万円は高すぎる。過去に一度東京で開催した実績もあるのだから、今更、得体の知れないシンガポールの会社のアドバイスが必要だったか疑問が多い。この問題回避には、開催国を国の投票で決めるのではなく、輪番制かクジで決めるのが、お金もかからず、いいのでは。

 2019/01/14  先般JALの機長が飲酒検査をパスするため、部下を替え玉に使った事が公表された。替え玉といえば、たわいもない代返から、とんでもない替え玉受験まで様々だ。そういえば小生も中学3年の時、友人の大便を貰い、検便をパスした事があった。検便掲出の日、小生と級友Aだけが提出できず、担任教師から「おまえら二人、授業はいいから今すぐトイレに行って、出して来い。もしダメなら修学旅行に連れて行かないぞ」と脅かされた。二人並んでトイレで踏ん張るも小生、便秘で全く出ない。その時級友から「梅村、出たか?オレ出たから、もし出ないならオレのを分けてやるよ」と助け船を出してくれた。これ幸いに便をもらい受け、何くわぬ顔で提出し、無事、修学旅行にも行けたことを思い出した。その級友も数年前に亡くなってしまった。合掌。
不正ではあったが、改めて心の中で「あの時は便、有難とう」と小さく言った次第。
 2019/01/05  晴天が続き気持ちのいい毎日だ。ところで、昨年大晦日の那須川天心VSメイウェザーの試合について一言。結果は予想通りというか、圧倒的なメイウェザーのTKO勝ち。この試合はエキシビションマッチとはいえ、格闘技ファンは、ひょっとして天心がいい試合をするのではといった淡い期待もあったはず。結果論といわれるかもしれないが、天心は元々キックボクサーであり、この試合は異種格闘技ともいえた。それならもっとルールをどちらか一方が不利にならない様、細かく決めるべきだったと思う。天心に多少アドバンテージが与えられたのはグローブの重さのみ。これではメイウェザーが圧倒的に有利なのは明らかだ。神童天心のダウンシーンを見せられたファンはこの試合を企画したプロモーターに文句の一つでも言いたいだろう。映画「ロッキー・ザ・ファイナル」でさえ年老いたロッキーは現役チャンプには負けてしまうのだ。奇跡は起こらなかった。天心はボクシング等に色気を出さずキックでの活躍を期待する。
 2018/12/31  今年最後の一言。
この一言欄で、以前も少し触れたことのある行方不明となっていた高校時代の級友Kが、先日、ジャニスにひょっこり現れた。正直、驚いた。小生にとっては今年一番のニュースだ。50年近く音信不通だった友なのだから。高校卒業後、色々な事情により、自ら連絡を絶ち、長く海外で暮らしていたとのこと。急に小生に会いたくなり、インターネットを駆使しジャニスにたどり着いたという。このホ-ム・ページ以外、個人情報は発していないが、インターネットの威力はすごい。来年早々、友人Fのやっている飲み屋に突然おしかけ、驚かそうという話になった。R共闘の残党がまだ生きていたことがうれしい。朋、遠方より来たる。また楽しからずや。
なお来年は1月4日から営業します。
 2018/12/30  会社法の改正で社外取締役の設置が義務化されるとのこと。また世間知らずの役人の浅知恵、面目躍如たるものである。そんなことで健全な企業統治が進むと考える事自体、頭の悪い証拠。その前に機能不全に陥っている取締役会そのものを改革する必要がある。その方策について持論はあるが、長くなるので割愛する。また、カルロス・ゴーンの特別背任容疑にからんで、取締役会について一言、言いたい。新生銀行が日産に求めた、利益相反行為(ゴーン氏に対する会社の保証行為)に関する取締役会の議事録(写)ついてだ。これは銀行の債権保全行為の一環と思われるが、そもそも、利益相反行為を認める取締役会自体がおかしい。正式な手続きに則った取締役会が認めた利益相反行為ならOKなのでは無く、利益相反行為を認める取締役会がダメなのだ。新生銀行も同罪だ。
 2018/12/29  日経平均株価が7年振り 前年割れとなって2018年の取引を終えた。その原因や政治経済について今更、言及しない。もっと小さな個人の株式投資について一言。
全体的に株価下落傾向の中でも一部の人はカラ売りで利益を得ている。しかし大方の素人は株価上昇での利益確定売りを狙っており、株価下落状況下では大きな損失を被っているのが実情だろう。ウォーレン・バフェットの言うバリュウー株(割安株)を購入し長期保有するというのが投資の王道だろうが、小金持ちの素人には、この単純なことができない。それに加え、株価下落時に損切りする勇気もないのだ。これは株式投資にどうしても感情が入ってしまうからだ。株価が上がっている時は売却せず、持ち続ければよい。素人は値が上がった時に売り、値が下がっても持ち続けるけるからダメなのだ。逆指値で機械的に損切りすことが必要。損切りの達人にならなければ株で儲けることは難しい。
 2018/12/20  映画「スマホを落としただけなのに」を観て今のSNS状況が恐ろしくなってきた。小生はフェイスブックもラインもやっていないが、もう個人情報はどこかで管理されており悪用されることは覚悟して生きていくしかない。今盛んに報道されている中国のファーウエイの問題も深くは理解できていないが、急激な情報通信の進化に付いて行けなくなった。故河島英五の「時代おくれ」がしみじみ心に染みる。
 2018/12/18  今年で平成も終わるが、さして感慨もない。平成は1989年から始まる。それは丁度、バブルが頂点に向かう時で、その数年後、バブルは崩壊し失われた20年が続く訳だ。直接的にはバブルの恩恵を蒙った訳でもなく、むしろその崩壊の傷の方が圧倒的に大きかった。過去のことをグダグダ言っても詮無いことだが、これは明らかに当時の大蔵省の処方箋が間違っていたと思う。劇薬は副作用が大きく、それだけ犠牲も大きくなる。その他、平成ではやはりリーマンショックか。この後遺症も大きい。急速に会社がシュリンクしたのだから。金融は怪物だ。
 2012/12/16  昨夜イヤな夢を見た。会社をリストラ(解雇)される夢である。会社を辞めて既に8年にもなるのに、どうしてまたこんな夢を見たのだろうか。それはかなり具体的だった。上司が重要な話があると言って解雇予定一覧表というものを小生のところに待って来たのだ。その中に小生の名前がはっきりと記されていた。何でオレがという思いもあったが、収入が無くなることへの不安が大きく、これから、どう生活していこうかと思っていたところで目が覚めた。本当は不当解雇で会社と戦うのか、どうするのか、その後の展開を見たかったのだが、いいところで夢がさめてしまったのがとても残念。しかし小生8年前、退職ではあったが、窓もない小部屋で名刺も作ってもらえない、誰もが認める典型的な追い出し部屋に異動となり、収入も激減したのだから実際は解雇のようなものだった。もう、此処にいては陽の目を見る事はありえず、屈辱に耐えながら、こんな所で定年は迎えたくないな、といった思いが抑えきれず辞めた訳だ。会社の思うつぼだけど。ちなみに小生の同期の一人もこの部署への異動が決まったと同時に一日も働くことなく会社を辞めてしまった。本当に追い出し部屋はあるのです。
ジャニスにも色々な人が来る。左遷されたり、職場の不満や怒りを吐き出しに来る人も多い。そんなお客の声を真剣の聞いている内に昔の事が蘇り、夢に出てきたのだろうか。
 2018/12/12  急に寒くなりコートが手放せなくなった。天気予報でも外出時には必ずダウンが必要云々とコメントする。これがどうも気になる。いつから、コートのことをダウンと言うようになったのか。言うまでもないが、ダウンとは羽毛のこと。モコモコのコートやジャケットには羽毛がつまっているはずだから、これをダウンコート・ダウンジャケットと呼び、略してダウンと呼ぶ様になったと思われるが、すべてのコートに羽毛が使われている訳ではない。ちなみに小生のコートの中綿はポリエステルでダウンではない。コートの総称としてダウンは適切とは言えない。まあ、どうでもいい事かもしれないが。
 2018/12/01  イタリアの映画監督ベルトリッチが亡くなった。彼は「ラスト・エンペラー」で坂本龍一の楽曲とともに多くの日本人にも知られる監督となった訳であるが、小生は1972年発表の「暗殺の森」の方が圧倒的に印象に残っている。物語としての面白さもさることながら、森の中で反ファシスト教授が殺される場面のカメラワークがすばらしい。映画ファンで、もしまだ観ていない人がいれば是非レンタルビデオ屋へ。
 2018/11/27
 前回に続き更に一言追加。
一民間企業である日産問題がルノーと日産、ひいては日本とフランスの問題にまで発展しそうになっていることに一言。
日本とフランスとの問題とは少し大げさ過ぎないか。国益云々ではない。日産が大株主のルノーの意向に沿った経営を行うのは当たり前のこと。日産が経営不振に陥ってルノーが大株主になった時点で既に日産はルノーの子会社になったのだ。業績回復してから、今更カルロス・ゴーンの経営方針に文句をいってもしようがない。彼の公私混同と思われる行動は当然糾弾されるべきことで、解任は当然だと思われるが、直接的にはルノーの問題ではない(有価証券報告書の虚偽記載については?)。それより、言うまでもない事だが、それを許してきた経営陣の問題が大きい。。ゴーン氏を解任するのに司直の手をかりねばならなかった事も情けない。ルノーの意をくんだゴーン氏の経営方針に、どうしても納得できなかったのなら、会社を辞めるか、不退転の決意で内部改革を目指すしかなかっただろう。振り返って見ると、日本人のメンタリティーとして長年親しんできた下請け企業を切ったり、工場閉鎖といった抜本的な経営改善が望めなかったのならどん底の時、会社更生法でも申請して生き延びる手だってあったはず。それが出来ずゴーン氏の手を借りて生き延びながら、今、泣き言を言っても詮無い。話は変わるが、長銀が破綻した時も火中の栗を拾う日本企業は一社も無く、外資が手を上げ再建させた。それを後になって瑕疵担保条項云々といって悔しがるのはおかしい。今回のゴーン氏の件とは違うが、ふと思い出した。日本人は元々、リスクテイクが苦手な国民なのだろう。
 2018/11/24  カルロス・ゴーンはとんだ狸オヤジだったな。次々にセコサが露見していやになる。カリスマ経営者と呼ばれる人間は一度、疑って見たほうが良いかもしれない。日産といえば男子憧れの車を作る会社といったイメージが強く、個人的にはトヨタの「いつかはクラウン」ではなく「いつかはスカG(GTR)」だったが、結局、一度もオーナーになることは無かった。(今後も予定なし)数々の名車を生み出してきた日産なのだから、ここは踏ん張って名誉挽回して欲しい。ガバナンスにつてはどうしようも無い会社だが、早く株価を上げて欲しいのだ。小生、少額ながら日産の株を持っているので。
 2018/11/19  桜田義孝五輪相の国会答弁を聞いていて変なことを思い出した。小生の友人は三多摩出身者が多い。三多摩は東京23区以外が全部で、一言で言えば東京の田舎である。その中でも西多摩の人間は九九が言えなくても喧嘩が強い方がエライという価値観で育ったという話を聞き妙に腑に落ちた。(少しオーバーだと思うが、実際、九九がいえなくてもしっかり生活していた人がいた。)河原があり、喧嘩する場所に事欠かず乱暴者も多かった。さすがに今はそんな時代ではないだろう。しかし九九ではなくパソコンができなくても大臣になれるこの国は、いい国かもしれない。(西多摩の人を馬鹿にしている訳では決してありません。念のため。)
 2018/11/18  新宿 バルト9で映画「ボヘミアン・ラプソディー」を観た。これまでクィーンというバンドには、あまり関心が無かったが、今回の映画を通じ、この曲のすばらしさを痛感した。(当時クィーンは女性アイドルといった印象が強かった。)どうしてもフレディー・マーキュリーという人物の異形さばかりに目がいっていたのだ。映画はフレディーの同性愛者である事からの恋人との別れや葛藤、バンド仲間との軋轢、和解、楽曲作成までの問題等を経て、エイズに犯されながらも歌い上げる最後の圧倒的な迫力あるライヴで幕を閉じる。音楽ファンには見逃せない作品。蛇足かもしれないが、優れた芸術家には男性同性愛者が多い。男性同性愛者は女性ホルモンのエストロゲンのレベルが高いとも言われており、それがフレディー・マーキュリーのあの美しい高音に繋がっていたのかもしれない。
 2018/11/16  サッカー元日本代表でJ3相模原のGK川口が今期限りで引退するとのこと。J3になると余程のファンでない限りあまり関心がなく、正直、まだ現役で活躍していたという事に驚いた次第。小生もサッカーをしていた時、GKだったが、その当時GKといえば3Kで人気のあるポジションではなかった。釜本が人気絶頂の時でGKの横山は、やはり地味だった。川口はイケメンだし、彼が登場してからGKも注目される様になった感じがする。小生が社会人になってGKの経験が唯一生かされたことは、逃げずに前に出れば活路が見出せるという事。ビビリ屋だった小生はフォアードと一対一になった時、なかなか前に出て突っ込めなかった。しかし、たまに勇気を出して突進していった時はほとんど成功し、待っていた時は失敗することが多かった。その経験を活かし、社会に出て、ややこしい強面の相手と接することも多かったが、逃げ出したい気持ちを抑え、逃げずに突き進み大概上手くいった。もうそんな経験はしたくはないけど。
 2018/11/11  昨日、久しぶりに高校の同級生だったYの墓参りに昔の高校紛争に関係していた仲間6人と行ってきた。Yが自殺してから今年で丁度40年経ったことも一つの節目。遺書も無く、未だに原因は分からないままであるが、極左思想にのめり込み、抜けられなくなったのだ。自殺前から度々幻聴があったと聞く。Yからは「おまえは少し真面目さに欠ける」と批判されていたが、彼は真面目過ぎて小生の様に、適当な生き方が出来なかったことが悔やまれる。墓参りの後は、近くで居酒屋をやっている仲間の店で、Yを偲びながら昔話で盛り上がる。高校紛争への係わり方については、それぞれ、温度差や考え方の違いは相当あったが、約50年を過ぎやっと重い口を開き始めた。皆、世間一般からは少しずれた人生を送って来たかもしれないが、大きく道を外すことなく、それぞれ、何らかの落とし前をつけてきたようだ。(落とし前という表現は適切ではないかもしれないが、上手く言えない)後悔はない。暇なのかどうか仲間の一人Kが当時の膨大な資料を集め、分析中である。完成が待遠しい。されどわれらが日々か。
 2018/11/05  ハロウィーンで渋谷の街が若者に席巻され騒然となった様子をテレビで観た。何時の時代も若者は何かと騒ぐものだが、小生の若かりし頃は騒ぐのは新宿だった。若者のお祭りの場が、いつから、どうして新宿から渋谷に移ったのだろうか。新宿はすっかりオジサンの街になってしまった。その新宿も知っている店が次々と閉店し、行かなくなってしまった。そういえば先日、新宿の「キャンディー」が閉店しているのを見つけ、しばしの間、感傷に耽った。学生時代からお世話になった店だ。この店のオイルサーデンはとても美味く、ジャニスのオイルサーデンもそれを真似たものだが、とてもキャンディーの味には及ばない。ありがとうキャンディー。(ちなみに銀座キャンディーは健在です。)
 2018/10/16  大手ハウスメーカーの積水ハウスが地面師に騙された。何故、騙されたのか。売主の本人確認において、偽造パスポートを信じたとのことであるが、本人確認手段としてパスポートが適切だとは思えない。パスポートには顔写真と氏名の記載はあるが、大切な住所の記載は無い。高額な不動産売買の場合、書類だけでは無く、売主本人の住所に出向き、実際に居住していることを自ら確かめることは基本である。登記上の住所に住んでい無い場合は特に調査が必要であることは言うまでも無い。また、法務局から申請書類が偽造されていると指摘され、事件が発覚したとのことであるが、申請書類の作成からチェックが専門の司法書士のコメントが無いのもよく分からない。司法書士をも騙せるほど精巧な偽造書類だったのだろうか。今はコンピュータによるオンライン申請が進んでおり、電子署名等々があり具体的手続きはよくわからない。もし第三者が容易に申請できるのであれば、システム自体を考え直さなければならない。昔は登記済証(今は登記識別情報)、印鑑証明書が無いと所有権移転登記はできなかったので、書類偽造は簡単では無かったが、今はどうなのだろう。しかし、よしんば偽造が見つからず、無事登記が完了しても安心できない。登記には公信力が無いのだから、アナログ的ではあるが、形式的に書類に頼るのでは無く、泥臭い本人確認が必須である。
 2018/10/09  唐突だが、以前マイナス×マイナスが何故プラスになるのか考えていると言ったことがあった。色々なアプローチはあるが、数学的証明は以下の通り。昨日、ふと思いつたので紹介する。
-n×(-n+n)=-n×0=0
カッコをはずす。
(-n×-n)+(-n×n)=0
移項する。
-n×-n=0-(-n×n)
-n×-n=n×n
以上である。0に何を掛けても0になることが肝。

 2018/10/02  この一言をいつも読んでくれているジャニスのお客さんから、最近の一言は上から目線で、今一つ面白く無いとの指摘を受けた。確かに自分でもそう思うことがある。昔、内田百閒が新人作家の中村武志の処女作の序文に正確ではないかもしれないが、以下のようなことを書いていた。「最初から面白い事を書こうと思って書くのでは無く、結果として、どこが面白いか分からないのに面白いというふうに書け。」と苦言を呈した。内田百閒らしいコメントだが、物書きにとっては痛いところを突かれたといった思いだろう。けだし至言である。小生は物書きでも何でも無い、ただのマスターであるが、自分も、少し面白い話や、ちょっと人と違う意見を言ってみたいといったスケベ心がある。本当に人に楽しく読んでもらう文章は難しい。
2018/09/30   愛車のホンダVTRを売却した。白内障を患い遠くが見えにくくなり3年ほど乗っていなかった。手術により視力は回復したが、その間、バイクに対する情熱も以前ほどではなくなり、まわりからも、もう辞めたらとのアドバイスもあり、年齢を考え売却を決めた次第。バイク王に連絡し査定を依頼したところゼロだという。冗談ではない。多少メンテすれば、まだまだ充分走れるし、2気筒Vツインはバイクらしいパルス感でファンも多い。ゼロ査定は顧客をバカにしている。ここからが本題。ゼロでは意味がないので、お引き取りを願うも担当者は帰えろうとしない。軽トラックで来ており、手ぶらで帰社したら上司にしかられるのだろうか。最終的にうん万円で売ったのだが、何故、最初にゼロと言ったのか。小生が文句を言ったら値が付くというのでは査定でも何でもない。定価のない物の売買において価格交渉は当然であるがゼロスタートは無いだろう。松井秀樹を使いテレビコマーシャルで高く買い取ると宣伝しているが、こんな経営姿勢では信頼を失うだけだ。文句を言わない気の弱い顧客からは、相応の価値あるバイクでもゼロで引き取り、高値で売却し儲ける算段か。
 2018/09/29  最近、著名人の訃報が相次ぐが、同級生他、身近な知人も亡くなっていく。それもあって、4年に一度オリンピックの年に開いていた高校のクラス会を年一回にすることにした。4年の間に会っておきたかった人と会えなくなることも大いに考えられるからだ。年を重ね、若い頃とんがっていた奴も角が取れ、それはそれで、付き合いやすくなり、いいのだが、少し寂しい気もする。
 2018/09/26 ZOZOの前沢社長がアーティストを連れて月旅行に行くとのと。(着陸はしないようだが)小生、月旅行には全くl興味がわかない。故山本夏彦氏の「何用あって月世界へ」というエッセーを思い出した。月は現実的なものとしてでは無く、小説、空想の世界で楽しむのが一番。行くところではなく、遠くから眺めるものではないか。お金があって行きたい人はどうぞご勝手に。

 2018/09/05  日本社会に幽霊が出る。ハラスメントという幽霊である。〇〇ハラスメントという言葉がそこら中に氾濫している。正確な定義は知らないが平たく言えば、不当な圧力ということだろう。問題は、その圧力が、不当なのか、社会通念上、許される範囲の圧力なのか、その境界が極めて曖昧な点である。ハラスメントに対する世間の目は近時、増々厳しくなってきており、会社も、どの団体も戦々恐々としている。しかし、ハラスメントを社会から全て排除してしまったら社会の活力は、おそらく減退するだろう。物理の作用、反作用ではないが、圧力が強ければ、それだけ反発するエネルギーも大きくなる。ハラスメントの一切ない、ぬるーい社会が本当にいいのだろうか。行き過ぎたハラスメントバッシングが恐ろしい。あまのじゃくマスターの一言でした。
 2018/08/19  ソウルの女王アレサ・フランクリンが亡くなった。本欄は著名なミュージシャンが亡くなった時、一言いう習慣があり今回も一言。彼女の抜群な歌唱力には、いつも脱帽していた。カバー曲のアレンジもすばらしく、小生はサム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」のカバーが好きだった。映画「ブルース・ブラザース」での演技も良かった。ご冥福をお祈りします。
 2018/08/10  昨日の続き。入試時の女性差別について一言。
当時は、おかしいとは思わなかったが、母校の高校の生徒数は男子2に対し女子1の割合であった。これは男子の半分が女子のビリよりバカということ。本来なら優秀な女子の0・5がバカな男子の0・5の代わりに入学すべきもの。明らかな女性差別だろう。事前に人数割合が明らかになっていただけ、まだましではあるが。
次に奈良判定に関係して一言。これは人間の持っている単純な「えこひいき」という感情によるもの。贈収賄なら犯罪であるが「えこひいき」は倫理の問題。加計問題もしかり。この「えこひいき」を無くすことは無理。ならば、ひいきされない立場になった場合、それを覆す方法は無いのだろうか。あります。圧倒的な力の差を見せつけることだ。ボクシングでは判定ではなく、ダウンを奪って勝つこと。一般の仕事であれば普通の人の3倍以上の成果を出すこと。そうすれば、たとえ上司に嫌われても、えこひいきされる普通の人にも勝つことができるはず。自慢話になるが、小生サラリーマン時代、営業で3年間ほど人の5倍の実績を上げたことがる。小さな会社だったがその後、小生が何をやっても社長からは文句一つ言われなかった。しかしこれはある年齢以上になると逆効果になるのでご注意を。また大企業には当てはまらないかもしれない。実績を上げ過ぎると出世の妨げになります。奈良判定のことからサラリーマン処世術の話になってしまった。
 2018/08/09  東京医科大の不正入試問題、ボクシングの奈良判定問題等々、不正、不公正問題について一言。今、様々な所で続々と不正が明らかになり世間を騒がしているが、昔と比べ現在の方が倫理観が劣っているのだろうか。そんなことはあるまい。内部告発し易くなったという時代背景があり、今まで表に出にくかった不正が明るみに出始めたという事だろう。加えて従前なら、なあなあで通っていたしたちょっと不正でも許せないという風潮、SNSの普及等もあるはず。しかし、改善の方向に向かうだろうが、人間の判断が伴う事象において、全ての不正を無くすことは無理だろう。入試に面接や内申書が合否の判定基準としてある限り完全な公正は無理である。とは言っても、社会人となれば不公正や不正は嫌という程経験するのだから、せめて学校入学試験に限っては極力、公正を期すべきなのは言うまでもない。今はどうか知らないが、小生の通っていた都立高校の合否判定は試験の点数が50%、中学の内申書が50%だったと記憶している。全ての中学校が同じレベルで同じ生徒数なら内申書を信頼してよいが、優秀な生徒が多い学校もあれば、出来の悪い生徒が多い学校があるのが実態である。内申書が相対評価である以上、中学校間の格差は表面的に顕在化しない。極論すれば入試の試験がよくても内申書が悪ければ落ち、入試の試験が悪くても内申書が良くて受かる生徒もいることになる。また美術等、受験にない科目は内申書が加点され、さらに教師の主観が評価に影響するため、絶対に公正とは言えない。結論。試験一本のほうが良い。長くなったのでこの続きは次回。
 2018/07/24  今月19日脚本家 橋本忍が逝去した。享年100歳。故人には失礼だが、ここ何年も話題に上ることが無く、もう亡くなっていたのかと思っていた。映画好きの小生でも監督や主演俳優のこはよく覚えていても、脚本家までは、なかなか関心が及ばない。 しかし橋本忍氏だけは例外。日本映画界を支えていた大きな存在だった。黒沢明監督の一連の名作から「砂の器」等、どの作品も骨格のしっかりした脚本が光っていた。ご冥福をお祈りします。
 2018/07/23  先のカジノIR法案の成立に際し、相変わらずギャンブル依存症につて色々言われている。今回はその依存症について一言。結論から言えば、依存症対策の効果は期待できないだろうし、無用だと思う。依存症というと、何か心の病を思わせて、マイナスイメージを感じさせるが、そもそも依存するという事が、そんなに悪い事なのか。何かに夢中になって止められない状態は必ずしも悪いことではあるまい。何かを成し遂げる人物は、対象が何であれ、相当の依存症にかかっているのではないか。ギャンブルだけ何故依存してはいけないのだろうか。株式投資(これもギャンブルか)でも、アルコールでも、過剰消費でもそれで財産を失う人間は必ずいる。それも人生であろう。これでもか、これでもかと消費を煽るCMは消費依存症を促進するが、規制は何もない。ギャンブルだけ特別に依存症対策が必要なのか不思議だ。またその依存症対策の具体案も笑える。ギャンブルにスリルや快感を覚える人間にその絶対基準は無い。一回1万円の掛け金でスリルを覚える人もいれば、1億円賭けても何とも思わない人もいる。その人間の年収、資産、価値観等によりリスクや快感の臨界点は一様ではない。月10回までならいいだろうという発想は、いかにも役人が考えそうなことで、馬鹿げている。また小生の勘だが、6000円の入場料を支払う人間が依存症に陥って破綻するとは思えない。少し観点は違うがギャンブル資金の貸付については反対である。ギャンブル依存ではなく、金貸しの問題に変わってしまうからだ。
 2018/07/16  阿佐谷ユジクで「ラスト・ワルツ」を観る。ザ・バンドの解散コンサートのライヴ映像である。昔、レンタルビデオで借り、何回も観ているのだが、やはり劇場で大音響とともに観るのは違う。当然だが、40年前の作品なので、ゲスト出演しているボブ・ディラン、ニール・ヤング、エリック・クラプトンらも皆、若々しい。実は「ジャニス」を開店する前、ジャニス・ジョプリンではなく、この「ラスト・ワルツ」を何度も聴きながら、この曲に合う店造りを考え、一人悦に入っていた。ザ・バンドのすばらしさは、言葉では中々、表現することはできないが、とにかく好きなのだ。また映画「イージー・ライダー」で黄昏時、バイクを走らせるシーンの中でバックで流れるのが、ザ・バンドのあの名曲「ウエイト」である。、これが実に映像にピッタリ合っており、たまらない。バイクとザ・バンドに嵌った訳です。
 2018/07/15  今回の西日本を襲った豪雨による被害の甚大さは想像を越えるものだった。これは人災の側面も強い。今更言っても詮無いが、これだけ毎年水害が続いているのに自治体や国は事前に被害を少なくする方策をなぜ講ずることが出来なかったのか。大規模で徹底した治水工事を早急に着手すべきであろう。財政再建云々を言ってる場合ではあるまい。今こそ大型の財政出動が必要な時である。
 2018/07/13  スタバがビニール製のストローを紙製に変えるらしい。、これには若干の疑問がある。観光客が浜辺に捨てた使用済みのストローが海に流され、それが海洋汚染につながっているというのが変更の理由らしいが、本来はストローの素材の問題ではなく不当投棄を問題にすべきではないか。本質的には個人のモラルの問題に帰することだと思うが、根絶することは容易ではないだろう。しかし素材を紙に変えるということは、紙なら捨てても良いとでも言っているようで何処か変だ。変更コストを考えるなら、その分、不当投棄防止対策費に充てるほうが良いのでは。この変更には地球環境に優しい企業であるといったイメージ戦略がすけて見える。おそらく右へならへの日本企業もでてくるだろう。
 2018/07/07  松本死刑囚他オウム真理教幹部の死刑執行について一言。
いつも小生が疑問に思っていることは、そもそも死刑執行の事実について、いちいちマスコミ等で公にする必要があるのかということ。執行はひっそり行えばいいのではないか。死刑確定とその執行はセットとして考えるのが普通であろう。また大きな事件だったからといって、法相が会見を開く必要もない。もし会見を開くなら、もっと以前に死刑確定後、いつまでも執行しないことにつて言及すべきであったろう。識者のコメントもピントがずれている。死刑判決に関して様々な観点から議論するのは意味があるかもしれないが、執行について云々するのはあまり意味がない。人権的な観点から議論するのであれば、執行についてではなく、死刑制度そのものについて議論すべきであろう。
 2018/07/03  サッカーワールドカップのベルギー戦は興奮した。
2-0になった時は勝てると思ったのだが・・・・さて話は遡って対ポーランド戦での、最後のパス回しについて一言。サッカーの専門家は殆どがこのパス回しに肯定的だった。その是非はともかく、何故、批判するコメントがひとつも出てこなかったのかが不思議である。結果として決勝トーナメントに進めたし、今、西野監督の采配を批判することは、一種タブーのような空気が感じられた。日本が一体となって戦おうとしている時、水を差す様なコメントは特にテレビでは難しかったのかもしれない。いわゆる同調圧力というものが、ここでも働いたということだろう。ちなみに小生は、別に少数派を気取る訳ではないが、あのパス回しは反対である。積極的に攻める姿を見たかった。
 2018/07/03  一時期連日の様に報道されていた紀州のドンファン怪死事件も、新たな進展が無いことから、世間の関心も少し薄れてきたようだ。それにつけても被害者ドンファンに対する同情心のかけらもない報道はいかがなものか。いかに、世間一般人間の成り上がり者に対する嫉妬心が強いかをよく物語っている。更に金貸しという職業に対する蔑視も加わって、不謹慎を承知で言えば、「殺されてもしょうがないよね。豪つくな金貸しだし、きっと非情な取り立てしてたのだろう。」といった心情が世間一般の人にはあるだろう。その下劣な心をくすぐることにより、週刊誌は売れるし、テレビのワイドショーの視聴率は上がるのだ。ドストエフスキーの「罪と罰」や「ベニスの商人」「金色夜叉」を出すまでもないが、どうして金貸しは古今東西、有史以来、忌み嫌われるのか。金融資本主義の暗部なのか。そんなことを感じた次第。、
 2018/07/02  今月から当面、火曜日も休みます。よって営業日は水、木、金、土の周4日となります。商売不熱心でスミマセン。ところで先日、店の常連の方達と4泊5日で宮古島に行ってきました。これが日本かと思うほどの美しい青い海と白い砂浜に感動。マリンスポーツはしませんでしたが、島を熟知している常連の方の案内で楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
 2018/07/01  東映やくざ映画の名脇役 名和宏が逝去した。かっぷくもよく悪役の親分がよく似合う俳優だったが、コミカルな役もこなす器用な人でもあった。名作「総長賭博」で若山富三郎に刺されながらも、晒を巻き、襲名披露に向かう姿は敵ながら(ゴメンなさい)あっぱれだった。また鈴木則文監督の「徳川セックス禁止令 色情大名」でのとぼけたキャラクターも捨て難く、また名優を失ったことが残念である。ご冥福を祈ります。
 2018/06/16  米朝会談について一言。この会談の成否について識者の見解は毀誉褒貶、様々であるが小生がどうも理解できないのが「体制保証」だ。北朝鮮の現体制を米国が保証するとは具体的にどういう事なのか今一つ判然としない。現在の北朝鮮の恐怖独裁政権を米国が守るということであれば、もし万一、北朝鮮の民衆が民主化を求めてクーデターを起こした場合、米国は軍事介入し民衆を弾圧するというのか。まさかそんな事はないだろう。体制保証とは、核廃絶したら軍事攻撃をしないというだけのことなのか。またその保証を担保するものは何なんだろう。全くよくわからない体制保証だ。
 2018/06/06  小生の読書の仕方は分野の異なる4~5冊の本を同時並行して読んでいく。したがって読了するのに時間がかかるし、途中で投げ出してしまうこともある。しかし最近、例外的に一気呵成に読んだ本がある。<世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか>山口周著 である。長くなるので詳しくは紹介できないが、論理と理性だけでは勝てない時代に美意識や哲学といったものがキーワードとなるというもの。小林秀雄やアップルのスチーヴ・ジョブスの言動の分析は示唆に富むことが多かった。高学歴者が何故オウム真理教に取り込まれてしまったのかということのに対しても分かりやすく説明している。話は飛ぶが最近読んだ本で他に面白かったのは「AI VS 教科書が読めない子供たち」新井紀子著。故ホーキンス博士には悪いが、著者はシンギュラリティーは来ないと断言しており何故かほっとした。

 2018/05/20
 東映やくざ映画ファンにとっては待ちに待った劇場版である。今公開中の「孤狼の血」を新宿バルト9で観てきた。内容は暴力団担当の刑事とやくざとの闘い、警察内部の陰謀等々の話で、それ自体かつて何度も扱われてきたテーマである。然程の新鮮味はないが、テンポもよく面白かった。やくざ映画は繰り返しでいいのだ。名作「県警対組織暴力」や「くちなしの花 やくざの墓場」を彷彿させるシーンがいくつかあり、深作欣二監督へのオマージュも感じた。それにつけても役所広司は上手い役者だ。常軌を逸したはじけた役は「シャブ極道」でも遺憾なく発揮されていたが、今回は更にその上をいっていた。石橋蓮司も悪役がよく似合う。東映やくざ映画ファン必見の映画。
 2018/05/19  「老いぼれ記者魂」という本を読む。この本は今から45年前、青山学院大学の教授が教え子の女子学生に強制猥褻行為をしたということで有罪となった事件に疑問を持っていた元毎日新聞社の記者が、その詳細を検証したものである。事件当時、マスコミは有名教授のスキャンダルということで大きく取り上げていたが、小生はまだその時大学生で、あまり興味は抱かなかった。しかし既に風化したと思われていた事件の裏に、最上恒産の早坂太吉が大きく関わっていたということを本の紹介文で知り、興味を惹かれ読んでみたのだ。早川太吉は地上げの帝王と言われ、小生も30数年前、何度か会ったことがる。その印象は強烈だった。パンチパーマに薄いサングラス、ド派手な服装はとてもカタギの人とは思えなかった。林真理子の小説にも登場するバブル時代を象徴する一人でもあった。それはさておき、この本の感想を一言述べる。ミステリー小説のよ様な面白さもあっが、事件関係者への突っ込みが今一つ物足りず、また本来、公正公平であるべき裁判官が何故、全員一致で有罪としたのか、そのことへの追及が無く、消化不良のままの結末が残念である。再審請求の道も閉ざされてしまった今となっては真相は永久に謎のままである。しかし、この本を読んだ読者のおそらく99%はこの事件は冤罪と思うだろう。題名は忘れたが、筒井康隆の小説に、無実の人間を裁判官?達がよってたかって有罪にしてしまうというのがあった。これは有名な映画「12人の怒れる男」のパロディーであるが、それが現実に起こってしまったかの様だ。それにつけても、昨今、女性問題で騒がれている事件が多い中、あまりにタイミングのよい出版だった。
 2018/05/17  日大アメフト部の悪質な犯則行為に対し非難が集中している。この危険な行為自体、許される事でないことは当然であるが、問題はこのプレーを指示したとされる監督が姿を隠し、大学当局も責任を一選手に転嫁していることである。この、今、日本中に蔓延している責任転嫁体質どうにかならないものか。この事件で高校時代のサッカーの試合のことを思い出した。定期的に行っていた練習試合中、一緒に観戦していた顔見知りの相手チームの元フォアード選手が我が母校のエースストライカーに対して、「けずれ、けずれ」と大声で指示を出していた。(けずれとはケガをさせろという意味)サッカーはそれ程激しいコンタクトスポーツではないが、それでもルールぎりぎりのところで、審判の目を盗み、ラフプレーを行うことは昔からあった。コンタクトスポーツに闘争心は必須である。
にしても今回の日大の行為はひど過ぎる。どうでもいいけど、けずれと大声を上げていた男は悪ガキで卒業後、吉祥寺の雀荘でバッタリ会ったことがある。今どうしているのか。
 2018/04/28  TOKIOの山口達也の強制猥褻事件について。
この事件で小生が少し違和感を抱いていることは、事件そのものではなく、事件に関係ないその他のメンバーが謝罪会見を行ったことである。いくら結束の強い一心同体のグループとはいえ、現場に居合わせていた訳でもない他のメンバーが謝罪するのは変だ。連帯責任なんて生じる訳ないだろう。またメディアがこれを、あたかも美しい友情の如く美談めいて報じていることも理解に苦しむ。
 2018/04/26  高校の同級生9名(男性5名女性4名 といっても小生だけ違うクラス)で沖縄旅行に行ってきた。沖縄が地元のT氏の案内で普通の旅行者では味わえない聖地、食事処、珍しいバーにも行くことが出来、実に充実した中身の濃い旅行だった。沖縄に嵌る人が多いのがうなずける。今回の旅行で改めて感じたことは、やはり人生で最も多感な十代後半を共に過ごした高校時代の仲間は得難い財産であるということ。何年も会っていなくても、すぐに打ち解けることは嬉しいかぎり。次回のズッコケ旅行が楽しみだ。
 2018/04/15  先日、高校時代の親友だったNの墓参りに友人5名と行ってきた。Nについては、以前この欄で少し触れたことがあるが、彼は高校時代、学生運動に積極的に関わっていて、大学の全共闘を真似、R共闘という超マイナーな組織も作り学校側と対立していた。小生もその組織の隅っこの方にいたが同じクラスメイト5名のR共闘は自然消滅、その後の5名の消息は、Nが肺がんで死亡、Yは自殺、Kは高校卒業後行方不明のまま、残ったFと小生の2名はともに細々と飲み屋をやっている状況。墓参りの後、友人達と紛争当時の思い出話に花をさかせるが、50年近く経っており、それぞれ記憶も曖昧になっている。小生は、あまり真面目な活動家では無かったので、学園紛争について、とやかく言う資格はないかもしれないが、バリケード封鎖が失敗し、その日から授業が無くなってしまったことについては、小生が立川警察に捕まったことが多少影響したかもしれない。警察から解放され学校に戻ったところ教室は異様な雰囲気に包まれており、その時から授業が 無くなったのだから。今となっては、ほろ苦い思い出話ともいえるが、バリケード封鎖は自分自身にとっては失敗してよかったのではと考えることがある。無責任といわれるかもしれないが、もし成功し学校側と完全対立し、立てこもっていたら退学になっていたかもしれない。そうなると、その後どういった 人生を送っていたか想像もできない。友人5名、それぞれの思いを語った後、互いに健康を願い別れた。
 2018/04/09  昭和53年10月12日会社は破産宣告を受け消滅。同月30日付で解雇する旨の内容証明郵便が破産管財人より届く。それまでの自堕落な生活にピリオドを打ち、いよいよ転職活動を始めることとなった。午後でも初めて会う人に対しては「おはようございます」と挨拶する社風や、ズボjンのことをパンツと呼ぶことが何とも恥ずかしく、アパレルは向いていないと感じ、今度は堅気の会社で働こうと決めた。履歴書に貼る写真のため口髭は剃るが頭が角刈りのままでスーツがいかにも似合わない。それでも、過去の悪行を隠し、何とか小さいながら、まじめで堅気の会社に潜り込むことができた。この会社ではよく働いた。月100時間程のサービス残業も厭わず、給料以上働いた。何故そんなに働いたのかといえば、浪花節的だが、倒産会社の社員を、よく拾ってくれたという恩義を感じていたからにほかならない。それに加え、ビジネスを基本から学べたということが、とても嬉しく新鮮だったこともある。何しろ、それまで東スポと日刊ゲンダイしか読んだことが無かったのが、日経新聞を熟読するようになったのだら。入社5年くらいは殆ど遊ばず、仕事と勉強に没頭した。人生で一番勉強したかもしれない。しかし運命は過酷で1997年この会社もバブル崩壊の荒波を乗り越えられず1兆3千億円もの負債を抱え倒産してしまったのだ。最後の三番めの会社は定年まで勤め上げる事が出来ずバーテンとなった訳です。
 2018/04/07  更に前回の続き。
倒産後の仕事は主に軽作業が中心で、頭は全く使わないが体は使うので、体力は付いてきた。マイクロバスに乗せられ、倉庫から次の作業現場への移動中、車窓から冷房の効いたオフィスで働く人々の姿を見ながら、うらやましく思ったものである。先輩からは「肉体労働に耐えられるよう、体は鍛えておけよ。もうきれいな仕事なんて無いんだから」とも言われ、作業後は汗を流すため配られた銭湯無料券を握りしめながら、トボトボ家路につく日々であった。その間、裁判所からは、なかなか更生計画決定が下されず、会社は破産へと真っ逆さまに墜ちていったのである。(ちなみに更生申請が受理され更生計画決定が下され無かった例はほとんど記憶に無い。)
 2018/04/06  前回の続き。1978年4月6日のこと。その日の午後、同僚の一人が、どこで情報を得たのか分からないが、小生の席に来るや、突然「今日、会社更生法を申請し会社は倒産する」と知らせてきた。ショックを受け、とても仕事をする気も起きず、仲の良い先輩と外に出てお茶を飲みながら、今後のことを話し合った。その時はまだ、更生会社として再出発できるのではと一縷の望みは持っていた。社に戻るとほどなく、保全管理人を筆頭にマスコミ各社が会社に押しかけて来て、社内は一時騒然となった。小生は取材を受ける事もなく、ただボーとテレビカメラの方を見ているだけであったが、家に帰える気もせず、友人のやっている新宿のスナックへ直行した。店内にあるテレビで会社倒産のニュースを見ながら「オレは映っていないなー」なんて能天気なことを思いながら、深夜家路に着いたのだった。
 2018/04/04  この時期、テレビニュースでは大手企業の入社式や新入社員のコメントを紹介するのが恒例となっている。どの顔も幸せそうに見えるが、この先、会社も変わっていくだろうし、5年先、10年先入社した会社が存続している保証はない。私事で恐縮だが、丁度今から40年前の4月6日、小生の勤務していたアパレルメーカーが会社更生法を申請し倒産した。そういえば既に入社時からその兆候は見えていた。小生の入社歓迎会の席での先輩社員の一言がが今でも忘れられない。「お前はこの会社に入ったことを絶対後悔するぞ」と言われてしまったのだ。その不吉な予言通り、入社3年後の昭和53年4月6日会社は倒産した。その日のことはよく覚えている。その日も小生は、いつも通り出勤前、本社の一階にある「カフェ・エスプレッソ356」でコーヒーを飲んでいたところ、たまたま社長(丸紅から出向していたS氏)も横でコーヒーを飲んでおり、その姿がとても疲れている様に見えたことが印象に残っている。その後、社長は社員に対して倒産に至った経緯等の説明も一切無く姿をくらましてしまった(お決まりの入院)。そのことについては腹も立つが今となっては時効か。倒産後の話はまた次回。
 2018/03/28  4月から月曜日も定休日とします。日曜日と合わせ週二日休むことになりますが、よろしくお願い致します。終活に向け色々やることがあるので悪しからず。
 2018/03/25 森友学園をめぐる公文書改ざん問題が象徴している様に、政治家、官僚といったエリートといわれる人達の資質劣化が著しい。いつ頃 から、こうなってしまったのだろうかとその原因を考えて、もなかなか明快な回答が見出せない。ただ一つ言えることは、今の世の中を覆っている漠たる閉塞感、将来への不安等が増大した結果、すべての人間とは言わないまでも、大多数の人間が倫理観よりも、自分だけの利益や保身といったことを第一に考える様になってきたことが原因の一つではなかろうか。何を守ろうとしているのか不思議である。特にエリートと言われる人たちの自己保身本能は異常だ。
 2018/03/04  久しぶりの一言。メディアのやや過熱とも思える五輪報道も終わり、穏やかな日常が戻ってきた。日本人の活躍する競技は、やはりテレビにくぎ付けとなるが、残念なことは、小生の一番好きなスキーの滑降競技が殆ど放映されないことだ。単純だけれど、あの迫力あるスピードがたまらないのだけれど此の競技、危険過ぎて人気は下降しているのだろうか。採点競技はどうしても完全に公平ということはいえず、スピードを競う競技の方が分かりやすくて好きだ。 



 
 2018/01/31  映画監督沢島忠の訃報が新聞の片隅に小さく載っていた。氏は小生の大好きな東映仁侠映画の出発点となった「人生劇場 飛車角」を撮った著名な監督だったが、今や知る人も少ないだろう。「人生劇場 飛車角」は飛車角を鶴田浩二、薄幸の女おとよを当時、実生活でも恋愛関係にあった佐久間良子、三角関係の一人で最後に殺される宮川を高倉健が演じている。豪華な顔ぶれである。最後にあるはずの鶴田浩二の、殴り込みシーンが無いのが少し残念であるが、この映画は大ヒットし、その後、仁侠映画は同工異曲のストーリーで量産されて行くことになる。どれも同じじゃないかと言われればそれまでであるが、アニアは全部見ないと気が済まないのだ。パンクロックが単純なスリーコードの繰り返しで、みんな同じに聴こえてもパンクファンは全てのパンクロックに酔いしれるのに似ているかな。話は少しそれたけれど、沢島忠氏に合掌。
 2018/01/25  西部邁が逝去した。自殺である。氏は自書では自殺を自裁と表しその死を予感させていたが、まさか本当に実行するとは。ここ何年も出演していなかったが「朝まで生テレビ」の常連で、その独特の語り口が印象に残っていた。昨年末、上梓された「保守の神髄」を読もうと思っていた矢先の死である。氏は60年安保では指導的立場にいたが、その後東大教授等を歴任、保守の論客として活躍していた。それは左翼からの転向といった単純なことでは無く、むしろ反米ナショナリズムという点ではブレていない。嘗ての米国のイラク侵攻にも強く反対していた。元左翼の転向は古くは林房雄、田中清玄はじめ多くいるが、氏のそれは少し違うように思える。それはさておき、追悼の意味も含め早速「保守の神髄」を読んでみることとする。
 2018/01/17  今年初めての一言。今年もそれ程良いこともなく新年を迎えることになった。成人式を楽しみにしていた二十歳の女性が着物が着られなくなるという被害が報じられ数日が経つ。「はれのひ」という着物販売レンタル業者が契約履行せず、経営者も姿をくらましてしまったという事件だ。被害を受けた女性は誠に気のどくというしか無いが、小生が不思議に思うのは①着物が他の一般の物に比べ非常に高い。②2年も前から一部とはいえ代金を前払いしてしまう③成人式に何故女性は着物を着たがるのか等々である。
高額な着物レンタル料の支払いは恐らく両親の資金援助なしでは二十歳の女性には無理であっただろう。一般常識も充分持っているはずの両親が娘可愛さに冷静な判断力を失ってしまったといえば少し酷に過ぎるか。当然一番悪いのは夜逃げした「はれのひ」だが、この際、これを奇貨とし、あやしい業者を見抜く力を習得すべきだろう。高い授業料だったかもしれないが。まあ成人式なんて別に出なくたって将来困るものでもない。そういえば小生は成人式には全く興味が無く出席しなかった。中学の入学式も出なかったし、高校の卒業式は学園紛争で無かった。それでも元気に生きてます。
 2017/12/29  <お知らせ>年末年始は12月30日から来年1月4日まで休みます。宜しくお願い致します。休みの間は家で古い映画でもレンタルビデオで見ながら過ごそうかと思っています。頭が固くなったせいか、最近の時空を超えた世界観を描く映画についていけなくなった様です。
2017/12/27  映画脚本家 笠原和夫の「昭和の劇」を読み終える。今や絶滅危惧種となった東映やくざ映画ファンぐらいしか読まないであろう、分厚い本だが面白くて寝不足となってしまった。ノスタルジーではないが誰が何と言っても、やはり昭和は面白い時代だった。平成もそろそろ終焉を迎えるが、個人的には、ほとんど、いいことは無かった。ところで氏の著書はでは他に、「破滅の美学」「映画はやくざなり」等があり、「映画はやくざなり」に収録されている秘伝シナリオ骨法十箇条はシナリオ作成の王道を説いており、今でも少しも色あせていない。シナリオライターを目指す者には必読の書である。
 2017/12/20  今年を象徴する漢字が北だという。北朝鮮の核の脅威等がその理由とのことだが、日本国内にミサイルが落下した訳でもなく、どうもピンとこない。北朝鮮の核の脅威が
世界の共通認識の様であるが、国によって相当の温度差はあるだろう。別に北朝鮮を擁護するつもりはさらさらないが、核不拡散条約の欺瞞性が論議されないのも不思議だ。現在核を保有している国の保有は認めるが他の国の保有は認めないというのは、どう見てもおかしい。良い国は持ってもいいが、北朝鮮を始めとする悪い国はダメというのは面妖な論理だ。現在の核保有国はそんなに良い国なのだろうか。核兵器は現実的には使用できない兵器かもしれないが、保有していること自体が大きく国益を担保するものであることは一般常識であろう。では、もし北朝鮮が核兵器を保有するに至った場合、日本はどう対処すればよいのか。米国は日本の核保有は認めないだろうし、かと言って、日本が米国に反抗してまで核保有するとは思えない。また、いくら日米安保条約があったとしても米国が日本のために核を使用することは100%ありえない。そこで小生の提案。米国と停止条件付核兵器賃貸契約を結んでおくことである。実効性を担保するものは無いが契約を締結したという事実だけでも心理的l効果は十分あると思うのだが。有名無実化している非核3原則はあるけれど。
 2017/12/14  12月16日(土)、23日(土)は店を休みます。
今年は例年になく喪中葉書をもらう事が多かった。そこで気づいたことは、亡くなった方の年齢の殆どが90代半ばという事であった。ついに人生100年という時代がもうそこまで来ているということか。小生も老いるにはまだ早い。もう少しジャニスで頑張ってみよう。
 2017/12/06  久しぶりの一言。日馬富士の暴行事件で、今相撲界が揺れている。今後の相撲界の在り方について私見を述べる。暴論かもしれないが、酒場のマスターの与太話として聞き流してもらいたい。相撲界をややこしくしている大きな原因の一つが、現在の相撲が純粋なスポーツなのか、興行なのか境界が曖昧なことである。スポーツであれば当然勝ち負けが最重要で、そこに星のやりとりなどあってはならない。見るものはガチンコ勝負に興奮するのである。しかし国技である相撲には勝負だけではなく精神性が求められ、横綱には更に人間としての品格まで求められているからややこしくなる。勝ちに拘る白鳳の相撲に批判も多いようだが、格闘技に品格を求めていけば、勝負は面白くなくなり、迫力も欠く。相手の弱いところを狙い勝ちに行くのは品格を欠いても格闘技としては正しいのではないだろうか。そもそも格闘技と品格は相性が悪いものだと思うのだが。そこで小生の提案。貴乃花親方の求める精神性を重視した伝統ある国技としての相撲と白鳳の求める相撲は根本的に相容れないのだから、二つの相撲団体を立ち上げる。一つは従来通り、精神性を重視した相撲道を極めていく団体。もう一つは格闘技に徹した相撲もどきを追求する団体。(禁じ手も極力少なくする。)これはトーナメント性にして年一回優勝者を決めることとし次年度は全力士ゼロからスタートする。当然巡業はしない。非現実的なのは分かるが、どうだろうか。要はスポーツと興行を完全に分けるというもの。
ついでに常日ごろ疑問に思っていることについて一言。一人横綱は責任の重圧が大きく大変だという意見。何故一人横綱が大変なのかサッパリわからない。横綱が4人いればその責任が四分の一に軽減するとでも言うのだろうか。何人も横綱がいればかえって、横綱の存在価値が下がるのでは。自分一人が横綱であるといった方が頂点に立っている証明でもあり、そのほうがむしろ横綱本人にとっても嬉しいのではないかと思うのだが。
 2017/11/10  米国トランプ大統領の訪日でメディアが注目もせず、言及しないことだが、少し気になったことを書く。どうでもよい小さなことかもしれないが、トランプ氏のスーツの着こなしである。立っているとき、上着のボタンをかけていない姿が気になってしかたがない。正式な場で上着のバタンをかけるのは常識であり礼儀でもある。トランプ氏の側近は誰も注意しないのだろうか。お腹が出過ぎてボタンがかけられないのであれば、体に合ったスーツを作ればいいだけにこと。
 2017/10/25  今回の衆議院選挙における希望の党の失速原因をマスコミ各社は小池代表の「排除」発言に依るものと分析している様であるが、これはあまりに選挙民を馬鹿にしていないか。確かに小池氏の「排除」とか「サラサラない」といった言葉が心優しい選挙民の反感を招いた点はあるかもしれないが、小池氏の言っていることは極めてまっとうなことである。基本的考えが異なる人たちと同じ党を組むこと自体が不思議である。単に反自民というだけの最低の意思統一で出来た組織で政党維持出来る訳がない。これまでに、どれだけの政党が同床異夢のため出ては消えていったのか、小池氏にも学習能力はあったのだ。元々、希望の党の政策には何の新鮮味もなく、その脆弱性も選挙民は分かっていたはず。それを軽佻浮薄なマスコミ、メディアがあたかも反自民の大きな風が吹き荒れ、希望の党がその中心であるかのように空気を煽っていただけに過ぎない。誠に罪深きマスコミ、メディアである。選挙民はシンプルに東京都知事という要職にある人が、にわか仕込みで作った政党を信用できないと判断したのだろう。排除という過激な言葉を嫌った訳ではない。小池氏が出馬していたらといった意見もあるが、これも甘すぎる。たとえ出馬していても希望の党はたいした議席はとれなかったと思う。都知事が国政に首を突っ込むこと自体ノーであろう。
 2017/10/24  10月21日、卒業以来初めての高校の同期会が行なわれた。150名あまりの参加があり、大いに盛り上がる。京大総長の山極氏や、芥川賞作家で医師でもある南木氏のスピーチもそれぞれ面白かった。卒業以来初めて会って話せた人も何人もおり有意義で楽しいひと時であった。これだけの人数が集まったのも、おそらく、この機会を逃せば、一度も再会することなく死んでしまうかもしれないといったあせる気持ちもあったからだろう。あの時会っていれば良かったと後悔したくない気持ちは誰しも持っているもの。皆65歳を過ぎ社会の第一線から退き、暇を持て余している人も多く、これからはクラス会の回数が増えていくだろう。
 2017/10/09  民進党の分裂、新党立ち上げ等々で、今後、政権交代はあるのか、合従連衡はあるのか、正に衆院選挙に向け政局は慌ただしくなってきた。しかし、どの政党が与党となっても日本の状況はそれ程大きくは変わらないと思う。何故なら改革、変化という言葉大好きな政党と一般大衆はその本質においては保守で、せいぜい今より少しましな暮らしがしたいといった程度の変革しか実は望んでいないのではないか。今後は憲法改正が大きな争点として現実味を帯びてくるだろうが、これとて、憲法改正により国を大きく変えようするのでは無く、実体と時代の流れに憲法を少し合わせようとしているだけだろう。(護憲派の話は長くなるので割愛)それより米国こそ憲法を改正して根本的に銃規制をすべきではないか。西部開拓時代ではないのだから。他国のことだけど。
 2017/10/08  10月21日高校の同窓会と同期会が開かれる予定で、今その運営の手伝いをしている。出欠の確認作業の過程で級友の死亡を知り、その多さに驚く。もう、そうゆう年齢になったということか。死といえば10月3日ボブ・ディランのバックも務めていたトム・ペティーが小生と同じ66歳で亡くなった。店には彼のCDは2枚しか無いが、久しぶりに彼のリッケンバッカーに聞き入り冥福を祈る。
ところで10月11日(水曜日)私事都合で店を休みます。
 2017/09/23  どうやら衆議院解散となる見込みだ。解散については、やれ大義がないとか、何故今なのか、安倍首相の森友、加計問題隠しのためではないかとか色々言われているが、小生の考えは極めて単純。解散権が首相の専決事項だからというもの。折角、首相になったからには理由は何であれ、その権利を行使したいというだけなのではないか。当然、次の選挙で勝てるタイミングというのもあるだろうが、権利行使期限が迫っている時、大義もへったくれもない。選挙は一種のお祭りで、その緊張感と高揚感を味わった人間には、たまらないのではないか。解散宣言後、議員全員が万歳する光景は異様である。何がうれしくて万歳なのか。選挙というお祭りが待っているからなのだろうか。
 2017/09/18  阿佐谷に転居して新宿が近くなってから、映画はほとんど新宿で観るようになった。映画と言えば、新宿駅南口近くにあったピンク映画専門館(国際劇場?)が取り壊され、その跡地に建てられたビルにドンキホーテが出店していた。唯一、新宿の淫靡な香りを残していたピンク映画館が無くなってしまったのは何故だか寂しい。南口周辺は昔は暗くて、路上でエロ本を売る人がいたり、連れ込み旅館(ラブホテル)があったり、歌舞伎町とはまた違った卑猥さがあったのだが、やはり時代の流れには抗えなかったのだろう。小綺麗になった新宿に今の若者たちはもう怪しげで危険な香りを求めなくなったのだろうか。
 2017/09/05  つい先日、縁あって旅ラボと言うサイトの中でジャニスを紹介して頂いた。好意的に書いて頂き、それは感謝しているのだが、事実誤認の箇所があり、少し気なったのでこの欄を借りて訂正させて頂く。好きな映画の話の中で小生がヒチコックの「北北西に進路を取れ」を観るきっかけとなったくだりである。ケーリー・グラントがピストルを持っているポスターを見て西部劇と勘違いして観たというのであるが、事実ではない。小生はその時、ただ単に暇だったから理由もなく映画館に入ってしまっただけ。さらに、ケーリー・グラントがピストルを持ったポスターは無い。これは小生がヘミングウエイに嵌るきっかけとなったエピソードを話した際、編集者がこの映画の話と混同した結果かもしれない。真実は以下の通り。たまたま昔、我が家にあったヘミングウエイの「誰がために鐘は鳴る」(河出書房の世界文学全集の一冊)の腰巻にピストルを持ったゲーリー・クーパーとイングリット・バーグマンが映っており、それを見た当時小学生だった小生は、この小説を西部劇だと思っていたということ。この話がどういう訳か「北北西に進路を取れ」の話になってしまったようだ。そんなに目くじらをたてるほどの事ではないが、今、はやりのフェイクニュースを連想した。メディアが話を盛ったり、多少変えることは大いにあることだ。そういえば過去、リクルートの週刊就職情報と母校の新聞でも小生のことに関し若干誤って伝えていたことがあったことを思い出した。メディアを100パーセント信じることは危険である。しっかり自分の頭で考えよう。
 2017/09/04  今回も引き続き日本の安全について一言。自国の安全保障は最低限の倫理観は必要であるが単純な正義感に縛られていては築けない。簡単に言えば敵の敵が必ずしも味方ではなく、逆に味方の敵が敵とも限らないのが複雑な世界情勢なのだ。二枚舌外交を是とする訳ではないが各国と平和外交を続けるには八方美人的対応も必要である。(勿論、北朝鮮と仲良くしろという事ではない)二枚舌外交でかつて英国が失敗し、現在のパレスチナ問題を複雑にした教訓も忘れてはならない。八方美人的外交とは保険をかけるということ。(保険のかけ方は東映やくざ映画が参考になります)自国の安全と利益を守るためには相当程度の軍事力が必要であるが、今の日本にはまだ無い。かといって今や機能不全に陥っている国連を頼ることもできない。軍事大国でもない日本が平和に生きる手段は米国の核の傘に隠れることも選択肢の一つかもしれないが、それではいつまでたっても米国にNOと言えない。相当の軍事力が保持できるまで、恰好悪いが旗幟鮮明にする事無く、米国の庇護の下、八方美人的対応をしていくしかないのだろう。外交交渉力が軍事力と表裏一体である事は悲しいけれど現実である。意外かもしれないが、平和と軍事は親和性が高いのである。米国でも軍人ほど、戦争忌避する傾向があるというではないか。
 2017/09/03  北朝鮮の核・ミサイル問題に振り回される昨今であるが、我々日本人の危機意識は住んでいる地域によって一様ではない。振り返れば今から55年前の1962年、キューバ危機というものがあった。小生はまだ小学生だったので全く記憶にないが、故ケネディー大統領の決断によりキューバの海上封鎖が行われ、あわや米・ソ核戦争かといった状況だったらしい。その当時に比べれば今の米・北朝鮮の緊張度はまだまだ低いかもしれない。しかし今度の相手が何をするか全く見当がつかない北朝鮮であることが誠にやっかいである。米軍基地がある日本にとっては他人事ではない。正に憲法9条を含め国家の安全についてより具体的な議論する時期なのだろう。
 2017/08/20 週刊新潮の 「許永中バブルを語る」と言うタイトルに目を引かれ、つい買って読んでしまった。私自身特にバブルの恩恵をこうむったことは一度もないが、サラリーマン時代で一番元気だっただけに懐かしく当時を思い出した。裏社会を賑わした人々と仕事とはいえ多少なりとも関わったこともあったが、何とか塀の中に落っこちもせず、今日まで来れた事は幸いである。しかしバブルに踊り、バブルを崩壊させたのが虚業であり、現在またその虚業が、益々経済を支えざるを得なくなっているという現実が哀しい。
 2017/08/05 安倍改造内閣のキャッチフレーズが「結果本位の仕事人内閣」だとか。国民に訴えるものが感じられない空虚なフレーズだ。穿った見方をすれば、問題の加計学園に決定したプロセス、手続きはどうでもよく、結果として良い獣医学部が新設されればいいのだとでもいいたげだ。結果が求められるのは当然であるが、今問題となっているのは、結果に至る手順、手続きに不正はなかったのか、官邸の圧力があったのか否かではないのか。それと仕事人内閣というのはどういう意味なのか?今までのの閣僚があたかも仕事をしていなかったかの印象を与える。単にいい仕事をしてこなかったということだろう。また経済優先というが、今推進している働き方改革と方向性が少し矛盾しいないか。片方で働き過ぎを是正しながら経済発展もというのは少し虫が良すぎるのでは。むしろ日本は今、経済発展なくしても幸せが感じられる社会に方向転換する時期に来ているのではないだろうか。 
 2017/08/02  高校時代の親友Nが亡くなったことを知りショックを受ける。Nは非常に頭が切れ、いつも奴にはとてもかなわないと思っていた。大学を中退し職を転々とし、最後は自身で事業を立ち上げたと聞いていたが詳細はわからない。時々TELするも、何故か私を含め昔の仲間とは会おうとせず、ここ何年も会うことはなかった。とにかく頭が良く、器用で何でもできる男だった。高校生のくせに中国の抗日戦線を舞台にした時代小説を書いていて、その才能に驚いたものだった。弁がたつし、グレずに東大にでも入り、学者か弁護士にでもなっていればと思ってしまう。若過ぎる死とは関係ないかもしれないが、頭が良く器用過ぎたことが、かえって仇となったのかも知れない。私が言うのも変だが、愚直に何か一つの事に邁進することが出来れば良かったのに。必ずしも有名になることや、世間的評価を受けることが幸せとは思わないが、それにしても彼の類まれな才能があまり開花することなく、一生を終えたことが残念でならない。合掌。
 2017/07/31  南ス-ダンのPKOに関する陸自の日報隠蔽問題は稲田大臣の辞任という形で終結を図りたいのだろうが、重大な論点がいつもすり替わっている。重要な事は明らかに戦闘行為があった地域に自衛隊を派遣してしまい、先の安保法制との整合性がとれなくなってしまったことである。この事実を曖昧なままにしておくことは同様な事が起こる可能性が高く、今後の外交問題に禍根を残すことにもなる。再度、自衛隊の派遣基準、撤退条件を議論すべきであろう。日報があった、無かった、隠したなどは些末なこと。事実を正確に日報に綴り、その文書をきちんと保管することは当たり前過ぎて議論の余地もないこと。
 2017/07/03  7月6日から8日まで都合により店を休みます。ご迷惑おかけしますが宜しくお願い致します。
銀座の一等地の路線価が、バブル時の価格を超えたとか。景気の良さはあまり実感できないが、これから先、株も含め、どうなるのだろうか。ところで最近、少し数学に嵌っている。数学といっても難しい数式や方程式を解くのではなく、今まで自分の中で当然と思っていたことを論理的に解明してみたいということ。例えばマイナス×マイナスが何故プラスになるのか、Xのゼロ乗が何故1なのか、割り算で何故ゼロで割ってはいけないのか、分数で割る時何故逆数をかけるのかといったことなど。暇つぶしにはもってこいの頭の運動である。
 2017/06/25  先日、上野東京都美術館で開催中のブリューゲル「バベルの塔」展を観に行く。バベルの塔はご存知の通り旧約聖書「創世記」に記されている逸話であり、これまで何人もの画家が描いている。しかし何と言ってもブリューゲルの作品が秀逸であることは論を俟たない。この絵は人間の高さへの限りなき欲望がリアルに描かれており観る者を圧倒する。雲を突き抜ける塔は、超えてはいけない一線を越えてしまった感があり、その得体の知れない暗さは、正に神の怒りを暗喩している様でもあり、何とも言えない魔力に何度も見入ってしまった。
 2017/06/11  本当に久しぶりの一言です。パソコンの故障、ホームページソフトの契約更新忘れ等等で長きにわたり発信できませんでしたが、ようやく回復しました。休んでいる間、国内外では」様々な出来事があり、言いたいことが山程ありましたが,それも叶わず無念。またこれからも、ちょくちょく呟きますので宜しくお願い致します。
2017/01/23 また東映やくざ映画を支えていた名優がこの世を去った。松方弘樹 享年74歳。「仁義なき戦い」でバイプレーヤーとしての名演が光っていたが(北陸代理戦争では主演)、あまり知れていない以下の映画もお勧めしたい。「暴動島根刑務所」「脱獄・広島殺人囚」「沖縄やくざ戦争」「海軍横須賀刑務所」(但し主演は勝新太郎)の4作。特に前2作は松方弘樹の別の一面が伺えマニアックな東映ファン、わけても刑務所映画好きには堪らない。また東映最後のやくざ映画となった2作「修羅の群れ」「最後の博徒」ともに松方弘樹が主演しており、これも必見。ビデオショップで捜してまた故人を偲びながら観てみたい。ご冥福をお祈りします。
2017/01/20 本屋に山積みされている東野圭吾の「危険なビーナス」が気になっていて、つい買ってしまった。東野圭吾だからきっと面白いに違いないといった根拠の乏しい理由からだったが、結論からいうと、話がやや荒唐無稽、全体に散漫で期待はずれだった。但し一点、伏線として素数の不思議さがテーマの一つとなっており興味をそそられた。以前、数学好きの友人から素数に関してリーマン予想(リーマンショックではありません。念のため)の話を聞き、その後、竹内薫著「素数はなぜ人を惹きつけるのか」等を面白く読んだことがある。小生、文化系人間であるが、もし数学的才能があったならバーテンなどせず、素数の研究に没頭していたかもしれない。
2017/01/11 明けましておめでとうございます。今回は成人式を見ての一言。
テレビを観ていると、ド派手な衣装を纏って成人式に出席する若者が映っていた。まだ少数だろうが、年々その派手さが過激になっている感がある。ハロウィンパーティーの仮装もしかり。これは若者特有の何でもいいから、とにかく目立ちたいという子供っぽい欲求の表れなのか、それとも自分を認めてもらいたいという願望なのか。何らかの共同体(社会)に同化しないと生きづらい世の中で、せめて特定の許される場所、時間だけでも日常を忘れたいということなのか。また古い話で恐縮だが、昔、ディスコブームの火付けともなった「サタデーナイト・フィーバー」という映画を思い出した。非エリートの青年(ジョン・トラボルタ)が毎週土曜日だけ白いスーーツをびしっときめディスコに繰り出し踊り狂い輝くというもの。このエネルギーは大きなビジネスチャンスにも通じる。非日常性を発露できる場を提供できれば、そこからビジネスも生まれる。それも受動的な非日常空間だけではなく、多少なりとも参加型の空間であれば尚更よいだろう。しかし説教じみるがポール・ニザンの次の言葉も忘れてはならない。「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏み外せば一切が若者をだめにしていまうのだ。」くれぐれもギリギリ合法的な非日常であることだ。
2016/12/28 早いもので今年も後わずか。年をとるに従い一年が短く感じられることに科学的根拠があることを何かの本で読んだ記憶がある。それはさておき、色々なことが話題になった一年だったが、AIの著しい進歩もその一つ。人間の仕事が大きく変わり、消滅してしまう仕事が相当増えることは確実。しかし幸いなことに、その中でも小生の仕事バーテンダーはAIにとって代わることは無いだろう。また債権の取立て、クレーム処理、謝罪といった業務もAIには向かないと思われる。(何故かいずれも小生が携わっていた仕事)まあそんなAIに対する心配よりお客様が減っていることを心配することが先か。来年こそ顧客増を目指し努力します。ところで年末は29日まで、年始は4日から営業します。宜しくお願い致します。
2016/12/21 マスコミを含め北方領土返還を期待した人々は今回のプーチン訪日に相当落胆した様だが、私に言わせれば予想通りの結果だ。領土というものは経済的、軍事的意味以上に国益の象徴的存在である。互いに簡単には譲れないものであるという認識が必要。まして他国が既に実行支配している領土を取り戻すことは至難である。今回、マスコミでは殆ど言及されていない様だが、この問題はヤルタ会談での米ソ密約説云々も含め、日本がポツダム宣言を受諾したところまで遡って考えねばなるまい。今更言っても詮無いことかもしれないが、戦後処理(特に領土)を米ソ大国に委ね、曖昧にしてきたツケがあまりに大きいということだ。絶望しながらも、返還を言い続ける他無いだろう。その際、変な条件は付けないほうがよい。
2016/12/15 カジノ解禁法案が可決した。与党内にも慎重論があったようだが、小生は以前からカジノ賛成の立場だ。理由はいたって簡単。カジノの遊戯としての面白さと、事業として経済的効果が期待できるからだ。反対論者の多くはギャンブル依存症が増えるとか、マネーロンダリングや治安のことを云々しているが、いずれも規制等、運用方法により対処可能だ。何か新しいことを起こすことにリスクゼロは不可能なのだから、心配していたら何も始まらない。そもそもギャンブルとはどういうものなのかといった認識と考え方に国としての一貫性がない。巨大産業であるパチンコが遊戯という名のギャンブルであることは誰でも知っている。これに全く目を向けず、何故カジノだけ賭博としてバッシングするのか。パチンコ依存症で苦しんでいる人に対する対策の方が先だろう。小生はカジノの方がパチンコより遊戯性が高いと思うのだが。
どうでもいいことかも知れないが、このカジノ解禁法案、IR法案とも呼ばれているが、IRといえば企業の投資家向け広報というのが一般認識ではないか。マスコミは安易にIR法案という言葉を使って欲しくない。紛らわしいのだ。
2016/12/09 今年の流行語大賞「神ってる」という言葉に、どうも馴染めない。小生の周りでこの言葉を使ってる人は皆無だし、とても流行っているとは思えない。何故この言葉が選ばれたのか不可解である。どうでもいいことかもしれないが、流行語は、その言葉が流行ってなんぼのものだろう。
ところで申し訳ありませんが、明日10日都合により店、臨時休業します。
2016/11/26 今年は何故か著名なミュージシャンの訃報が続きますね。先だってもりりー、レオン・ラッセル、レナード・コーエンがあいつで亡くなりました。りりーのハスキーヴォイスが忘れられません。「私は泣いています」が有名ですが、小生は2枚目のアルバム「ダルシマ」の方が好きです。暗い歌が好きなんですね。そういえば、小生、子供の頃から暗いと言われ続け、明るく振舞おうと努力したこともありましたが、結局暗い性格は直りませんでした。年をとると気にならなくなりましたけど。横道にそれてしまいました。
レオン・ラッセルもレナード・コーエンも決して明るい歌手ではないですね。この二人、りりーほど聴いていませんでしたが、レオン・ラッセルの「ソング・フォー・ユー」は独特のピアノ弾き語りがすばらしく、マイ・フェイバリット・ソングの一つです。レナード・コーエンも魅力的な低音で癒される名曲が多々ありました。合掌。
今回の一言は理由もなく、ですます体にしました。
2016/11/23 先日4年に一度行われる(オリンピックの年)母校(高校)のクラス会の二次会に10名がジャニスに集まった。クラスメイトの山極さんの、少し遅れた京大総長就任祝いを兼ねた会で、久し振りの再会に大いに盛り上がる。中には卒業以来初めて顔をあわせた人も何人かいたが、皆、まだまだ元気そうで安心した。つくづく店をやってて良かったと思う。ここで参加メンバーとの思い出を少し。K氏とは無届反戦デモに行った。N氏とは「弁証法」というペダンチックな映画を撮った。(小生主演で粉砕された草月フィルムアートフェスティバルに出品した)I氏主宰の同人誌に寄稿したこともあった。(I氏は落研にいて高校生のくせにテレビの落語番組に出たこともあった)今回の幹事のKG氏とはサッカー部でグランドを駆け回った。山極さんとも思い出話は多々あるが公人となった人故、話は差し控えます。勉強以外のことばかりしていた楽しい高校生活でした。
2016/11/12 トランプが次期米国大統領に決まりマスコミはトランプ一色だ。トランプ現象を論じる識者の見解も、既に言い尽くされたことばかりで特に目を引くものはなかった。他国の大統領のこととはいえ、日本にも大きな影響を及ぼすことは必至だろう。かと言って過度に悲観的になることも、楽観的になる必要もない。しかしアメリカを周回遅れで追っている日本もこのまま貧困問題に対し真剣に取り組まなければ、米国のような分断社会になる恐れがある。閉塞状況が長引けば大衆はどうしてもトランプのようなメシアを求めたくなるもの。一企業のトップならそれもよいが、国のトップとなるとまた話は違う。危機的状況になれば荒療治もできなければならないだろうが、やはり国のトップはバランス感覚を持ったよくできた普通の人がいい。
2016/10/30 申し訳ありませんが11月1日(火曜日)都合により臨時休業します。日本シリーズ第7戦観たかったのに残念。ちなみに小生、どちらのファンでもありませんが、黒田と大谷の投げあいを観たかった。
2016/10/15 村上春樹ファンは、またがっかりしたことだろうが、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞は快挙である。新聞各紙が一面で報じたことからも、その衝撃の大きさが窺われる。もちろん何故、彼が文学賞なのかと疑問を感じる人も多いだろうが、彼のミュージシャンとしての偉業を認めない人はいないはずだ。ロック・バーを営む身としてはうれしい限りだ。
受賞を聞いた13日から店でもディランをかけまくっている。改めて調べてみると、何と店にはディランのCD・LPが合わせて34枚もあった。本当に好きなんですね、ディランが。
2016/10/05 先の衆院予算委員会で稲田防衛相が8・15の全国戦没者追悼式をジフチ訪問により欠席したことを民進党の辻元議員に突っ込まれ、返答に困り涙ぐむ場面があった。質問もくだらないが涙ぐむ稲田氏も情けない。弁護士出身で論理的なやり取りには慣れたものなのだろうが、ウイットを持って質問をかわす術は持ち合わせていなかった。生真面目な対応しかできないのであればトップには向かない。稲田氏には昔、氏が弁護士をしていた頃、若干お世話になったこともあり、もっと頑張ってもらいたいのだが・・・・。チャーチル・吉田茂・田中角栄等々錚々たるリーダーは皆、ユーモワとウイットに富んでいた。
2016/09/26 ジャニス・ジョプリンのドキュメンタリー映画「ジャニス:リトル・ガールー・ブルー」を観る。ライヴ映像も素晴らしいが、サマータイムのスタジオ録音風景が実にいい。ジャニスの音楽について小生如きが今更語ることはおこがましいが、今でも、今は無き国立のロック・バー阿Qで、初めてジャニスの雄たけびの様なブルースを聴いた時の衝撃は忘れられない。ほんの一瞬ではあったが、同時代を生きられたことを幸せに思う。10月4日はジャニスの命日なので、その日は店でジャニスをガンガンかけまくろう。ちなみにリトル・ガール・ブルーはアルバム「コズミック・ブルースを歌う」に収録されている。そういえば、小生の大学入学祝いに叔母から贈られたのがこのアルバムだった。
2016/09/25 築地市場の豊洲移転問題について一言。
この問題で今一番ほくそ笑んでいるのは誰だろう。今ではすっかり話題に上らなくなった舛添前都知事だ。マスコミも小池都知事も前都知事の不正追及は忘れてしまったかのようだが、優先度から言えばこれも致し方ないか。そこで本題の豊洲問題である。未だに誰が建物部分の盛土を止め、地下空間を作ることを決定したのか分からないとは全く不可解。稟議書を見れば誰が決裁したかは一目瞭然だろう。決裁者は「よく内容を確認しないまま決裁した私が悪うございました。」と謝るべき。報告を受けたとか、受けていなかったとかは関係ない。最終的に意思決定した人間が責任をとる。責任と言っても命までは取られないし、損害賠償だってできやしないのだから。決裁者は身を低くして謝罪会見をすればよい。決裁権限者でもない人がもし決裁権限を越えて行った行為であれば、その者に対し都庁の内部規定に基づき何らかの処分を行なえばいい。万一、決裁文書も議事録もなく、何となく決めてしまったというのなら、それこそ大問題である。ガバナンス上あってはならないことで大改革が必要であることはいうまでもない。
2016/09/21 加藤紘一氏の訃報からしばらく経つが一言。やはり思い出すのは加藤の乱だ。傍目には、いかにも中途半端な乱で取り巻きから「殿ご乱心」と諌められ腰砕けに終り、その時の氏の悔し涙が印象に残っている。これで加藤紘一も終りだなと思っていたが案の定、二度と政界の表舞台に登場することは無かった。そもそも、乱を起こして成功することは稀である。乱を起こす男気はカッコいいかもしれないが、政治は勝たねば意味がない。スポーツじゃないのだから。政治はリアリズムである。義を見てせざるは勇なきなりは時として足元をすくわれる。(野党の出した内閣不信任決議案が義かかどうかは別として)宏池会のプリンスと言われた氏も結局、詰めが甘く、つくづく首相になるのは難しいものだと感じた次第。ご冥福をお祈りする。
2016/08/25 ちょっと遅い夏季休暇ですが27日から31日まで店休みます。宜しくお願い致します。
昨日、今評判のシン・ゴジラを観る。感想は今一つ。怪獣映画だからと言えばそれまでであるが、リアリティーがあまり感じられないのだ。都市を破壊する描写も新鮮味がない。虚実皮膜の中、実が薄すぎる感がある。政府の対応状況や対策会議の模様が面白いという声も聞くが、小生は怪獣映画の王道として、一般住人のパニック状態の方が観たかった。これはパニック映画ではないのか。
2016/08/05 最近、著名人の訃報が相次ぐ。各人のご冥福を祈りながら一言。
元横綱千代の富士について。巷間よく言われていることかもしれないが、無理して作られた強靭な肉体は短命なのだろうか?ということ。格闘家の最期はあまりに哀しい。
中村紘子について。  どうでもいいことだろうけど夫の庄司薫氏との接点が今ひとつよく分からなかった。しかし彼女の華やかなイメージはクラシックファンを相当増やしたに違いない。小生もクラシックピアノ大好きです。
大橋巨泉について。 昔「巨泉×前武ゲバゲバ90分」という、お笑いテレビ番組があった。当時の新左翼を象徴するゲバルトという言葉を揶揄するようなゲバゲバというタイトルに、既に日本に於ける暴力革命の非現実性を喝破していた感がある。少し深読みし過ぎだろうか。そういえば若松孝二も「処女ゲバゲバ」というピンク映画を撮っていたな。ゲバゲバ 死言ですね。
永六輔について。  第一回レコード大賞受賞曲「黒いはなびら」の作詞者といての印象が強い。なにしろその国民的影響力はすごかった。当時まだ小学二年生だった小生が「もう恋なんかしたくない」と学校で歌って先生から笑われたことを思い出した。これだけ全国民に愛される歌を作れるなんて天才でしょう。他にも「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」等々不朽の名作の数々はご存知の通り。
2016/06/29 英国のEU離脱で世界中が大騒ぎだ。この出来事は現在の世界情勢を象徴しているといってもよいだろう。グローバル化の反動から来る一種の民族主義、鎖国主義、ポピュリズムの表れともいえる。グローバル化が経済的強者と弱者の格差を拡大していったという背景があることは明らかである。甘言をろうしてこの弱者の票を集めたのが今回のEU離脱であり、米国のトランプ人気である。弱者はメシアを求めていたのである。、EUは元をただせば、第二次世界大戦の反省から生まれたチャーチルが掲げた「ヨーロッパ合衆国」が原点である。米国も元々、人工的な理念の国である。理念に基づく共同体の危さが露呈したのではないか。戦後70年も経てば理念と現実とのギャップは大きくなりほころびも出てくる。日本も例外ではない。今まさに、戦後パラダイムの再構築の時期が来ていることを、いみじくも今回の英国のEU離脱が示した格好である。
2016/06/08 連日、舛添都知事の問題がマスコミを賑わしており、今更、小生が一言言うことも無いのかもしれないが、少し言わせてもらう。都知事が依頼した弁護士が依頼者の不利益となる調査を充分、行なわなかったことは予想通りであるが、せめて最後に「舛添氏が都知事として居座ることは違法とはいえないが、適切とはいえない」とでも言って欲しかった。また佐々木弁護士は、ゆるゆるの調査しかしなかったくせに、偉そうに事実認定について講釈して欲しくない。第三者の厳しい目とは正に茶番である。
2016/06/08 格闘技ファンなら誰しも、誰が一番強いかということに強い関心を示す。時代を超えて強さを比較するとこが困難であること承知の上で敢えて言えば、やはりアリが一番強かったのではと思う。ピークを過ぎたとはいえ、当時最強といわれていたソニー・リストンを破り、また逆に自身のピークが過ぎたといわれる中、ジョージ・フォアマンをKOしたことでも、その強さが並外れていたことが分かる。偉大なファイターのご冥福を祈る。
2016/05/15 先日、珍客が来店。遠い親戚の人で長い間連絡もとれなかったのがJANISのホームページを見て、わざわざ訪ねてくれたのだ。感激。今は福岡でライブハウスを経営しているが、その前はNYで約20年間ジャズピアニストとして暮らしてしていたとのこと。早速JANISでサマータイム他何曲がすばらしいピアノを弾いてもらう。NY時代の面白い話も沢山聞けてとても楽しい一時でした。
2016/05/08 共和党のトランプ氏に対しニール・ヤングとローリング・ストーンズが氏の集会で彼らの楽曲を使わないようにとクレームを付けてきたとのこと。楽曲を使われる事によるマイナスイメージを考えたのだろうが、改めて音楽の持つ力を再認識した。彼らが共和党支持か否かといったことではなく、時と場合によっては音楽が冷静な判断力をマヒさせる可能性を秘めているということだ。霊長類学者の山極寿一さんの著書「家族進化論」の中でも、人は言語より先にコミュニケーション手段として音楽を使っていたことが述べられている。ロックで禄を食んでいる小生が言うのもおこがましいが音楽の力は偉大だ。
2014/04/10 実力あるバトミントン選手が違法賭博をしていたという事で
オリンピック出場がほぼ絶望的状況とのことである。選手にリスクマネジメント能力が無かったといえば、それまでのことだが、ギャンブルは人間の本性に係わるもので、たやすく止められるものではない。少し観点が違うかもしれないが早く公営ギャンブルを拡大し、バカラや、手本引きができる店ができるよう、法改正した方が良いと考える。そのことによりギャンブル依存症が増えるのではといった議論はまた別問題である。合法化することにより、暴力団への資金パイプを断つ効果もあり、また様々な規制や規則を設けることにより、ある程度依存症を抑止することも可能だと思われるのだが。それともう一言。スポーツ選手は子供に夢を与える職業なのだから品行方正でなくてはならないと言った手垢のついたステロタイプされたコメントにはうんざりだ。たとえ品行方正でない一流スポーツ選手がいても、能力ある子供は夢を追い一流選手を目指します。子供は大人が思っているほど純粋でもなければ、バカでもありません。
2016/04/10 先日VANの同期入社9名と青山で会食した。会社倒産後、皆、それぞれ苦労を重ねてきただろうが、元気な姿で再会できたのはうれしい。久し振りに表参道から青山一丁目まで青山通りを歩いてみたが、入社当時(41年前)あった店は殆ど全て無くなっており、改めて時の流れを感じた。
しかし青山は変わらずオシャレで素敵な街だ。昔、高田渡が「住むなら青山に決まっているさ。銭があれば」と歌っていたことを思い出した。私のような田舎者に青山はちょっと敷居が高過ぎるが、もしVAVが倒産せずに、ずっと青山で働いていたら、きっと鼻持ちなら無いキザなオヤジになっていたに違いない。
2016/04/02 4月が好きだ。生暖かい中途半端な気候が良い。更に4月1日は特別好きだった。サラリーマン時代、大きな人事異動、昇格人事は大抵、4月1日と決まっていた。その結果について夜、居酒屋で仲間と「何であいつが昇格したんだ。何であいつが地方に飛ばされたんだ。」といった事を延々と飽きもせず話すのがサラリーマン無上の楽しみだった。全く俗物である。何だかんだと言っても会社という小さな組織の中で人生の大半を過ごす人が殆どであり、その小さな社会を通じ、人生の不条理も喜びも感じるのである。本来、利益を上げるという目的の共同体であるはずの会社が、その目的を離れ、縦と横の微妙な人間関係で動いているという
面白さがそこにはある。正義が必ず勝つとは限らないという悲しい現実にも、運、不運という人知の及ばない力にサラリーマン人生が左右されることがあるという現実にも向き合わなくてはならない。だから人生は面白いのかもしれない。


2016/03/20 「たかが学歴、されど学歴」
イケメンコメンテーターのショーンKが学歴、経歴詐称によりテレビから姿を消してしまった。この事件は正に学歴の持つ二面性を露にした。一面は実力があれば学歴なんてあまり関係ないという事実。もう一面は逆に相応の学歴がないと知的な職業につくのは困難であるという学歴の効用。
よけいなお世話かもしれないが、彼は声がいいのだから、今後は詐欺師役の声優として再出発したらどうか。
2016/03/17 3月15日でジャニス開店から丁度、5年になりました。現在記念セールとして30%OFF実施中です。(3月31日迄)
ご来店お待ちしています。
2016/03/13 先日、高校時代の担任のN先生が亡くなられ先生を偲ぶ会に出席した。先生とは卒業後、殆ど付き合いもなく過ごして来たにも拘らず、今から6年前、突然、先生から長文のお手紙を頂いた。その直前、初めて高校の同窓会に出席した私を、たまたま出席名簿で発見し手紙を書いたとのこと。先生の目には、私はとても、反抗的で学校を嫌っており同窓会なんかには絶対、出ない生徒だと写っていたようで、出席していたことに驚き、わだかまりも無くなったと感じ、喜んで手紙をくれたのだった。出来の悪い生徒だった自分をずっと気にかけてくれてたのかと思うと胸がつまった。当時はただ単に子供っぽい反抗心で深い考えもなく、学校に反発していただけなのに、先生は真面目に正面から受け止めていたのだと分かり、恥ずかしさにいたたまれなくなった。そこで早速、先生の家を訪ね、当時の非礼を詫びながら思い出話に花を咲かせ別れたのが最後となってしまった。そして今、つくづく思うのは、バカな若者に真摯に向き合うことも、勿論、大切であるが、時にはバカヤローと怒鳴っていいのだということ。とても真面目でいい先生だった。合掌。
2016/03/11 長い間休業し申し訳ありませんでした。3月10日から営業再開しました。これからも宜しくお願い致します。今日3月11日は震災から丁度まる5年。5年前のこの日、ジャニスも開店準備に追われていました。ガタガタと大きな揺れがきたと同時に最上段の棚から、並び終えたばかりのボトルが床に落下し、ガラスが飛び散り、床一面酒浸りとなってしまいました。その日は学生時代の親しい友人を呼んでプチオープンパーティー予定していたのですが、結局、来ることが出来たのは一人だけ。用意していた料理もほとんど捨てざるを得ませんでした。そんなことが昨日の事のように思い出されます。あっと言う間の5年でした。その間、色々なことがありましたが、何とか乗り切ってきました。リフレッシュもしたし今後更なる飛躍を目指し再スタートを切るつもりです。
2016/03/01 前々から行こうと思っていながら行けなかった横須賀に行って来ました。サラリーマン時代、横浜に勤務していたことがあり、仕事では何度も訪ねたことのある街だったけれど取引先の事務所に寄るだけで一度も街を散策すろこは無かった。今回、まず有名な戦艦三笠を見学。平和主義者の小生でも戦艦は大好きで、子供の頃、プラモデルといえば飽きもせず戦艦を作っていたもの。明治時代、富国強兵の象徴でもあった三笠の威容に圧倒された。「坂の上の雲」がいまだに読み継がれているのも何となく理解できる。その後、定番のドブ板通りを散策。ちょっと福生の国道16号線沿いの街並みを彷彿させる。折角なので外国人が一杯いそうなバーを覗く。想像した通り日本人の男は小生一人。外国人は体が大きいだけあって昼間から馬鹿でかいジョッキでビールをがぶ飲みしていた。カウウターの横に座っていた客に話かけようと思っていたのだが英語がスムーズに出てこず、自分が情けなくなった。店を出た後は、スカジャン専門店や雑貨店を見てまわり、夕食代わりにネイビーバーガーを頬張り帰宅。楽しい一日でした。最後に自慢したいことが一つ。地図がなくても直感を頼りに目的地に辿りつくことができたこと。お金だけ持って事前調査もせず、電車に飛び乗って何処かに行くのも面白い。
2016/02/18 その(四) 女性閣僚の失態について
特にコメントするほどのことでも無いが言ってしまう。あの丸川大臣は何なんだ。以前から無表情で狐が憑依したような顔の人物で、この人大丈夫かなと思っていたら遂に馬脚を現した。東大出らしいがこんな馬鹿な閣僚は即刻辞任ですな。歯舞が読めない無知な大臣も出現するし、議員の資質劣化が著しい。国政を左右するほど大袈裟なことではないかもしれないが、この国の将来が不安になる。
2016/02/18 その(三) 清原覚醒剤事件について
覚醒剤事件で、これほど連日報道される人物もいないだろう。人はそんなに大スターの転落人生が好きなのか。今回は清原自身の事ではなく、彼についてコメントした桑田に一言。覚醒剤使用について薄々感じていた桑田は清原に対し「もっと小言を言っていれば良かった」と偉そうにコメントした。桑田は何様なんだ。清原が最も言われたくない人物から小言を言われるほど彼にとっての屈辱はないだろう。もっと厳しく覚醒剤使用を咎めていれば清原が覚醒剤を止めるとでも思っていたのなら桑田の鈍感な感性にあきれる。、たらればを言うなら「自分が早稲田に行き、清原が巨人に入団していれば良かった」とでも言えばまだ良かったのだ。勿論、スンナリ巨人に入団できたとしても覚醒剤に手を染めていたかもしれない。しかし少なくとも今と違った人生を歩んだはずだ。桑田はコメントを求められても黙っていれば良かったのだ。優等生振りを発揮した上から目線のコメントで男を下げたな。
2016/02/17 その(二) ベッキー不倫について
ベッキーだけではないが、いつも不思議に思うのは、このての不倫に対する謝罪会見である。皆一様に「世間を騒がせ、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」というあれである。謝罪すべき相手は世間ではなく不倫相手の妻だろう。それに世間は迷惑していない。むしろ退屈な日々に飽き飽きしていた時、話題を提供してくれて面白がっているのである。またマスコミも、たかが不倫でバッシングし過ぎである。犯罪を犯した訳でもないのだから。非難されるべきはベッキーではなく妻子ある事を隠していた相手の男である。清廉を売りにしてきたタレントとしては少し脇が甘かっただけで、好きになった男が、たまたま妻子持ちだったのが運が悪るかった。世間という得たいの知れない圧力団体はそんなに清廉潔白なのか。仕事を全て辞めざるを得ないほどのことなのか疑問である。
2016/02/16 休業中、世間を騒がす色々な出来事があり、言いたい事も山ほどあるけど、まず、その(一) 甘利大臣の辞任について一言
政治家としての美学、生き様、矜持云々とカッコつけたくせに辞任で終りか?そのあまりに安っぽい美学云々が聞いて呆れる。金銭授受以前に、そもそも忙しい重要閣僚が、日本経済に影響を及ぼすとも思われない一建設会社の人間と面会する必要性などあるはずないだろいう。またURの対応も理解に苦しむ。URは建設会社に支払った高額な補償金の根拠、金額の妥当性を説明する責任がある。守秘義務云々を持ち出すべきではない。URは純粋な民間企業ではないのだから、マスコミも、もっとURを追求すべきである。それにしてもこれだけ証拠があるのに東京地検の動きが鈍すぎる。立件が難しいというのなら、ざる法となっている政治資金規正法、斡旋利得処罰法はじめ法律そのものを変えるべき時期にきていると思う。


2016/01/12 ジャニス休業のお知らせ
昨日この一言欄で「70歳まで続けるぞ」と息巻いていたのですが明日13日より2ヶ月休みます。但し毎月曜日と金曜日は、「ゆかちゃん」と「なおちゃん」が店を開けてくれます。体調不良とか特別な理由はないのですが、あえて言えば充電です。今年3月でジャニス開業まる5年になります。後5年続けるための小休止です。
2016/01/11 先日、高校の同窓生で、現インドネシア大使の谷崎さんが一時帰国したので、親しい仲間がジャニスに集まった。大使は高速鉄道の敗退等で相当ストレスも溜まっていた様子だったけれど、バカ話に興じ、皆、リフレッシュできたのでは。しかし楽しい仲間達も、多くは今年65歳になり、ますます現役組が減って、社会の生々しい話が聞けなくなってしまのが寂しいかぎり。それでも小生は70までジャニス続けるぞ。
2016/01/08 南木佳士の最新刊「薬石としての本たち」が新聞の書評欄で紹介されていたのを見て久し振りに氏の本を読む。南木佳士といっても一般の人には、あまり馴染みはないかもしれないが一応芥川賞作家である。地味で決して面白い作家とはいえないが、高校時代一緒にサッカーをやっていたというだけの縁で手に取った次第。感想はやはり今回もあまり面白いとは思わなかった。ただ意外だったのは氏が坂口安吾の「堕落論」を愛読していたという事実。実は小生も高校時代、堕落論に影響を受け、その通り堕落した青春を送り今日に至ってているのに反し、氏は堕落もせず、ちゃんと医者になり芥川賞までとったのだから、たいしたもんだ。それはそれで、言いたいことは沢山あるがここでは二つ。200ページにも満たない薄い本で1500円は高すぎる。金を返せとまでは言わないがコストパフォーマンスが悪すぎる。同じ芥川賞作家丸谷才一の「樹影譚」という薄い本が1300円と高かったが内容が圧倒的に面白く、値段の高さも納得できた。小説の天才、丸谷才一と比較するのは酷かもしれないが、あえて言いたい。南木佳士よ、もっと面白いものを書いてくれ。純文学の呪縛に囚われず、いつまでも暗い医療のことばかりではなく、楽しくなるもの期待する。
2016/01/04 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。毎年12月31日の大晦日から元旦にかけ「朝まで生テレビ」を観るのが楽しみでしたが、最近はどうも面白く無くなり、今年は途中で寝てしまいました。嘗ては昨年亡くなった野坂昭如をはじめ、大島渚、小田実、西部進、枡添要一といった錚々たる論客が丁々発止、口角泡を飛ばし一触即発の緊張感がたまりませんでした。つまらなくなった原因は出演者が妙に賢く、理論的で感情的なやりとりが減ってしまったことではないでしょうか。打開策としては小説家をはじめ、もっと色々な分野の、とんがったクリエーターを出演させてはどうでしょうか。池上彰の教養番組ではないのですから、知識を得たいのではなく、過激でアナーキーな発言を期待しているのです。
2015/12/30 今年最後の一言。年末は29日まで、年始は4日から営業します。来年も宜しくお願い致します。ところで12月25日、知人が経営する渋谷のバーと喫茶店が閉店しました。廃棄処分する前にジャニスで使えそうなグラス等沢山頂きました。これで益々渋谷へ行く機会が減りそうです。仲間と集った店が無くなるということは本当にに残念。また一つの時代が終わったという感傷に耽っている次第です。ジャニスはまだまだ続けますのでご愛顧のほど宜しく。
2015/12/11 黒メガネがトレードマークだった野坂昭如が逝去した。氏の言動に少なからず影響を受け青春時代を過ごした小生にとって、その死はやはり感慨深いものがある。エロ事師でデビューして以来ずっと氏の言動が気になり、特にエッセーは殆ど読んでいた。学生運動に一時期シンパシーを感じ応援していた氏が、だんだんと運動から離れて行く心情に共感が持てた。本業の小説以外にラグビー、キックボクシング、歌、議員と幅広く活躍する姿は、一見、何の脈絡もなく破天荒に見えるが、それはシャイで気弱な性格を見せないための一種の自己韜晦だったのかもしれない。合掌。゙
2015/12/ 04 オウム真理教徒菊池直子の逆転無罪判決について一言。
無罪判決の決め手となったのは井上証言の信憑性である。事件から17年経ているのに記憶が詳細かつ具体的なのは不自然で信用できないというもの。全く不可解な判断である。17年前だろうと50年前だろうと詳細に記憶している事象があっても、ちっとも不思議では無い。まして犯罪に係わることである。覚えていない方がむしろ不自然であろう。裁判長の常識を疑う。またこのことから常日ごろ感じていることをもう一言。菊池被告に自身が運んだ爆弾の原料が人の殺傷に使われる危険性の認識があったが否かということが重大な問題となっていた。私は認識の有無、善意か悪意かといった観点からではなく、もっと事件の結果を重視した判断がなされるべきだと考える。これは法律の根本的な理念、法理に関することなので私の考えは現在の社会通念からは少し逸脱しているかもしれないが。現行の法律は無知であること、善意であることを擁護し過ぎていないだろうか。悪意を立証するには緻密な状況証拠の積み重ねが必要で容易ではない。人の心の中は究極のところ他人にはわからないのだから。乱暴な意見かもしれないが、善意、悪意に係わりなく結果について相応の責任を持つのが大人というものではないか。本来は弱者(知らなかった人、無知な人)保護を目的とする法理が犯罪者の免責に利用されていないか危惧する次第。知らなかったではすまないことが世の中には多くあるということ。
2015/11/23 五郎丸の指を立てるポーズが人気を呼んでいる。ちょっと首を曲げ指を立てる仕草は,妙におかまっぽく、マッチョな体とアンバランスなのが、受けているのかもしれない。そんなことはどうでもよいが、今回はこの、型、形を作るということについて一言。この形を作ることが、どんな状況下においても平常心を保ち、精神を統一し集中力を高める上で有効だということらしい。決まった型や形のもつ力を再認識した次第。若い時は、とかく、秩序や形式、決まった型といものに対し、意味も無く反発し嫌悪感を抱いていたものだが、大人になってやっとその意味が分かって来た様な気がする。型、形に意味があるのではなく、型、形というものそれ自体に意味があるのだ。色々な作法、伝統的な儀式といったものも、つまるところ五郎丸のポーズと同じではないか。、
2015/11/10
64歳にして、ついにスマホデビューしました。ガラケーで充分と思っていたのですが、最近新しいものに、チャレンジしていなかったので、ボケ防止のためにも変化を求め購入した訳です。そこで分かったことを一言。これは大人のおもちゃの様なもの。巷間、よく言われていることですが子供には害の方が多いだろうということ。つまりスマホに嵌ってしまうと、物を深く考えたり体を動かすといった時間が無くなってしまうので、学力低下や体力低下は容易に想像できます。18歳未満スマホ禁止が望ましいのですが、現実的ではないので、せめて学校では禁止すべきでしょう。
2015/11/05 一昨日の読売新聞朝刊に1970年代賑わった吉祥寺のロック喫茶「ぐゎらん堂」のことが大きく取り上げられていた。小生も1971~72年頃、足げく通った店である。猫まんまを食べながらロックを聴いていたが、当時まだ20代前半だった高田渡が随分、おじさんに見えたことが印象に残っている。当時の若者は総じて妙に老けていた様にも思える。学生時代から小生は喫茶店、飲み屋が大好きで、邪宗門(国立)、ほら貝(国分寺)、ぐゎらん堂(吉祥寺)、海賊(新宿)、ソウルイート(新宿)といった店を飽きもせずぐるぐる回り続け、ほとんど学校には行かなかった。学業を疎かにしたツケは回ってきたけれど、店で出会った様々な人から学んだことも多く、今でもジャニスを通じ色々な人と出会えることが無上の楽しみである。
2015/10/29 今週は読書週間でもあり、読書に耽ようかなと思っていた矢先、京大総長の山極さんから著書「ゴリラ」「父という余分なもの」他小冊子が送られて来たので、今週はこの2冊に挑戦してみるつもり。小生、特別ゴリラに興味がある訳ではないが、氏の著書は学術書ではなく、素人でも比較的読みやすいので、ゴリラを通じ、人間社会の理解を深めてみたい。
2015/09/25 今、日本中がラグビー熱に浮かれている。ご存知の通りラグビーワールドカップ初戦で大方の予想に反し、日本が南アフリカに劇的な逆転勝利をおさめたからである。テレビのワイドショーは嘗ての日本代表を務めた有名ラグビー選手をスタジオに呼びコメントを求めたり大騒ぎである。私が気になったのは次のスコットランド戦でも勝てるのではという期待感から、そのラガーマンから無理やり(私にはそう思えた)勝てるというコメントを取ろうとする司会者の姿勢である。私が期待したのはラガーマンの専門家としての冷静な日本代表の実力判断であり勝利の可能性判断であった。しかしそのラガーマンからは当然と言えば当然であるが否定的な発言はなかった。もし彼が「スコットランドとはまだ実力差があり、中3日という過密スケジュールを考えれば日本が勝つのは難しいかもしれない」とでも言おうものなら非国民扱いされかねないふ雰囲気であった。私は決してこのラガマンを責めているのではない。寧ろ好感の持てるコメントも多々あり好きなタイプでもある。私が恐ろしいと思うのはその抗し難い同調圧力なのだ。その場の圧倒的な空気(日本が勝てるのではないか)に抵抗するのは容易ではない。
ちょっと飛躍するかもしれないが、知識人の多くが勝てるはずはないと思っていたにもかかわらず、国全体の空気、高揚感から無謀にも米国に戦いを挑み敗れ去った太平洋戦争とつい重ねてしまう。多数意見やその場の雰囲気に異を唱えることの難しさを改めて感じた次第である。
2015/09/21 9月22日、23日休みますご了承ください。
2015/09/11 太宰治が佐藤春夫に宛てた手紙が公開され話題を呼んでいる。芥川賞が欲しくて欲しくてたまらない旨を切々と訴えている内容であるが、今の我々の感覚からは子供じみており、大人の行動とはとても思えない。しかし、この幼児性も彼の魅力の一つなのかもしれない。また彼ほど好き嫌いのはっきりしている作家もめずらしい。ちなみに三島由紀夫は大嫌いだと言っていたな。思い出話になるが、高校2年の時、同級生に太宰フリークがいた。津島修治(太宰治の本名)というペンネームで詩や小説を書き、よく私に見せていた。特に印象に残っていないので、たいした内容ではなかったのだろう。本人はやや誇大妄想の気があり、偉大な作家になる夢を抱いていたが、学校生活には馴染めず、3年に進級することなく中退してしまった。地元のスナックで働いていたが程なく店は辞め、その後の消息は不明である。何が言いたいのか。太宰治は麻疹のようなもので、誰もが一度は感染するが大人になるとすっかり忘れてしまうもの。しかし稀に病が高じると副作用が大きいので少年少女には要注意な作家であるということ。
2015/09/10 法科大学院の教授が教え子に司法試験の問題を事前に漏らしたとして大騒ぎである。授業で教鞭をとる人間が入試問題作成に携わるシステム自体に問題があると言われ、確かにその通りであるが、私の感想は少し異なる。不謹慎を承知で言えば、これは漏洩問題というよりは、老いらくの恋は一歩間違うと地獄が待っているということ。人間の性、愚かしさを感じた次第。教え子の若い女学生に目が眩み、世間一般の常識を大きく逸脱してしまったということだろう。模範回答まで指導するとは、いかにも世間知らずの大学教授である。決して良いことではないが、少し悪知恵が働けば、満点を取るような指導はせず、女子学生の頭の中身に合わせバレないギリギリのところで留めただろうに。誠に恋というものはやっかいであり、時として理性を破壊していまうものである。
2015/09/09 山口組の分裂騒動についてのマスコミ報道は過剰ではないか。(特にテレビのワイドショー)一般市民が分裂に係わる抗争に巻き込まれ死傷者が出たというのなら分かるが、そもそも、反社会的組織の分裂など知らなくても一向に困らないし、関心もないというのが一般市民の声ではないだろうか。少なくとも一流新聞が取り上げるべき問題ではないと思う。
2015/08/20 佐野氏のデザイン盗用疑惑について一言。
デザイン業界のことは良く知らないが私の結論は「佐野氏は脇が甘い」ということ。その世界ではかなり著名な人だと聞くが、やはり彼が世間の注目を集め始めたのは東京五輪のエンブレムに彼のデザインが採用されてからである。その後、盗用疑惑が次々と出てきたのは半ば当然のようにも思える。もし仮に無名のデザイナーが小さな街のイベントに係わるデザインを、誰かの作品を参考にしたとしても、あまり騒がれないだろう。しかしこれが同じことをしても有名人であれば世間の目はより厳しくなる。まして今はネット社会である。情報はより広く検索され瞬時に世間に行き渡る。有名になるということは、絶えず、あらゆる方面のリスクに晒されるのだ。脇が甘いというのは、有名になる、ビッグになる代償として相応の注意とコストを支払わねばならないという認識に欠けていたということである。これは一デザイナーの盗用問題ではなく、あらゆる企業にも当てはまることである。無名で小企業の場合、多少は許されていたかもしれない不正会計も特許侵害等も会社が大きくなればなるほど許されなくなるのと同じである。
2015/08/12 8月13日(木)臨時休業します。宜しくお願いします。
2015/08/08
少し前のことだがJRのトイレに自民党という落書きがあったというニュースが流れた。特に事件性があるとも思えない落書きごときがニュースになるとは、つくづく日本は平和だなと感じた次第。話は変わるが集団的自衛権行使について今ひとつ国民全体の議論が盛り上がらないのも、平和が続き(勿論いいことである)戦闘行為そのものが実感できないことも原因ではないか。話を元に戻そう。落書きである。学生運動が激しかった1960年、70年代のジャズ喫茶
、ロック喫茶のトイレは過激な落書きに溢れ、それが普通であった。公共のトイレにしても、今のように清潔で無い分
落書きも気にならなかったし、それが街のエレルギーとも感じられた。時代は流れ、今回の落書きが器物損壊にあたり警察が動くという。ちょっと大袈裟過ぎないか。たかが落書きである。警察はもっとやることがあるだろう。落書きはその時代を映すメッセージでもある。清潔もいいが行き過ぎは息苦しくて住みづらい。落書き一つ無い清潔で無菌状態の街に去勢された死の匂いを感じるのは私だけであろうか。
2015/07/20 桐野夏生の「抱く女」を読む。1972年当時の吉祥寺を舞台とした青春小説。同時期、私も吉祥寺でよく遊んでいたこともあり興味を引いた。内容は刹那的に生きる女子学生の男との交流、70年安保後の内向きになった学生運動(内ゲバ)やJAZZ喫茶でのバイト等が語られており当時の時代状況はそれなりに再現されていた。しかし、やはり暗く、重すぎた。もう少し明るい風俗小説を期待していたのだが。あの時代だからしょうがないか。ただ、懐かしい店や本の話も出てきて当時を偲ぶことができた。「CHET]というJAZZ喫茶は「メグ」のことだろうか?高橋和巳の小説のこともでてくるが、この作家、今ではすっかり書店から姿を消してしまったなあ。当時は大学生の必読書だったのに。寂しい限り。吉本隆明はかろうじて残っているのに。話がそれてしましました。ところで主人公の様な女性は私の周りにはいませんでした。
2015/07/17 それにつけてもギリシャという国はどうしようもないな。その膨大な債務額を見た場合、どう考えたって債務免除なしでギリシャという国が存続できないことは明らか。どんなに緊縮財政策を採ったところで返済原資捻出はたかがしれていることはドイツもフランスも当然分かっているはず。もうこの辺で当面の混乱を避けるためだけの問題先送りは止めて、EU、ユーロの存在意義、理念も含めあらゆる事を抜本的に見直す時期にき来ているのではないか。
2015/06/28 先日オリックスの株主総会に出席した。特に何か発言する意図があった訳ではなく、株主総会というものが、どういうものか一度この目で見たかったからである。同社を退社する直前、特殊株主(所謂総会屋)と対応した経験があり、そういう人達の発言があるのかと思っていたら全くの期待はずれ(?)。業績好調で若干の増配もあった影響か、和やかな雰囲気のおとなしい総会であった。竹中平蔵氏をはじめ、著名人の社外取締役の紹介もあり一流会社であることを見せつけるような感じでもあった。そこで一言。社外取締役の効用である。社外取締役って本当にコーポレートガバナンスに対して有効に機能するのだろうか?私の答えは否である。アメリカ好きのオリックスである。サーベンス・オクスりー法はじめ、コーポレート・ガバナンスに力を入れていることは分かるが、本当にガバナンスを考えるなら外部に依存するのではなく内部組織を充実させた方がよい。、外部の人間の方が会社の問題点を見付け出し、不祥事が未然に防げるかの議論は、現場を知らない、あまりに楽天的で単純な発想である。会社の実態は問題点を含め内部に精通した人にしかわからないものなのだ。古い話で恐縮だが破綻したエンロンは取締役17名の内15人が社外取締役であった。凋落したソニーしかり、東芝しかり、シャープしかり。オリックスも同じとは言わないが、社外取締役は無用の長物である。社外取締役に支払う金があるなら、それは社員の福利更生にでもあては方がよいのでは。
2015/06/10 12日(金)佐藤行衛さんのライヴやります。佐藤さんは韓国在住のミュージシャン&フードライター。ロックバンド・コプチャンチョンゴルを率いて、1999年に日本人バンドとして初の韓国正式デビューを飾る。ミュージックチャージ無し、投げ銭で行います。是非ご来店ください。
翌日13日はUKロックナイトと称して、イギリスのロックをガンンガン流します。こちらも是非お越しください。お待ちしています。特別メニューも用意しています。
2015/05/27 久し振りの一言。しばらく休筆すると書くことが思いつかなくなってしまうから不思議だ。そこで今回は、どうでもいい私の言語感覚に関することで一言。先日、足が痛くて大きな総合病院に行って来た時、会計場所にあった電光掲示板が壊れており故障中と表示されていた。私の言語感覚では中は余分で故障でいいのではと思う。中はあくまで、ある意志を持ってある状態が続いていることであり単なる機械の状態を表すなら中は余分ではないか。修理中、休業中とかの様に何かが進行している状態に中は相応しく、故障は何らかの意志を持って故障が継続している訳ではないからである。こんな、つまらない事にこだわる私の言語感覚はおかしいのでしょうか?もっと深読みすれば単に故障とだけ表示していれば、そこに修理する意志も感じられず、そもまま放置しているように思われるため、あたかも言外に「修理中なんですよ」というメッセージを示唆したかったのかも。
2015/04/06 この頃,年をとったせいか自分の一生を振り返って見ることが多くなった。波乱に満ちた(ちょっと大袈裟か)人生の様にも見えるが、少し見方を変えれば実に平凡な人生にも見えてくるから不思議だ。2度の破産(自己破産ではなく勤務先の破産)とリストラ、家庭の崩壊と、出来れば経験しない方がいいことまで随分経験した。しかし人生の落伍者ともならず現在に至っていることは、多少の運と自分で思っていた以上の精神的強さの性かもしれない。ここで披露することではないが少しづつ自分史を書いてみようかなと準備している。ぐーたらな性格のくせに、日記だけは中学一年の時から途中、若干の中断はあったが今に至るまでつけている。備忘録を残すことが苦にならないのだ。そういえば、嘗て小生の備忘録が裁判で勝訴判決の決め手となったこともあった。
2015/03/22 やっと春がやって来る。年を重ねる毎に寒さがこたえる身にとっては有難いことです。そういえば先日、喫茶店で週刊誌をめくっていたら、日本を代表する別れの歌という特集の中で吉田拓郎の「春だったね」が選ばれていました。この曲は今から40年以上前、高校の同級生の女生徒(通称トコちゃん)が作詞したもので、一度、聴いては見たもののその時は何とも思いませんでした。当時は大した根拠もなくフォークを一段下に見ていてロックこそ一番と変に、いきがっていたのです。最近、時々ジャニスでこの曲をかけますが、いい曲なので驚きました。当時、真面目に聴かなかったこと反省しています。トコちゃんゴメンナサイ。流石、吉田拓郎の名盤「元気です」のA面一曲目に選ばれているだけのことはあります。ボブ・ディランを彷彿させる軽やかなリズムとメロディーに、この歌詞が上手く乗っているのです。そういえば、ある音楽家が日本のロックの原点が三橋美智也の「達者でな」でその応答歌のような存在が拓郎の「元気です」言ってた様に記憶してます。
三橋美智也もすばらしいです。
2015/02/13 2月10日付の読売新聞の一面トップで民法改正の記事が載っていた。余程事件が少なかったのか、それ程ニュースバリューがあるとは思わないが一言。民主党政権時代から民法改正は論議されていたが、いよいよ法案成立に向け一歩踏み出したようだ。その中で、どうも解せないのが保証人に関する改正案である。経営者以外の個人保証人に対し公証人が保証意思の確認を行うというもの。一見保証のバーを上げ保証人保護のように見せているが、まやかしである。保証人が保証履行により全財産を失い生活困窮することが問題だというのなら、この改正は立法趣旨に逆行している。保証意思の確認に関しては従前から後日の紛争を避けるため債権者は色々工夫をしてきた経緯がある。それは保証の本質的問題ではなく単なる手続き、方法論であった。今回、公証人に保証意思確認を行わせるということは、より確実に保証履行できるよう、債権者にお墨付きを与えたことに他ならない。債権者にとってプラスであっても保証人のための改正とは言えない。時代の流れとして、そもそも個人保証依存による与信行為は無くす方向ではなっかたのか。これでは金融機関の与信能力の向上にもならない。旧態然とした江戸時代の五人組制度から一歩も出ていない。個人保証制度が残っている限り起業家も育たないし、資産隠匿を誘発することにもなりかねないだろう。
2015/01/23 今話題のピケティの「21世紀の資本」でも読んでみようかと思い立って本屋に行ったのですが、その本の厚さにとても読了する自信が持てず、購入諦めました。そして、ついその本の隣に山済みされていた入門書を買ってしまいました。資本主義の行き着く先が格差拡大をもたらすという事を実証的に論じた著書の解説本です。格差拡大は社会の不安定要因の一つであり、資本課税の強化により格差是正していくべきという主張は説得力があります。オバマ大統領の先の一般教書演説でも富裕層に対する資産課税強化により所得再配分うを行うと言っています。日本も格差是正は喫緊の課題でしょう。
2015/01/03 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。新年早々申し訳ありませんが、今年より若干、値上げさせて頂きます。消費税増税等もあり、万止むを得ない措置とご理解ください。
2014/12/25
12月27日(土)は都合により休みます。
年末は12月29日(月)まで営業し年始は1月3日(土)より始めます。
2014/12/20 12月20日ジャニスで山極さん京大総長就任祝いを国高元女子バスケ部員を中心に行いました。未だに女子に人気があるとは羨ましい限り。公人となって自由な行動もままならないのは、ちょっと気の毒な気もしますが、総長になったからには思い切り何か新しい事をやって欲しいものです。小生、弱りつつある身体に気力も萎え気味だったところ、山極さんの快挙に刺激され再び少し力が出てきました。
2014/12/19 12月19日小生が以前勤務していた会社の後輩が大学時代の音楽サークルのメンバーを呼びライヴを行いました。
やはりライヴは盛り上がるし、いいもんですね。これから定期的(月一)に行いたいと思います。
2014/12/18 選挙の度に疑問に思うことがある。裁判官に対する国民審査である。選挙民はちゃんと判断して○×を付けているのだろうか。確かに選挙公報には対象裁判官の関与した判例が幾つか紹介されているが、おそらく全てに目を通して選挙に行く人は稀であろう。選挙公約ならまだしも一般人に難しい判例を解読しその適否判断を期待するのは酷であるし、おかしい。もし○×の実効性を担保したいならある特定の人(判例を正確に理解し的確な判断の出来る人)を選びその人に判断を委ねる方が良い。大方の選挙民は知らない人間に対して×をつける事への抵抗感から、何も考えずに○をつけているのではないだろうか。国は国民が審査したとい結果だけが欲しいのだ。民主主義の体裁を整える為の単なる儀式になっているのでは。国が選挙民の○を以って免責をいっても、しょうがないだろう。こういった傾向は産業界にも蔓延している。銀行のATMしかり、複雑な金融商品の説明書しかり、とりあえず事前に消費者の同意得ていれば何か問題が起こっても免責になるだろうという、さもしい根性である。免責指向が蔓延している。いやな世の中である。ちょっと論理の飛躍がありますかな。
2014/12/07 いまだにテレビで、サラ金に支払った利息の過払金返還を呼びかける法律事務所のCMが流れている。この返還請求依頼は仕事が減ってきていた弁護士、司法書士にとっては正に干天の慈雨である。しかし私はどうも納得がいかない。そもそも、利息制限法と出資法との間にグレーゾーンがあたったこと自体が問題をややこしくしていた訳であるが、それはさて置き、このグレーゾーン金利での貸付は当事者が合意していればOKというのが確立した判例であったはず。それを過去にまで遡って法廷利息まで下げさせるというのはサラ金潰しと勘ぐられてもしかたがない。刑罰法規ではあるが憲法でも遡及効は禁止されているのだ。これを認めることは法律の根幹に係わる問題だと思うのだが、何故、資金業者が裁判で争わなかったのか不思議でならない。私見で恐縮であるがグレーゾーン金利は、そもそも小口の無担保貸付ということを考えれば社会通念上、許される範囲と思うのだ。もし債務者の返済額を軽減するのが立法趣旨であるならば、金利ではなく期限とリボルディングを規制すればよかったのでは。たとえ高金利でも期間が一ヶ月とか三ヶ月くらいであれば金利負担もそれほどでもないはず。長期に亘って借り入れ続けるから返済額が大きくなるのだ。たとえは一寸変かもしれないが、タクシーはキロ当たりの運賃は高いが3~5キロくらい移動するには大変便利である。しかしタクシーで東京から大阪まで行くのはべらぼうな金額になりバカである。サラ金業者タクシー論である。

2014/12/05 奥田英朗の「田舎でロックンロール」を読む。氏はストーリーテラーとしての才能高く、どの小説も外れが無く面白い。これは小説では無く氏のロックとの出会いからの青春記。プロの音楽評論家でないロック好きの一リスナーとしての視点が新鮮で共感できるところが多々あった。その中で最初ザ・バンドの良さがさっぱり分からなかったのが時を経てその良さが理解できたというくだりがある。正に私も同じで思わず苦笑した。高校生の時、ロック好きの友人がロックならこれを聞けと言って貸してくれたレコードがザ・バンドの「ミュージックフロムビックピンク」で、さっぱりその良さが分からなかったことを思い出した。今では「ラスト・ワルツ」が私の大好きな一枚である。

2014/12/01 また東映の大スターが逝ってしまった。菅原文太 享年81歳。代表作「仁義無き戦い」は何回観たか分からない。ちなみに5部作の内、笠原和夫出筆の4作全てのシナリオがジャニスにあります。この映画は群像劇なので、菅原文太以外に個性豊かな俳優が数多く出演しており圧巻である。人間関係も複雑であるが、そこは流石、笠原和夫、深作欣二コンビ、見事にまとめ上げスピード感ある映画に仕上がっている。もし、この映画をまだ観ていない人がいれば大袈裟なようであるが人生の損失である。死ぬまでに是非観てください。他に文太の映画でお勧めなのは「県警対組織暴力」「現代やくざ人斬り与太」あたりかな。合掌。
2014/11/28 ジョニー大倉が逝去した。映画界はまた惜しい人材を無くしてしまった。彼はキャロルの元メンバーであったが、私はロックンローラーとしての彼よりキャロル解散後の、役者としての才能に注目していた。、安藤組の花形敬をモデルにした「疵(キズ)」という映画で彼は花形敬(陣内孝則主演)の舎弟役を演じていたが、とても上手かった。気性が激しく何かとトラブルを起こす花形をなだめながら苦労する姿が良く出ていてバイプレーヤーとしての才能が開花した一作である。合掌。
2014/11/19 高倉健さんが亡くなった。健さんは私にとって、とても一言では語り尽くせない程の偉大な存在。私が健さんの映画と初めて出会ったのは1969年、正に学生運動がピークを迎えていた頃。忘れもしない立川東映で上映されていた「新網走番外地 さいはての流れ者」。横尾忠則のポスターも印象的でした。この映画を機に軟弱だった自分も少しだけ変わった様な気がした単純な少年でした。その後は当然の様に健さんに嵌ってしまい池袋文芸地下、新宿昭和館に通う日々が続くこととなった訳です。語れば尽きない任侠映画の世界ですが、私が好きな場面の一つを告白しますと、昭和残侠伝で突然現われる池部良と殴り込みに向かう途中、健さんが無造作に長ドスを包んだ紫の袋を道端にポイと捨てるところなのです。ドスは単なる殺し道具。宮本武蔵ではないのですね。何でこんな変なところに魅かれるのか自分でも説明できません。断捨離ですかね。 とにかく合掌。
2014/11/17 日テレと女子大生との内定取消し騒動について一言。
女子アナ採用内定後、女子大生が銀座のクラブでホステスのアルバイトをしていた事が発覚し、日テレが内定取消ししたというもの。その理由が女子アナには清廉性が要求されるが、ホステス経験は清廉性を欠くからとのこと。しかし、本来は、一旦、内定を出した後、その内定を取消していいものかどうかということが争点のはず。重大な犯罪歴を隠して内定をもらい、その後発覚して内定取消しというのなら、解らないでは無いが、たかがホステスのバイトくらいで内定取消しというのは正直、どうかと思う。会社の採用基準についてとやかく言うつもりは無いが、内定を出すまでに十分身辺調査出来なかったのは会社の落ち度であり、今更取消しでは女子大生がかわいそうである。またホステスと言う職業の清廉性であるが、確かにホステスは女性性を売る職業である。しかしそれを言うなら女子アナだって十分女性性を売る職業であろう。五十歩、百歩である。何故、女子アナという言葉があり、女子シテムエンジニア、や女子建築技師という言葉が無いのか。それは後者が女性性を売っていないからである。
2014/10/29 クリームのベーシスト ジャック・ブルースが逝去した。ジャニスで改めて名曲「ホワイト・ルーム」を聴く。意表をつくイントロから引きずりこまれ、また彼のファルセットが何とも言えず心地よい。クリームと言えば、どうしてもエリック・クラプトンが注目されてしまうが、ジャック・ブルース抜きで、このバンドはあり得ない。一般的にベーシストはギタリストに比べ地味であるが、オレがオレがではなく、その一歩下がった、すねた感じが何とも言えず好きである。
2014/10/22 金と政治を巡る不祥事は後を絶たず、新鮮味も何もありませんが旬の話題なので小生も一言。小渕さんは大臣辞任ではなく、議員辞職すべきだと思います。政治資金規正法も、公職選挙法も議員を律する法律であり閣僚のみを律するものではないことは当たり前です。会社であっても不祥事を起こした場合、普通、社長は会社を辞めます。平取締役に降格してやり直すなんて、あまり聞いたことはありません。一からやり直すのなら議員辞職してからでしょう。葱や
ベビー用品の購入贈答が政治活動の一環との認識に至っては笑止千万。そんな世間常識とずれた感覚で政治は出来ないでしょう。
2014/10/11 今回は株と企業経営について一言。それにつけても株価の下げが止まりませんね。欧州経済の不安が原因とも言われてますが、正に世界の政治、経済の影響が株価を左右する状況になってきており、投資家も益々、投資判断が難しくなっています。前置きはさておき本題です。昨今の、いわゆる一流と称される企業の経営者は株主指向が少し強すぎると思われてなりません。経営者が株主の利益を考えることに異論はありませんが、それが短期的な利益至上主義や財務内容を重視し過ぎ、本業を如何に発展させるかという極めて基本的なことが疎かになっていないでしょうか。近時、株価が必ずしも個別の企業業績や財務内容をストレートに反映している訳ではないことはご承知の通りです。こういった状況下では、短期的な株価といったシッポに振り回されることのない、どっしりとした将来を見据えた経営姿勢が望まれるところです。そういった数字に表れていない情報を企業は投資家に対して積極的に開示していくべきであり、それが結果として企業価値の向上(株価上昇)に繋がるのではないでしょうか。
2014/10/06 今更、説明するのも何ですが、店名のジャニスはロックシンガー ジャニス・ジョプリンからとったもので、ジャニス・イアンからではありません。そして10月4日はジャニスの命日。10月4日にジャニスについて一言コメントするつもりでしたが忘れてました。そこで2日遅れの一言。
小生が初めてジャニスを知ったのは、今から45年前、高校3年の終わりの頃。「阿Q」という変な名前の国立にあった小さなロックバーでした。ろくに酒も飲めないくせに粋がって入った時、流れていたのがジャニスの「コズミック・ブルース」。それまで音楽といえば、藤圭子か園まりくらいしか聞いたことがなく、殆ど洋楽を知らなかった小生にとってジャニスの正に魂を揺さぶる大迫力のブルースは大きな衝撃でした。(洋楽といえば「ほら貝」でボブ・ディランだけは聞いていましたが、お経の様でよく分からなかった)
その後、紆余曲折があり「ジャニス」を開店するに至った訳です。

2014/10/05 一ヶ月以上サボっていました。申し訳ありません。久し振りの一言はアベノミクスについて。アベノミクス効果が実感できない日々が続く。考えてみれば、第一の矢の効果として円安、株高が進んだことにより、その後の経済発展への期待感が膨らみ過ぎたのが間違い。冷静の考えて、今の成熟した日本で、経済政策等で急に国民皆が幸せになると考える方が甘すぎる。若者の貧困拡大、、高齢者破綻と問題山積している。しかし、この状態が画期的に良くなると思わない方が良い。絶望的になる必要も無いが、国も個人も小さいことを馬鹿にせず、着実に日々の生活向上のため工夫を積み重ねていくしか無いのでは。オセロゲームの様に黒が一気に白に変わることは無いのだから。そう言えば昔、故吉本隆明が「魚屋は魚を売りながら革命を云々」と言ってたな。
2014/08/25

8月26日(火)から28日(木)まで夏季休暇をとります。
今年の夏はとにかく暑かった。体もバテ気味です。特に何処かへ行く予定もありませんが、休みます。
2014/07/31 VANの話は次回。今回は長崎女子高校生殺害事件について一言。この悲惨な事件に対して、毎度のことであるが学校側のコメントがずれている。命の大切さの教育を行ってきたにも拘わらず云々といったコメントである。長崎に限らず日本全国、命の大切さは充分認識されていたと思われる。太平洋戦争の敗戦を機に日本は世界に類をみない、人命を至上の価値とする国となったのである。昔、「人命は地球より重い」と言ってハイジャック犯の要求を超法規的判断で応じた福田総理に対して日本国内では大きな反発が無かったことからも伺える。命の問題ではなく、人間のなかに潜む説明のつかない邪悪な心に対する対処法を教えて来なかったことが問題ではなかったのでは。普通の人間ならこの邪悪な心を押しとどめる力が働き、何とか社会と折り合って生きているのであるが、そのバランスが崩れている人や、崩れそうになっている人に対しては充分なケアが大切であろう。抽象的な善悪論ではなく、もっと具体的な方法論が必要。例えば子供の悪について考えるきっかけとして文学作品や映画を観させ、皆で討議するといったことはどうであろう。小生が薦める文学作品ではジャン・コクトーの「恐るべき子供たち」、ゴールディングの「蝿の王」、映画ではルイス・ブニュエルの「忘れられた人々」等々である。人間の心の中には誰でも悪魔が潜んでいることを、まず認めることから始めてはどうか。

2014/07/23 先日、元ヴァン・ヂャケットの同期入社の仲間7名がジャニスに来店した。内6名が実に30数年振りの再会である。職場も違い一緒に仕事をした連中ではないにも拘わらず同期というのは不思議なもので実に絆が強く嬉しいもの。昔話に盛り上がり本当に楽しい一時でした。1975年4月入社した時は、まさか3年後に倒産するなんて、つゆ思いもしなかった。その後、皆バラバラとなり自然と連絡先も途絶え、もう二度と会えないだろうと思っていただけに再会は感無量であった。ヴァン・ヂャケットにつては語りたいことも多いので続きはまた次回の一言で。
2014/07/21 ベネッセの顧客情報漏洩事件で、当然といえば当然であるが、同社は再発防止策講じるという。しかし、どんなに精緻な防止策を策定したとしても完全に防ぐことは不可能である。同社の改善に向けての努力を否定するものでは決してないが、もしシステム自体を大幅に改善するのであれば多大なコストがかかる。そして最終的にそのコストは顧客に転化されるのである。(商品価格の上昇)情報にアクセスできる人間が情報を盗もうと思えば、その情報を頭で記憶し自宅で紙に書き写せば手間はかかるが、簡単に情報は持ち出せる。行きつくところはシステム上、管理上の問題ではなくモラルの問題である。情報漏洩といえば前の職場で、ある社員がFAXを誤送信し大事件になったことがあった。機密情報でも何でもなく、公示された情報であったが再発防止策がすごかった。FAX送信の際は幾つもの第三者の確認印とFAX番号が正しいかどうかのエビデンスが必要となり、送信ボタンも第三者の立会いが無ければ押せなくなっていまった。馬鹿げた話だと思われるかもしれないが実話である。安全性を追求すればコスト(時間)がかかるということ。常識的な策を講じなければ、角を矯めて牛を殺すことになる危険性もある。


2014/07/05 今朝、新聞を見て驚いた。友人の山極さん(もう公人であり
固有名詞をあげても良いでしょう)が京都大学の学長になったのだ。彼が理学研究科長になった後、ひょっこり店に現れた時のことを思い出した。半ば冗談しかし期待も込め「次は学長だな」と言うと一笑に付されたのが現実となってしまった。以前も小生が「ゴリラに咬みつかれないように」と心配した後、頭を噛みつかれ九死に一生を得たことがあったっけ。しかし、快挙である。おめでとうございます。
2014/06/25 <セクハラヤジについて>
思っていた通り都議会でのセクハラヤジにマスコミが大騒ぎである。ヤジとは元々下品なもの。マスコミに顔を出す有名人が皆、正義の代弁者のような発言を繰り返すのには、うんざりした。小生はこのヤジを肯定するわけではないが、違った観点から物言う人が一人もいないことと、騒ぎ過きが気になるのである。ヤジではなく彼女が提起した少子化、晩婚化等々について論議すことがマスコミの王道だろう。もし発言者が中年の未婚の親父で女性議員が「早く結婚した方がいいんじゃないか」とヤジった場合セクハラヤジになるのだろうか。「結婚」と言う言葉自体がタブー視されそうな
全体主義的雰囲気がいやである。
2014/06/23 今、日本は正
にサッカー一色。実は小生も高校時代はサッカー少年でした。ポジションはGK。(どうでも良いけど右ウイングが後に芥川賞作家となったS。練習熱心ではなかったけど)小生の時代は分厚い手袋も無く、キャッチングには苦労しました。そう言えば、今は正面に来たボールは大体、手で前に落としていますが、小生の頃はキャッチングが基本で強烈なシュートを胸で受けると一瞬息が止まるほど痛かったことを覚えています。今の方が合理的ですね。またスパイクの底も当時はヤスダのゴムポイントかアルミポイントが主流で、踏まれると、とても痛かった。オフサイドトラップ何て戦術も無かったし、細かい所で色々進化してますね。
2014/06/22 先日、元ヴァン・ヂャケットの同期入社のTさんが来社した。
Tさんは同期野球チームのピッチャーで4番、腕っぷしも強かった。実に30数年振りの再会。新卒同期入社の連中は離れていても、やはり特別強い絆を感じる。来月20日には他の同期の連中も何人か店に来てくれるとのこと。今から
とても楽しみである。
2014/06/01 ASKAの覚醒剤使用が話題となっていますが、何故、薬物に手を出すのでしょうかね。昔、コカインは重労働の苦しみを一時的に逃れるため、コカの葉っぱを噛んだことから始まったともいわれていますが、覚醒剤は、苦しみからの開放なのか、快楽の追求なのかよく分かりません。しかし廃人への一里塚であることには間違いありません。覚醒剤の恐ろしさを知る教材といっては何ですが、お勧めの映画が2本あります。渡哲也主演の「仁義の墓場」と役所広司主演の「シャブ極道」です。前者は病み上がりの渡哲也の鬼気迫る演技が迫力満点で、深作欣二監督の代表作の一つといってもいいでしょう。後者も役所広司の狂気に満ちた演技は必見です。両者とも心と体が蝕まれて堕ちていく様が実に生々しく描かれています。(2本ともレンタルビデオ店で借りれます)
2014/05/29 マレーシア、中国から帰国し営業再開しています。両国とも
首都、経済特区ということもあるのでしょうが、近代的な高層ビルが立ち並ぶ大都会です。マレーシアは思っていたほど、イスラムの戒律が厳しくなく、食べ物も豚肉以外豊富で美味しかったです。中国は深せんを訪れたのですが、正に中国の勢いを感じさせる都市でした。但し市街に鄧小平の肖像画が掲げられており、資本主義的経済発展を続ける中、一党支配の社会主義国の一端を見る思いでした。
2014/5/11 5月13日(火)から15日(木)までの3日間、「阿佐ヶ谷飲み屋さん祭り」に参加します。常連の方はあまり関係ないと思いますが、初めての方はチケット購入すれば一杯無料です。ご来店お待ちしております。
ところで17日(土)から22日(木)まで、申し訳ありませんが店を休みます。毎年恒例の東南アジア旅行に出かけます。今回はマレーシアと中国です。成長著しい国々のエネルギーを肌で感じて来たいと思っています。
2014/04/24 4月25日(金)貸切となります。宜しくお願いします。
なおGWは通常通り日、月以外は営業致します。
2014/04/16 小保方さんと理研との対立について一言。
スタップ細胞の行方、小保方さんと理研との対立に世間の関心も高いと思われます。私に言わせれば、これは、論点のかみ合わない夫婦喧嘩のようなもの。そもそもは捏造、改竄、悪意といったやや刺激的な言葉の解釈の相違がスタップ細胞存在の有無、論文の取り下げといった大きな問題になってしまったということでは。悪意という言葉の法律的な意味と道徳的な意味が混在してしまったことも原因。また情に訴えるような小保方さんの記者会見も科学者らしからぬ様に見えてしまった。小保方さんには厳しい様だが、この会見を見て今時の若者に特有な過剰な自己愛を感じた。
2014/04/02 4月から定休日を日曜日、月曜日と致します。今まで月曜日に飲みたかった人には申し訳ありませんが、別の曜日に来て頂ければ幸いです。
 ところで飲食店は開業3年以内に7~8割りは消えて行くといわれてますが、幸いJANISは3年を経過することができました。ひとえにお客様のご支援の賜物です。感謝しております。但し、決して順風満帆であった訳ではありません。実態は売り上げ低迷しています。
閑話休題。話は変わりますが、何故こんなにも多くの飲食店が消えては、また新しくオープンするのでしょうか。
撤退の原因は色々あると思いますが、まず固定比率の高さがあると思います(特に家賃の高さ)。家賃が多少高く、リスクが大きくても、飲食店をやりたい人が多いことが、家賃の高止まりになっており、経営を圧迫しているのではないでしょうか。経済合理性からみれば、おかしな話ですが、理屈通りでないのが、また飲食店経営の面白さなのでしょう。まだ3年しか経験ないくせに偉そうなこと言ってしまいました。
20014/3/15
今日で丁度、開店3年目となります。何とか皆さまのおかげで続けることができました。感謝しております。震災直後の大変なスタートでしたが、この3年はあっと言う間でした。
ところで今回は特殊詐欺について一言。
オレオレ詐欺を始めとする特殊詐欺が一向に後を絶たない。警察も色々対策を講じ、広報活動しているが、あたりまえのことをぐだぐだ言ってるだけで、これでは効果は薄いと思われます。もっとシンプルな啓蒙が必要。即ち「お金は直ぐに支払わないこと。」を徹底すれば良いだけ。お金はその対価に見合った物やサービスを受け取ってから払えばよいもの。後払いを徹底するだけで、この手の詐欺は相当防げるはず。今直ぐ必要な金などないのだから。支払いが少しくらい遅れても命まではとられません。ノーという勇気を教えてこなかったツケです。たとえそれが本当の息子からの無心であってもノーと言ってからゆっくり考えればすむことだと思います。
2014/2/20 <採点競技について>
ソチ五輪を観ていて改めて採点競技に疑問を感じました。素人目にはよく分からない高度な技術点や主観の入る芸術点などを順位の重要判定要素に入れていいものなのか?スポーツはもっとシンプルで分かりやすく、一番早く到達した人、一番遠く跳んだ人が一番でいいのでは?美しさや、芸術性を競う競技は当然あっていいと思うのですが、スポーツ競技である五輪には向かないのでは。
2014/2/9 「東映ゲリラ戦記」(鈴木則文著)を読む。「義理欠く恥欠く人情欠く」の三角マークを観ると胸高鳴る、根っからの東映ファンの私としては見逃すことの出来ない一冊。1966年小生中三の時、鶴田浩二主演の「関東やくざ嵐」を見て以来ずーと東映を優しく見守っていたのですが、この本で紹介されているB級ポルノ路線(ちなみに日活ロマンポルノより前です)は見落としている映画が多く残念。題名はちょっと恥ずかしくてここでは紹介憚れますが、成人映画指定にならない程度の、ぎりぎりの苦心がまた泣けます。新宿「昭和館」中野「武蔵野館」が無くなり、東映やくざ、ポルノ映画が観られなくなって幾星霜。きれいなシネコンもいいのですが、都内に一つくらいB級映画専門館があってもいいのでは。何方かやってくれる人いませんかね。小生以外でもB級映画ファンは相当いると思いますが。ところでB級では小沢茂弘監督が好きです。(今は京都で占い師をやっているとのこと)ポルノ猟奇路線では石井輝男監督が突出してますかね。
2014/1/12 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。今年から土曜日も営業しますので是非、足を運んでください。こんな、他愛もない独り言でも読んでくださるお客様がいらして、恐縮しております。「最近、あまり書いてないね」と言われることも多く、今年は初心に帰りもっと書きたいと思っています。
ところで最近の新聞で土地鑑という文字を見つけ、ちょっと勉強になりました。小生、ずーと土地勘と思っていたのですが、鑑という言い方もあるのを発見しました。
2013/12/31 今年最後の一言。28日、大学時代の友人との忘年会に出席しました。そこそこの値段の店でしたが満席。少しずつでも景気回復しているようで、街(有楽町)も人で溢れていました。この景気が続くことを期待。多少の体力の衰えを感じた一年でしたが、来年は病気自慢はせず(50半ばを過ぎた頃から何故か同窓会や忘年会での話題が病気のことばかり)、体を鍛えもっとアクティヴに生きたいと思います。
それでは皆さん良いお年を。
2013/12/23 随分長い間さぼっていました。申し訳ありませんでした。
早速ですが年内の通常営業は一応27日金曜日まで、来年は6日から始める予定です。
但し12月30日から1月2日までは特別、別の方に手伝ってして頂き店は開けます。31日はカウントダウンパーティー、元日はお雑煮も用意しています。是非お越しください。料金は若干高くなりますがご了解ください。
さて今年もあと僅か。ジャニスも3年目に入りやや苦戦を強いられていますが、ここは踏ん張り所。まだまだ続けるつもりです。これからもリーズナブルな値段でロックを聴きながら安らげる店を目指します。
2013/10/25 格闘技ファンの小生が高校生の時からずっと読みたかったノーマン・メイラーの「一分間に一万語」を読む。どの本屋も図書館を探しても見つからなかったこの本をジャニスのお客様が見つけてくれたのです。半ば諦めていたので、本当に感謝、感激。
内容はソニー・リストンとフロイド・パターソンとのプロブクシング世界ヘビー級タイトルマッチのルポ。大方の予想を裏切リストンがパターソンを一回でKOしてしまう。小生はパターソンが強すぎるリストンを怖がり彼の盛りを過ぎたころを見計らって、挑戦を受けたと思っていたのだが、この本を読む限りパターソンは逃げていなかったようだ。それでも善のパターソンが悪のリストンにあっさりKO負けしていまうのが現実。当たり前の話だが、皆なの期待を裏切っても強い者が勝つ。そしてリストンもその後、あのアリにKO負けしてしまうのである。リストンは少年時代から相当の悪で、刑務所にも入っており、そこでボクシングを学ぶ。まさに「明日のジョー」。ノーマン・メイラーの文章は相変わらず言葉が過剰で相当読みにくい。この試合に対する哲学的な意味付けもやや鼻につくが、短い試合をよくここまでの文章に仕上げたものだと感心した。
2013/10/18 みずほ銀行とオリコの反社会的勢力への融資問題について一言。連日のみずほとオリコに対するマスコミの報道はやや大袈裟過ぎるきらいがある。あえて言わせてもらえばたかが2億程度の問題融資に過剰反応し過ぎ。勿論反社会的勢力との取引がよくないことは当然であるが、マスコミの報道では取引の実態も今ひとつはっきりしない。この融資が、実態は車ディーラーが販促手段として行う割賦販売の変形であるなら問題は更に広がる。車屋さんなら同じようなことをやっていても許されるのか?融資金の資金使途が車の購入代金で完済までディーラーに所有権留保されているなら、いちよう保全はできており暴力団への資金源ともいえない。また暴力団への融資がそのままであったことが、問題なら解決はそう容易ではないと思われる。不良債権化しているのであれば、また話は別であるが、延滞もなく約定通り返済している先に、ただ借主が暴力団ということが期限の利益喪失事項に当たるということだけで、実際問題、そう簡単に一括弁済させられるのか?「あなたは暴力団員と判明したので貸したお金を今直ぐ一括で返してください」と気弱な銀行員がちゃんと約定通り返済している先に対して回収できるのか?もしそこまで厳格に反社会的勢力との関係を問題視するなら、警察がもっと民事に介入できるよう法律改正でもして回収のバックアップと情報提供すべきであろう。問題債権が放置されていたのは、単に暴力団が怖いからだけなのではないか。コンプライアンス強化云々と綺麗ごとをいっても警察の協力なくしては成果は期待できないと考える。
現状では小額の債権回収に警察がいちいち立ち会うとも思えないが。
2013/10/9 本当に久し振りの一言。継続することの難しさを実感しています。書くことが無いのではなく、ちょと休んでしまうと再開するのにエネルギーがいるのですね。
早速ですが10月11日金曜日都合により店休みます。申し訳ありません。また土曜日定休が不評で来年あたりから
また土曜日営業復活を考えています。ところで少し前から毎週木曜日をレディースデイとして女性半額にしましたが、相変わらず女性客はあまり来ません。2階で外から店の中が見えないこともあり、入るのにやや抵抗感があるやに聞いてます。でも、こればっかりは変えられないしなあ。ではまた
2013/8/10
8月12日から14日まで夏季休暇をとります。宜しくお願いします。毎日暑い日が続いて少々バテ気味です。株価もパッとしませんね。株価といえば良く使われる表現に株価が下がり傾向にある時、当面の利益の確定売りというのがありますが、それが良くわからないのです。なぜ利益がでているとマスコミがわかるのでしょうか。損切りで売却する人もいっぱいいるはずだと思うのですが。
2013/7/28 勝手ながら7月29日(月)臨時休業します。悪しからず。
2013/7/12 今日、久し振りにライヴやりました。出演はボブ浅野さん。
ボブ・ディランが得意の方で、ハーモニカもバッチリでした。昼間はサラリーマンをしており二足のわらじとのこと。最後はクラプトンや、ガンズ等もカバーしている名曲「天国への扉」で大いに盛り上がりました。また機会があればライヴをしたいと思っています。
2013/7/1 本日より営業日を変更します。毎土曜日を休み、月曜日は全て営業致します。今までの第一第三月曜日休みが不評のため、これを止め解りやすくしました。宜しくお願い致します。三年目に入りややマンネリ化したのか、来客数が減ってきているのが気がかりです。何かしなければと思いつついいアイデアも思いつかず悩んでいる今日この頃です。ご来店お待ちしております。
2013/6/19 急に思い立ち、太宰治の桜桃忌に行って来ました。学生時代に一度行きましたがあまり印象に残っていません。今にも雨が降りそうな曇天のせいか、人もまばらで寂しいものでした。一定のコアなファンは居るにせよ太宰はやはり、もう過去の人なのかな。また、太宰の墓のはす向かいにある森鴎外の墓が以外と小さく、これが明治の文豪の墓なのかといった印象。彼も遠い過去の人になってしまったのでしょうか。漢字だらけの「渋江抽斎」なんてもう誰も読まないでしょうから。そういえば、太宰の墓前で自殺した田中英光に「さようなら」という美しい短編小説がありました。改めてグッドバイ太宰。
2013/5/25 今話題の村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む。村上春樹の小説はもう20年以上も読んでいなかった。村上ブームが続く中、ある時から全く読む気がしなくなったのだ。それが今回理由もなく衝動的に平積みされたこの本を買ってしまった。感想は「消化不良で今一つの内容、期待したほどではなかった」。氏、得意のメタファーがいたるところに散りばめられ読者を村上ワールドに引き込ませる手法は、相変わらず上手いが、物語の展開に無理があった。女友達が精神に異常を来たす理由や、恋人との微妙な関係もやや説得力に欠けていた。新宿駅の描写も冗長。手垢のついた「喪失と再生」というテーマ、不条理なもの、邪悪なものに対する考え方が曖昧不徹底で、それが私の欲求不満と消化不良をひきおこしたのかもしれない。それとも私の感受性が衰えてきたのか、つい明確な答えが欲しくなってしまうので。
2013/5/4
予定通り営業時間を変えます。
7時開店、午前1時までの営業とします。一時間後にずらしただけですが。アベノミクスの影響はまだジャニスには届いていないようで、バー営業も厳しい状況下にあります。
ところで、まだ国立の家の残置物の整理に追われ疲れきっていますが、見たことも無かった父母の日記などが出てきて思わず読んでしまったりと楽しいこともあります。父がとても几帳面に毎日の朝食メニューまで事細かに書いてあったことに驚きました。
そこで教訓  死ぬまでに物はなるべく処分しておくこと。          子供のためにも。
2013/4/12 久し振りの一言。
遂に阿佐ヶ谷に引越してきました。住み慣れた国立も捨てがたかったのですが、阿佐ヶ谷もとても良い町で気に入ってます。職住接近で随分、体が楽になりました。閉店時間もあまり気にすることが無くなったので、5月頃から営業時間も変えようかと思っています。
2013/3/23
19日から営業しています。2周年キャンペーンとして飲み物
半額セールを実施中(但しボトルは除外)。4月13日まで続ける予定です。ところでタイはやはり暑かった。パタヤからボートでラン島へ行き泳いできました。水中遊泳も初体験し楽しいヴァカンスでした。二日間ゴルフもし散財。また働いて稼がなくては。
2013/3/3 3月13日から18日まで臨時休業させていただきます。申し訳ございません。タイへ遊びに行って来ます。
ところで吉祥寺の殺人事件報道について一言。凶器となったナイフを購入した店を大きく報道していましたが、意味ないと思います。むしろ店にとってはマイナスイメージを抱かせてしまう結果となり大変迷惑なはなしだと思います。何処でナイフを購入したかなんて事件の本質とは無関係なこと。私がよく利用するスーパーがテレビニュ-スで映し出されびっくりしました。また被害者の友人へのインタビューやそのプロフィルもどうでもいい話。真面目で、明るく本当にいい人が何故事件に巻き込まれなくてはといったことがいいたいのでしょうが、もし被害者が暗い性格で周りからも嫌われ者で、いじめっ子で、どうしようもないワルだったらマスコミはどう報道したのでしょうか。やはりここは常識的にみても加害者がどういう人物なのかを詳しく報じるべきでは。
2013/2/21 気になる言葉シリーズ 今回は「大丈夫でしょうか?」
何時の頃からだろうか。スーパーのレジで「レジ袋、大丈夫でしょうか」と尋ねられるようになったのは。おそらく、その真意は「レジ袋は一枚2円で有料となりますが、それでもかまいませんか。後で文句いわないですよね。大丈夫ですね。」と言いたかったのだろうが「大丈夫でしょうか」はこっちが聞きたいところ。「このレジ袋はこんなに重い商品を入れてもやぶれず大丈夫でしょうか?」と。ったく。飯屋でもありましたね。「ライス大盛りにできますが、大丈夫でしょうか」と訊かれました。それはあたかも「あなたは肉体労働者みたいだけど、大盛りライスを食べなくても体力持ちますか?普通盛りで大丈夫ですか」と言っているようで、親切心かもしれないけど、余計なお世話。最近、本当に大丈夫ですかと言われることが多く、気を使ってもらっている。今度、「大丈夫ではありません」と答えてみようかな。リアクションが楽しみ。
2013/2/16
「国民栄誉賞について一言」
大鵬に国民栄誉賞授与が決まったとの報を聞く。以前からこの賞につては疑問があったので一言。特に対象者が故人の場合、何の意味も無いだろう。本人が喜べる訳じゃなし。その伝でいけば、夏目漱石や福沢諭吉はどうなんだってことになるだろう。故人の業績を讃えるということは、その親族にとっては嬉しいことかもしれないが、圧倒的多数の国民にとってはどうでもいいことなのでは。故人でなくても過去の受賞者の大半はスポーツ選手で、彼等は既にオリンピックの金メダル他多くの賞をもらっている。それに国が最後の権威付けすることに何の意味があるのか。政権与党の便乗商法かと思いたくなる。そういえば、なぎら健一が嘗て高田渡に国民栄誉賞をと、この賞を皮肉っていたっけ。
昔ヘミングウエイはいいことを言っていた。「勝者には何もやるな」と。
2013/2/2 今日は金融に携わる人について一言。
スイス在住の資産家夫妻が殺害され、その事件の真相,背景についてマスコミがうるさい。誠にお気の毒なことではあるがファンドマネジャーをはじめとした、金融に携わっている人達について一言。あくまで今回の事件とは関係ありませんが。ファンドマネジャーなんて言ってみれば競馬の予想屋みたなもいの。競艇ではコーチャーか。そんなに稼いではいけません。お金を右から左へ動かすだけで巨額の金を稼ぐ人は道の真ん中を堂々と歩いてはいけません。道の隅を遠慮しながら内股で歩くべきです。道の真ん中は物を作る人に歩いてもらいたい。これが小生が30年前から声を小にして言ってたことです。
2013/1/30 今日は言葉について一言。
先日、某大手新聞社の記事に「映画を見た云々」という表現がありました。映画は見るものではなく観るものでしょう。この記事を書いた人が一般の投稿者ではなく編集者というので、ちょっと言語感覚を疑いました。また最近は「鑑みる」という言葉にしても「何々鑑みる」という表現が多くみられますが、「何々鑑みて」という表現が一般的では?事務機器等でよく故障中という張り紙が張られているのをみますが、故障だけでいいのでは。中という言葉は状態を表しているというより現在進行しているといったニュアンスがあります。故障修理中ならわかるのですが。故障は続いているのではなく現在の状態をあらわしているのでは。小生の言語感覚がずれているのでしょうか?言葉は時代とともに変わることは理解していますが、それにしても言葉は少々乱れていますね。
2013/1/17 大島渚が亡くなった。また激動の昭和を象徴する人物がいなくなってしまった。小生が色々な分野の映画を観るきっかけとなったのも大島渚だった。昭和41年中学3年の時、新宿アートシアターで「忍者武芸帳」と「日本の夜と霧」を観てからである。それまで映画といえばピンク映画とマカロニウエスタンしか観たことがなっかのがいきなり大島渚である。衝撃的な体験でした。ちなみに日本の夜と霧は正直、当時はよく理解できなかったけれど、こんな映画もあるんだといった印象でした。忍者武芸帳は原作の漫画の方が良かった。とにかく合掌。
2013/1/06 明けましておめでとうございます。
明日7日から営業します。長い休みをとりましたが特に何処かに出かけることも無くのんびりしてました。近くの谷保天神へ初詣に行きましたが、今年も人が少なく、屋台も最盛期の半分位に減っていて寂しい限りでした。高校時代はサッカーの練習で、よくここの階段を駆け足で上り下りしてましたが、今は歩くだけでやっとです。体力落ちました。天気が良かったので当ても無くバイクには乗りました。寒い時,厚着して、あえてバイクに乗るのが何故か好きなのです。
2012/12/31 今年最後の一言。開店2年目で新鮮さが薄れたのか、客足が減り厳しい一年でした。来年は何とか盛り返そうと思っています。ところで今年も色々な方が逝去しました。吉本隆明、丸谷才一、若松孝二、桜井孝雄、マイク・ベルナルド、ラビシャンカール、北公二、桑名正博、勘三郎等等。格闘技好きの私としてはマイク・ベルナルドの自殺はショックでした。そういえば昔、高田馬場に桜井孝雄の経営する「メダリスト」というスナックがありましたが、もう無いだろうな。吉本隆明の本も、持ってるだけでカッコよかったと勘違いしてました。
昭和は遠くなりにけりですが、また来年も昭和の曲をバンバン聴かせます。
2012/12/28
今日は今年の最終営業日。6月に一度来て頂いた佐藤行衛さんのライヴで締めくくりました。喉を痛めているという悪コンデションの中でしたが相変わらず非常にパワフルな歌を聴かせてくれました。立ち見もでるほど盛況で、また客層に合わせてくれたのか懐かしい昭和の歌も披露していただき大いに盛り上がりました。
2012/12/25 「戦後史の正体」(孫崎享著)を読む。とても面白い本です。ミステリー小説を読むような感覚で読み進めます。米国という国を理解する上でとても参考になります。また戦後の各首相の実態も世間一般に評価されているのとの乖離にやや驚きます。あくまで著者の推論が確証にまで拡大している感は否めませんが氏が元外務官僚ということで信憑性はかなり高いのでは。日米安保条約、地位協定を考える上でも参考になります。他に氏の著書では「アメリカに潰された政治家たち」「不愉快な現実 中国の大国化、米国の戦略転換」等がありますが、いずれも面白い内容です。やや重複すところはありますが。
2012/12/24 久し振りの一言です。
そういえば、この前ラビシャンカールが亡くなった。という訳でもないのだけど最近ノラジョーンジュをよく聴いている。彼女はライビシャンカールの娘でグラミー賞も受賞した米国の人気歌手。ちょっと暗いけどわりと好きです。

2012/11/29 「家族進化論」(東京大学出版会 山極寿一著)を読む。硬派の本にしては非常に読みやすく小生の様な素人にも理解できるように書かれていました。さすが山極さん。内容は多岐に渡っており進化論のてんこ盛りといった感。人類が言語を獲得する以前から音楽が仲間との協調意識を高めるために使われていた等等、色々勉強になりました。但し、家族が今、崩壊の危機に瀕している原因をITを中心としたコミニュケーション技術の変化に求めていることに関しては
若干異論があります。小生は自己愛(家族より自分が一番大切)の肥大化が大きな原因ではないかと考えています。著書を頂いたお礼の意味も含め山極さんには別途詳しい感想をお送りする予定です。
2012/11/22 朝日新聞の天声人語に斉藤緑雨の言葉が引用されているのを発見。今ではあまり読まれなくなったと思われますが斉藤緑雨は明治の作家で毒舌家としても有名。小生の好きな作家のひとり。「油地獄」という作品も印象に残っています。
2012/11/21 ぴんからトリオの宮史朗が逝去した。女のみちは昭和の名曲です。ちなみに殿さまキングス「なみだの操」とバーブ左竹「女ごごろの唄」を加えた3曲を小生は昭和の3大名演歌と思っています。今や絶滅したマゾヒズム満開女性の唄ですね。平成の女性からは「ぶっとばされされそうな」歌詞です。昭和ってこうだったんですね。ところでこの3名、皆さん顔が○○ですなー。好きですけど。
2012/11/15 「督促OL修行日記」を読む。小生サラリーマン時代10年程、債権回収業務に携わっていたので著者の気持ち、よく理解できました。債権回収というのは顧客からは蛇蝎の如く嫌われ、ヘロヘロになって回収しても会社からはたいして褒められもせず、ストレスの溜まる割のあわない仕事です。小生も嘗て「殺すぞ」と脅かされながらもノコノコと回収に出向いたところ、現れたのは二の腕が小生の太ももほどあるボブサップの様な大男。たまげました。場所もフォークリフトが並ぶ港の倉庫、10メートル先は海。太陽も沈みかけた黄昏時、南港(大阪です)に沈められることはないだろうけど、喧嘩したら絶対大怪我するなと確信しました。強面相手の交渉対策として、はったりで眉間に皺を寄せ、髪は濃い茶髪に染め、角刈り、声は低くゆっくりと、またこっそり格闘技サークルに入り体を鍛えていましたが、全く役立たずでしたね。(体は今よりふた周りほど大きかったけど)馬鹿なことしてました。日ごろ部下に厳しい交渉を指示していた手前、弱気な態度は見せられず、本心は怖くてのどがカラカラでした。(部下と二人で出かけていました)やっと何とか交渉終了した時はすっかり夜、真っ暗な中くたくたになって帰りました。(これが暗夜行路か)せめて事務所で話したかった。
とまあ回収業務は疲れます。そこで結論。回収業務は3年が限度。それ以上まじめに回収業務を遂行していれば人格が歪み、バランス感覚がおかしくなる恐れがあります。命の次の次くらい大切なお金を、お金の無い人から取り立てるのですから。不幸にも回収業務から脱出できなければあまり生真面目にやらないことです。地獄の果てまで追い込みをかけてはいけません。
2012/10/21 新宿が燃え騒乱罪適用から44年。ま、そんな事はどうでもいいか。青空が広がりすっかり秋めいた平和な街を久し振りにバイクを走らせました。Vシネマ「キリン」を観たせいかな。キリン(主人公の渾名)は名車「カタナ」を時速200キロ以上でかっこ良く乗りこなしますが小生はVTRを制限速度をしっかり守りおとなしく乗りました。
2012/10/19 京大のゴリラ博士Y教授が来店。昔の高校の仲間も沢山来て昔話に花を咲かせました。
ところで映画監督の若松孝二死去の報を新聞で知りましたがピンク映画の巨匠だったことが全然、触れられていないことにちょっと驚きました。また監督になる前、一時裏社会に身を置いていたことも。高校生のころ彼の映画を観て興奮していました。彼の作品の原点はやはりアウトローへの共感、性のエネルギーだったと思うのだけど。合掌。
2012/9/27 ボブディランの最新CDテンペストを聴きました。訳は昔、世田谷の同じマンションに住んでいた中川五郎さん(一度電話で話したことがあるだけで面識はありませんが。)すばらしい演奏でした。ディランといえば小生が高校三年の頃、今は無き伝説のロック喫茶、国分寺の「ほら貝」でよく聴いていました。というかディランしかかかっていなかった様な記憶があります。78年武道館でライヴを観て以降、全くディランを聴かなくなりましたが、ジャニス開店を機に再び聴き始めた次第。ただし初期の曲ばかりでここ数十年のディランは知りませんでした。テンペストを聴いて改めてその悪声にますます磨きがかかっていた様でうれしくなりました。小生、何を隠そう悪声好きなのです。一言のはずが饒舌になってしまいました。ではまた。
2012/9/10
大学時代の級友が出演するジャズフェスティバルを観に仙台まで行ってきました。760以上のバンドが参加する大きなイベントでその規模に圧倒されました。曲はスタンダードジャズが中心で、彼のバンド「ビバップス」は管楽器(トランペット・トロンボーン・テナーサックス)をメインとした迫力ある演奏でした。
翌日、彼の案内で塩釜、松島を見学、また震災被害地も少し見て来ました。復興は進んでいましたが、まだ瓦礫が積み上がっているところも散見され、月並みな言い方ですがその被害の大きさを実感しました。だからこそ、音楽で街に活気を与えるこのイベントは大きな意義があると思った次第です。
2012/9/5 今日は小生が勤めていた会社(3番目の会社)の先輩Aさんが来店。Aさんはこの店の宣伝文句にも使わせて頂いたポール・ニザンの言葉に共鳴、愛読者であることが分かり、うれしくなりました。ポ-ル・ニザンはフランスの思想家で今では誰にも読まれなくなった人です。サルトルの親友でしたがサルトルだってもう誰も読まないでしょう。昭和は遠くなりにけりですか。
2012/8/19 長い夏休みも終り21日から店を開けます。ちなみに8月19日はバイクの日。ほとんど知られていないと思いますが。休みはバイクで軽井沢、草津へ行き、のんびり温泉につかって来ました。また佐久総合病院へS医師を訪ねるも生憎、休みで会えず。結局彼のエッセーで語られていた人物の真相究明できず残念。
2012/8/8 久し振りの一言です。オリンピックのせいか、お客様も少ない日々です。ところで選手たちがよく、もっといい色のメダルを目指すとインタビューに答えていますが、そもそも色にいい悪いってあるのかなと不思議に思います。色そのものに善悪はないはず。貴金属としての経済価値はまた別でしょうけど。暇だとくだらないこと考えます。
2012/7/13 今日は沖縄から高校時代の友人が帰京、悪友がジャニスに集まり何時ものように昔話に興じました。話題は決まって芥川賞をとった南木圭士のこと。死ぬ前に、直接、本人に会ってエッセイに書かれている人物他、、色々確認しておきたいなと思っています。
2012/7/11 小生の大学時代の同級生Tさんがギター持参で来店。
ボサノバを披露、ちょっとしたミニライヴでした。Tさんは経営破綻する前にJALを退社し毎日10時間ギターの練習に励んだとのこと。今ではライヴハウスで演奏するプロになってしまった由。人前でそれなりに演奏できるには約一万時間の練習が必要ということを聞いたことがあるが、楽器の習得はやはり練習時間か。ちなみに毎日15分の練習ではちっともピアノが上達しない小生です。
2012/7/6 低迷する日本経済に関しては多くの本が出版されて
いますが、最近読んだ精神科医の和田秀樹署「経営者の大罪」が面白かった。様々な原因をわかりやすい言葉で論証していますが特に大きな原因としてあげているのが会社員の給与をあげなっかたこと。アメリカ型経営に変えてしまった事等等、正に小生の考えと同じ。早く景気回復しジャニスのお客様も増えるといいなと思っている毎日です。
2012/6/29 金曜日なのにお客様ゼロでボーとしていたところに、珍客が来店。ゴリラの研究で有名な京大のY教授。小生が学生の頃、京都に遊びに行っては、都度、大変お世話になった方。当時、東京から京大に行く人は珍しかったのが、最近では相当増えているとのこと。時代を先取りしていたのかな。そういえば京都は先鋭的なロック喫茶が沢山あってよく行きました。最近は昔の曲をかけるディスコが増えているとのこと。そこは東京も京都も同じか。
2012/6/20 今日、初めてライヴを行いました。佐藤行衛さんという韓国を拠点に活躍するロックアーティストで、ジャニスの常連の知り合いということで来て頂きました。今日、韓国から帰国したばかりなのに成田からジャニスに直行し、疲れも見せずとてもパワフルな歌をギター一本で披露して頂きました。
有難うございました。心配していたお客様も佐藤さんの知り合いの方が沢山来て頂き、店に入りきれないほど(小さい店なので)の盛況でした。感謝、感謝。
2012/6/13 小生の知り合いが出演する劇「ネグリジェと十字架」を観劇しました。元ヤクザ(?)の牧師が不良少女を更生させる話。このパターンはわりとよくある感じ。東映のやくざ映画でも若山富三郎が嘗てやくざの牧師役を好演したものがありました。題名は忘れましたが。面白かったのですが、ネグリジと少女の更生との関係は、やや無理があるかな。
2012/6/6 今日は常連に加え、Eさん他久し振りのお客様が来られ賑やかな一日でした。
ところでレイブラッドリーが亡くなった。彼の著書で『死ぬと時はひとりぼっち」というミステリーがあるが彼も死ぬ時はひとりぼっちだったのだろうか。
2012/6/2 立川で映画「11.25自決の日」を観ました。1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺した三島由紀夫の話です。小生はそのとき19歳、浪人中で代々木の立ち食いソバ屋で知りました。大きな衝撃を受けた覚えがあり、映画を観て改めてあの時代の何ともいえない高揚感と絶望感を感じましたが自殺の理由はやはりよく分かりませんでした。不思議な時代でした。
2012/5/27 久し振りの快晴でバイクに乗りました。小平のバイク屋さんに行き,その後は気ままに周辺を走り、のんびりとした休日を過ごしました。
2012/5/25 金曜日なのに今日はお客様3名。こんな日もあるかと妙に無理やり納得するのでした。
2012/5/10 小生の兄の高校の同級生7名が遅い時間に来店。よく飲み、、よく歌い、よく喋りそのパワーに圧倒されました。団塊世代のまだまだ衰えないパワーを感じた次第でした。
2012/5/6 久し振りに晴れた休日、バイクで何処かに行こうと思ったのにエンジンがかからないアクシデント。クソッ。こんな昼におまえに乗れないなんて。こんな昼に発車できないなんて。この前はガス欠したし。調子悪い今日この頃です。
2012/5/4 高校の同窓生16名がジャニスに集まり楽しいひと時を過ごしました。インド、中国から一時帰国した2名は約40年ぶりの再会。離婚者も数名、時代だなと感じました。一番頭の良かったM氏のハシャギぶりに驚き、女性陣の還暦過ぎとは思えぬ若々しさにも感動しました。
2012/5/2 雨でしかもゴ-ルデンウィークの谷間、今日は坊主かもとあきらめていたのが、なんと8名のお客様、まさに水商売。ところで5月2日はRCサクセッションの忌野清志朗の命日なので久し振りに多摩らん坂(自宅から徒歩約20分)なんかを聞きながら昔を懐かしんでいました。いつも懐かしんでいるみたいだけど。
2012/4/27 今日はサプライズがありました。小生が学生の頃、毎日の様に通っていた新宿の飲み屋で働いていた女の子が突然、ジャニスに来られました。ひょんなことから小生が阿佐ヶ谷で店を始めたことを知ったとのこと。40年振りの再会です。昔話に花をさかせ、タイムスリップしていまいました。ちなみみに彼女も高円寺でお店をやっているとのことなので是非、訪ねてみたいと思っています。
2012/4/23 今日はギブソンのギターを持った大学生3人が来店。早速、弾き語りを披露していただきました。清志朗の「雨上がりの夜空に」から始まり、懐かしいフォークまで。ちなみに清志朗は小生と同世代、同じ三多摩人としても好きなアーティストの一人。いい歌は時代を越えるということを改めて感じた一日でした。またミニライヴお願いします。
2012/4/22

今日から私の独り言を始めます。小生の住む国立の桜もすっかり散ってしまいました。お客様の数も少し減りちょっと寂しい日が続いています。すっきりしない天気も憂鬱です。
新メニューとしてドライカレー、オイル・サーディンを始めました。是非、ご賞味ください。お酒に合いますよ。